第13話 曙光の中で

 朝日の一片がステンドグラスから洩れ出づる。

 雨季の終わりを迎えて日に日に濃くなっていく夏の気配も早朝の今の時間は然程のものではない。


 本日も生れ出でた太陽の清らかな光が、法衣に刺繍された金糸をきらきらと明るく照らす。例えその内にしまい込まれた心が腐りきっていようとも、細かな光に包まれた法衣を纏う法主は神意を背負った敬虔の徒に見えた。


 アマワタルは精道神であると同時に太陽神でもある。そのため毎日の日の出礼拝はアマワタル大教院にとっては1日の内で最も重要な礼拝でもある。

 神聖にして厳かな新しい太陽に向かって両手を差し伸べながらも法主の思考は、今日にでも届けられるであろう新しい捌け口に向けて飛んで行く。


 ザインベルグを一目見た時、すぐにフォーサイシン公爵の黄金の10年を支えた少年と分かった。作品に写し取られた美貌は些かの陰りもないどころか、年齢を重ねて加わった色香により更に進化したものとなっていた。


 惜しむらくは、あれが男であることだ、と法主は胸の中で呟く。

 その点、僥倖であったのは妹がいることだ。兄よりは多少劣るが、やはり美しいという情報は法主を喜ばせた。


 曙光を迎える法主の口元が微かに緩む。

 美しい女を迎えるのはいつでも楽しい。送り届けられた瞬間のおずおずとした様を見るのは正しく至高の瞬間である。


 さてどのように可愛がってやろうか。


 風に巻きあげられた羽のごとくに心が空高く舞い上がる。

 湿り気をふんだんに帯びた空気を鼻から盛大に吸い込む。仲夏の爽やかな草の香が鼻孔をくすぐり喉へと落ちる。

 たっぷりと息を吐いたその時、礼拝堂の外が俄かに騒がしくなった。


 声高に罵りあう中に「ここをどこだと!」「不遜な」という言葉が細切れに聞こえる。飛び交う罵声はやがて不穏な争いの音となる。


「何事か?」と神官達と顔を見合す先で、礼拝堂の扉がばんと勢いよく、乱暴に開けられた。

 

 縋りつく教院衛士達を振り捨てて雪崩れ込んで来たのは、胸の所に忌々しい犬の紋章を付けた甲冑の一団。警務師の偵吏達だ。

 一団を率いるのはザインベルグの親友にして右腕のユベール首席准参預である。

 

 雪崩れ込んで来た警務師の偵吏達が祭壇を取り囲む。

 突然に乱入して来たユベール達に法主は慌てることなく、ゆったりと対峙した。


「これは一体どういう狼藉か。今が最も神聖な時間であることを知っての暴挙か」

「託宣できるならばアマワタル神とて貴殿から祈られるのは拒否するであろうに」

 威厳を払って発声した法主の言葉を無下に叩き落して、ユベールはいつもの人を食った笑顔になる。

「毎朝、毎朝、生臭っさい息を吹きかけられるなんざ、アマワタル神も我慢の限界ってもんでしょ」

「……何と不遜な!」、「法主に対して何と言う暴言か!」、「即刻立ち去れ!」と湧き上がった抗議をさっと片手で制して、法主は一段高い祭壇からユベールを見降ろした。


「長が長ならその下もまた然りか」

 

 ばさりと法衣の袂を翻して、背筋を伸ばす。威儀を正したその姿は背中から射し込む曙光と相まって、侵しがたい神聖さを感じさせるものであった。

 朝日の中に浮かぶ法主の威厳に、ふとユベールが一言洩らす。


「……貴殿が見た目通りに敬虔の徒であったらよかったものを」

「笑止」

 ふん、と一笑に付して法主は高らかに言い放った。

「畏れ多くもこのアマワタル大教院に踏み込んだこの暴挙を如何するのか。査問会にかけられている貴様らの大務に更に罪がのしかかるとは思わんのか!」 

 法主の堂々とした声が荘厳な余韻となって広がって行く。礼拝堂の隅々にまで行き渡った余韻が消え失せるほんのわずかな瞬間に、鋭い声が響いた。


「それは私のことか」


 祭壇前の偵吏達がさっと左右に割れる。

 ユベールが一礼して自らの位置を声の主に譲った。

 揺るぎない足取りでやって来る男に朝日が差しかかる。眩い光を受けて藍色の髪は蒼く燃え立ち、薄紫の双眸がますます透き通った光を放つ。

 

 法主は息を呑み、一歩後ずさった。

 様々な展開を予測してあらゆる手を打って来た彼にも、こちらに向かって歩いて来るザインベルグの姿は予想外であった。

 今までの余裕に溢れた態度が一転。狼狽える法主をザインベルグが下から睨み上げた。


「……さ、査問会はまだ続いているはず……」

「ええ。今日もまだありますよ」

「ならどういうことだ、これは!!」

 仄かに色づいた唇がつと綻ぶ。

 ザインベルグは清々しい笑顔できっぱりと言い放った。


「ランディバル侯には今月いっぱいで大務の座を返上する旨を伝えました」

「……なっ、何だと……」 

「お前をその座から引きずり下ろせるならば、大務の座など安いもんだ」

 法主の脳裏にグリゼルダの顔が浮かんで消える。

 元々、彼女の願いはザインベルグを警務大務から追い落とすことだった。それが叶えられるならば、と法主を差し出したのだろう。


「……あの女」と思わず呻いた法主へ、だんっと強い一歩を踏み出す。

 ザインベルグの全身から立ち上る決意に阻まれた法主が一歩下がった。

「愚かな、自ら大務の地位を投げ打つか」

「愚かなのはどちらか」

 新たな声が襲い掛かる。

 片手でシドウ大教院長・マサカールの首根っこを押さえたアンリエットが、嫌がる彼を無理矢理に引き摺って来て、祭壇前に放り出した。

 哀れな位に頭髪を乱したマサカールが法主の裾に必死の力で縋り付く。


「ほ、法主聖下……お助けを……!」

「……私はお前など知らぬ」

 助けを乞うマサカールに法主は冷酷な眼差しを向けた。

 法主の残酷な答えにマサカールの瞳が限界まで見開かれる。

「法主聖下……!」

「触れるな!!」

 法主はマサカールの手を蹴り飛ばして、一層後ろへと下がって行く。頼みの綱の法主に切り捨てられたマサカールは最後の気力さえも使い果たして、その場へがくりとくず折れた。


「我が父の遺志は我と共に在る。貴様の策動もここまでだ」

 アンリエットの声が静まり返った礼拝堂に凛と響いた。

 法主の顔がゆっくりと朱に染まって行く。

 禿頭の頂きまで真っ赤に染め上げて行く彼の前にザインベルグが立ちはだかった。


「3年前から棄民を狩ってご法度の奴隷売買をしていたことも、捕えた彼等を巡礼者に仕立て上げて移動させていたことも判明している。貴殿から奴隷を買った貴族達に至るまで全て我らは押えている」

 法主は何も言わない。頭まで真っ赤に染め上げてただザインベルグを見つめている。

 一方のザインベルグの追及は止まらない。彼の糾弾により一層の熱が籠る。


「ここ数年の金相場の異様な値動きに貴殿が関わっていたことも分かっている。売れ残った奴隷達に多額の報酬をちらつかせて金を飲ませ、玉都へ秘密裡に運びこませていたその手口も全て我らの知る所だ」

「正真正銘のクズ野郎だよ、あんたは」ユベールが吐き捨てる。

 全くだ、と彼に同意するザインベルグの目が、溢れる嫌悪感に暗くなる。


「しかも、玉都に集めた彼等を殺害して腹を捌き、その臓腑から飲み込ませた金を回収していた。これがフォーン=ローディン教の最高峰に坐する者の行う所業か」


 つまびらかにされていく法主の悪行に、礼拝堂内部はいつしか水を打ったように静まり返っていた。

 神官も教院衛士も自らの頂点に立つ教義の守り手を呆気に取られて見つめる。法主を守らんと彼を取り巻いていた神官達の輪が少しづつ崩れ始めた。


「その他にも暗殺者を雇っての悪行の数々。証拠は全て揃っている。己の欲のままに策を弄して帝国に仇なし、甘い汁を貪り続けたその所業」

 そこで一旦、言葉を区切ってザインベルグは黙って顎肉を揺らす法主を真正面から見据えた。


「清算の時だ。観念しろ、ファルスフィールド法主」 

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