第11話 愛してこそ
皇内大務スルンダール上級伯の更迭。
大きな衝撃を前にザインベルグは剥きかけていた昼食の包みを一度、卓上に戻した。
「どうして今更」
エフィオンの手引きによる皇太子逃亡が起きたのは昨年の12月。
その一味に加わっていた息子スーシェの咎を引き受ける形で、スルンダール上級伯が謹慎蟄居となってから半年が経過している。
前代未聞の大務の地位にあるままの謹慎は正直、皇帝の意図を測りかねる部分があった。それでも根底には大事な懐刀をいづれは元の地位に戻すための処置であろうと、どこかで思っていた。
それが今、目の前で崩れた。
しかもヴァルンエスト侯が逝去したこのタイミングで。
「何か聞いているか、お前」
「いや、それがどうもさ」
緊迫感から声が自然と低くなる。
そんなザインベルグに対してユベールの表情がふと曇った。彼は大きくパンを食いちぎって、口元のタレを親指で拭き取る。
勇ましくもぐもぐとしてから喉仏を上下させて飲み込み、彼は呟いた。
「……我らの麗しき大師卿のせいらしい」
「ランディバル侯爵? あれが皇帝にスルンダール上級伯の更迭を申し入れたのか?」
この3日間で見飽き過ぎたグリゼルダの顔が頭を過ぎる。
しかし、ユベールは「そういうことじゃなく」と手を振って、ザインベルグの言葉を否定した。
「あの女、前々から玉都周辺に集まってる棄民のテント群を嫌ってたろ? ほら、お前にもしつこくあれを排除しろって迫ってたじゃないか」
「あぁ。まぁ、そうだったな。顔を合わせりゃ毎回言われていた気がする」
「だろ?」
「でもそれがどうしてスルンダール上級伯の更迭になるんだ」
まぁ待て、とザインベルグを押し留めてユベールは最後の一欠片を口に放り込んだ。そして人心地ついたという風情で、ふぅと一息洩らしてぐっと前に身を乗り出した。
「実はお前を査問会に押し込めたタイミングでランディバル侯爵を筆頭にした大師令が出たんだよ」
「大師令?」
まさかの事態に驚愕と怒りが入り混じる。鋭い声を上げたザインベルグにユベールは頷いた。苦虫を潰した渋い顔にはザインベルグ同様の怒りが滲む。
「そうだよ。大務が死亡若しくは意識不明の状態になった時に大師院が大務の代わりに出すアレだ」
「私は死んでもないし、意識不明になった覚えもないが」
「だから拡大解釈の無茶苦茶な論理だ。査問会の間は大務の職務が執行停止になるから空位と同義だって。そんでもって子飼いのボズ=ロッソとかいう野郎を隊長にした治安維持隊なる部隊を勝手に作りあげやがった」
「陛下は大師令の発布をお許しになったのか」
「……好きにするがいいと」
「またか」
ザインベルグはソファーの肘置きに寄り掛かって呻いた。それはここ数ヶ月で事あるごとに返って来た言葉だ。
深く思案し、あらゆる局面を考慮に入れて着実に事を進めていた皇帝の姿勢も今は昔だ。今の皇帝から出るのは“好きにすればいい”、“面白そうだ”というおよそ深謀遠慮からはかけ離れた言葉ばかり。
そんな皇帝の下では棄民を狩り立てるというグルゼルダの手前勝手な大師令を止める事ができる筈もない。
「最悪だ」と呟いてドンッと自らの胸を叩く。目を開いた彼の眉間には深い皺が刻まれていた。
「それで棄民狩りは」
「1日で終わった」
「1日?」
オウム返しに問い返して、ザインベルグは「あぁ」と1人頷いた。
常に揺るがない意志の宿ったスルンダール上級伯の双眸が記憶の中で燃え立つ。
「スルンダール上級伯か」
ユベールが無言のままに頷いた。
「それで更迭か」
「蟄居謹慎中だったからな。流石に御咎めなしとはいかなかったらしい。ついでに玉都払いだと」
「何だと。ではスルンダール上級伯は領地に戻るのか」
「……そうなるな」
「このタイミングでか」
腕を組んで卓に視線を落とす。ころん、と転がったままの昼食が卓上に侘しく影を落としている。
ヴァルンエスト侯にスルンダール上級伯。
即位の時から双璧となって皇帝を支えて来た2人の忠臣が図らずも相前後して皇帝の元を去ることになってしまった。
特に幼少のみぎりより令侍として、影より密やかに付き従って来たスルンダール上級伯の更迭は埋められない穴になることは明白だ。
誰よりも皇帝を愛し、心砕いて仕え続けた寵臣すら切って捨てる。
1人になった玉座で皇帝リスディファマスは一体何を思うのか。
「……この国はどうなってしまうのだろうか」
「分からん。誰にも分からんだろう」
思わず口を突いて出た疑問に、正面の友人は力なく首をただ振った。しかしすぐにパンッと自らの両膝を威勢よく叩く。
「でも嘆いている間はない」
きっぱりと小気味良い調子が暗い雰囲気を一刀両断した。
ユベールは転がったままのパンの包みを掴むと、ぐいっとザインベルグに突き出す。
「皇帝がどうあれ、俺達は俺達の職務を全うするしかない。だからお前もしっかり食って、下らない査問会をとっとと潰してやれ」
「そうだな」
考えても打破できない事はひとまず押しやるしかない。
ザインベルグは突き出された包みを受け取って、勢いよくべりっと剥がした。
その瞬間、タイミングを見計らったかのようにコンコンとノックの音が響き、ほぼ同時にさっと扉が開く。
「やぁ! 義弟よ。元気かい?」
「最早、どうぞすら待たないとはどういう了見なんですか」
「さぁ、私も知らないな。是非、義弟の意見を教えてくれたまえ」
いつも通り過ぎるやり取りにユベールが茶化す笑顔でニヤニヤとしている。そんな旧友の人の悪い笑みを睨み付けてから、ザインベルグはしれっと正面に座ったジョーディに目を移した。
「相も変わらずどこにでも入って来ますね。今日はなんですか」
「何だ、冷たい物言いだな。今日の僕は福音を運んで来たというのに」
「福音?」
胡散臭そうに目を細めたザインベルグにジョーディは「これさ!」と1通の手紙を示す。
「これを読んだら絶対に僕に口づけしたくなるね」
「そういう気色悪い物ならいりません」
「まぁまぁ、まずは読んでみてくれたまえ」
するっと華麗に卓上を滑って来た手紙を嫌々拾い上げる。
ふと何気なく目にした封蝋にザインベルグの目の色が変わった。
まさか、とはやる気持ちを抑えて手紙を取り出す。便箋を広げることすらもどかしい程にかぶりつきで手紙に目を走らせた。
手紙の内容自体は簡潔なものだった。
その短い文章を2度繰り返して読んでから、ジョーディを見る。
彼は貴公子然とした動作でゆったりと両手を広げた。
「どうだい? 口付けしたくなるだろう? でもその権利はシャルロットに譲っておこうか」
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