第10話 査問会

 ザインベルグの前でゆっくりと扉が開いた。

 半円状に置かれた長机に着席する大師卿達の姿が彼の前に、展開していく。


「失礼します」


 臆することなく、むしろ傲然とした態度で入って来たザインベルグに大師卿達の容赦ない視線が突き刺さった。


 友好的からは程遠い空気の中で真正面を睨みつける。彼の睨み付けた先に腰を据えているのはグリゼルダだ。

 化粧も服装も控えめにした彼女にいつもの軽薄な風情はない。紅の薄い唇を酷薄にぐっと引いた様は知的にさえ見えた。


「警務大務ザインベルグ一等爵士殿」

「はい」

 固く響いたグリゼルダの声に、軽く頭を下げる。


「今日、ここに呼ばれた理由は分かっていますわね?」

「さぁ」

 ザインベルグは堂々と胸を張って言い返した。

「越権捜査がどうとか通達を受けましたが、何のことを言っているのか皆目見当もつきませんが」

「そう」


 グリゼルダは傍らに座る細面の男をちらりと見やった。ザインベルグも男に視線を向ける。記憶が正しければ、朱玉府内にある犯罪捜査部門の要職にある者のはずだ。


 なるほど、そちらから来たか。

 

 胸の中で独りごちる。

 法主の働きかけは朱玉府に動いたようだ。朱玉府の犯罪捜査の管轄には聖職者も入っている。


「皆目見当つかないというのはいささかまずいように感じますが」と、厭味ったらしく呟いて男は咳払いした。

 失礼、と前置きして彼は勿体ぶった動作で足を組み換える。


「申し遅れましたが、私は朱玉府吟味部大丈のキノスと申します。以後お見知りおきを」

 

 厚ぼったい瞼の奥で、慎重に光る黒目がザインベルグを捉える。その両の目に灯るのは紛れもない敵意だった。

 

「朱玉府から越権捜査と言われるとは心外ですね。我々のどの捜査がそちらの範疇に入っていると申されるか」

 平坦に返したザインベルグの言葉にキノスは一瞬、不快そうに口元を歪めた。

「我々に入った報告では最近、警務師が禊場周辺の教院を盛んに捜索しているとのことですが。教院の捜査は立派な越権捜査に当たると思いますがね?」


 キノスの言葉にグリゼルダが深く頷く。

「確かに。ローディン教の管轄である教院に警務師が踏み込むのは妥当とは言えませんわね。そうでなくて?」

 

 彼女の意見に同意して動いた頭は半数程。グリゼルダも全ての大師卿を掌握しているわけではないらしい。

 だが残り半数がザインベルグの積極的な味方というわけでもないだろう。どちらかと言えば風向きを測っている連中がほぼ、と思った方が良さそうである。


「越権捜査についての定義に相違があるようですね。我々が捜査したのは聖職者そのものではありませんが」

「それは詭弁では」

 声を張り上げたキノスを無視して、ザインベルグは先を続ける。

「そもそも、我らの捜査は棄民を攫っては奴隷として売り捌いている犯罪者集団のものです」

「奴隷売買の捜査がどうして教院に及びますの?」

 

 訊いては来たものの、グリゼルダの声には何の興味も浮かんでいない。ただ惰性で訊き返した、というのが如実に現れた言い方だった。


「犯人グループは捕えた棄民達に不埒にも巡礼者の恰好をさせて移動していたからです。禊場に集められた彼等の足跡を追って、犯人グループが潜伏しそうな建物を探索していただけで何も教院を狙い撃ちにして探索していたわけではありません。これのどこが越権捜査となるのか。逆に教えていただきたい」


 一気に捻じ込むと、キルスは顔を蒼褪めさせて黙り込んでしまった。彼は難しい表情で腕を組んでわずかに唸り声を上げる。


「し、しかし禊場はローディン教の管轄であり、別件とはいえそこに妄りに踏み込むのは」

「禊場がローディン教の管轄で侵してはならない聖域とおっしゃるならば、禊場内で起きるいかなる犯罪も取り締まることはできませんが」

「禊場そのものに立ち入るのはそんなに問題ではない、と私も思いますわ」


 意外な同意にわずかに驚いてグリゼルダを見る。

 ただ、と続けて彼女は冷たい眼差しでザインベルグを射抜いた。

「捜査の一環とはいえ、教院にまで押し入ったのは越権捜査に当たりますわね」

「犯人グループが潜伏していた可能性があるのに、ですか? 現に今日押えた教院の現場で奴らは死んだ棄民の体を捌いて、金を取り出しておりました。金の密輸にまで手を染めるような連中を野放しにせよ、とおっしゃるのか」


 金……、金の密輸だと……、と騒めきが大師卿の間を巡る。

 彼等同様、「金の密輸」と眉をひそめて呟いたグリゼルダの顔には純粋な驚き以外に、何故か呆れたような表情も混じり込んでいた。


「凶悪な一味であるのは分かりました」

 ややあって、グリゼルダは静かに言った。

「それでも今回の捜査手法に問題がない、という話にはなりませんわね」


 彼女の唇が優美に持ちあがって、澄ました笑顔になる。

 グリゼルダは未だ起立したままのザインベルグに傍らの椅子を示して、悠然と肩を竦めた。

「お座りなさいな、ザインベルグ殿。この件は警務師と朱玉府の連携に関わる重大な事案です。じっくりと聴取せねばなりません」


 ザインベルグは屹度、力を込めて彼女をねめつけた。グリゼルダはその視線を平然と弾き返して付け加えた。


「時間は幾らでもありますわ」



◆◇◆


 コンコン、とノックの音がする。

 室内で手持ち無沙汰にしていたザインベルグはやや投げやりに答えた。


「どうぞ」

「よっす! やさぐれて来たな」

 扉が開いて現れたユベールの笑顔に思わず口元が緩む。


「ここに押し込められて3日目だぞ。さすがに面倒くさくなって来た」

「ま、時間稼ぎの単なる嫌がらせだからな」

 ユベールは手にした包みを掲げて、ソファーに座り込んだ。

「昼飯の差し入れだ。取りあえず腹ごしらえしようぜ。どうせ午後からまた聴取だろ」

「本当、暇な連中だな」

「ま、お前を抑えておけば捜査は進まんと思っているんだろうな」

「そっちはどうだ」


 先に食べ始めているユベールの前に腰かけて問い掛ける。口いっぱい頬張った彼はもぐもぐと咀嚼しながら「身柄を抑えた連中の聴取は取っている。大師卿や法主におもねる連中は何かわぁわぁ言ってるが」


 ごくりと飲み込んで、ユベールはにやりと不敵に笑った。

「ま、外野は気にしない。これに尽きる」

「頼もしいことで」

「そんなことよりもさ、聞いているかお前」

「何を?」

「やっぱり知らねぇか」


 ユベールの目元が急に引き締まる。

 彼は気持ち身を乗り出して、重々しく告げた。


「スルンダール上級伯がついに皇内大務を罷免されたぞ」

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