第9話 追撃

「誠に申し訳ない」


 ヴァルンエスト邸の別室でザインベルグはアンリエットに深々と頭を垂れた。

 

 先程、次期当主たるアンリエットの兄も駆けつけて、主を失った侯爵家は慌ただしさを増している。

 さざ波のごとくに広がって行く喪失の重苦しさの中で、アンリエットはザインベルグに静かに問い返した。


「何故、貴殿が謝るのか」

「……見込みが甘かった。このような事になるとは」

「ザインベルグ殿」

 アンリエットは溜息をついて、頭を軽く振る。

「そのような繰り言はやめていただきたい。父の死に責があるのはただ法主のみ。貴殿がそのように頭を下げる謂れはない」

「しかし」と、低く呟いたユベールにもアンリエットは厳然とした一瞥を向けた。


「2人共、気合を入れてやらねばならんのか。腑抜けてないでしっかりされよ」

 

 一瞬、拳に力を込めた彼女に2人そろって思わず身構える。するとアンリエットは、ふふ、と小さく笑い声を洩らした。


「いい大人同士だ。やめておく」

 澄ました顔で言ってのけてから、彼女は意外な事を訊いて来る。

「ユベール殿の家族は確か、奥方とご令嬢が3人だったな」

「え? えぇ、まぁ」

「奥方のご両親は?」

「今は2人揃って郊外の別邸で隠居暮らしです」

「御実家は?」


 質問の意図が分からずに、ユベールの表情がますます曇って行く。

「えぇと、実家は両親も亡くなって既に空き家です。兄がおりますが今は西都に移っております」

 恐々と言ってもいい調子で応える彼にアンリエットは「そうか」とだけ頷いて見せて、今度はザインベルグに鋭く訊いて来た。


「貴殿は?」

「私は妹が1人だけ。両親は亡くなっております」

「なるほど」

 呟いて腕を組む彼女に「我らの家族が何か?」と逆に訊き返す。

 アンリエットは軽く眉を顰めた。


「法主は姑息で容赦のない、正に悪党だ。そんな男の悪事を白日の下に曝そうとした時に彼奴はどんな手に出るか。それが前々から気にかかっておった」

「……まさか我らの家族に手出しすると?」

「ないとは言い切れまい。当家も、私の嫁ぎ先も武門の家柄故、手出しは容易にできまい。しかし貴殿らの家は」


 アンリエットは実直に「すまない」と詫びてから、きっぱりと言い切った。

「貴殿らの家格では家族を守りきることは難しいのではないか」

「それは確かにそうですが」

 

 明らかに気分を害した体でユベールが口を挟む。それでも彼女は怯まない。

「失礼は百も承知だ。その上で提案したい。事が終わるまで貴殿らのご家族を当家でお預かりしたい。これは生前の父も了承済みであったし、兄の許しも得ている」

「しかし……このような時に」とザインベルグが言い淀むと、アンリエットは存外に強い口調で彼の言葉を遮った。


「当家とて後には引けぬ」


 アンリエットの両の瞳に力が宿る。

「当主をむざむざと殺されて、黙って手を引くなど出来ぬ。それに父の悲願は私の悲願でもある。この国のためにも引いては皇太子殿下の御為にも我等がここで法主に折れるわけにはいかない。そのためならば出来得る最大限を行う」


 引き結んだ唇に彼女の覚悟の程と、苛烈な決意がはっきりと現れている。最期まで雄雄しくあった父を彷彿とさせるその様にザインベルグは圧倒されて、しばし言葉を呑んだ。


「どうされた、警務大務殿は怖気つかれたか」

 挑戦的に言い放った彼女にニヤリとザインベルグの口元が綻ぶ。

「ヴァルンエスト侯の魂の在所を前にして怖気つく程、臆病者ではごさいません」

「アルフレッド」


 ザインベルグはユベールの肩を気安く叩いて宥めるように言った。

「今はアンリエット殿の申し出に甘えよう」

「……そうだな」


 ユベールが進み出てアンリエットへと深く頭を下げる。

「我が家族をよろしくお願い致します」

「しかと引き受けた。帝国騎士の誇りにかけて貴殿らの家族には指一本触れさせぬ」

「我が妹は足に障害がある故、少々お手を煩わすかもしれませんが」

 済まなそうに申し出たザインベルグにアンリエットは呆れて目を見開いた。


「だったら猶のこと当家にいた方が良い。同僚には甘えるように勧めて自らはためらうか!」

「困った奴なんですよ」

「そうらしい」

 くっくっとアンリエットが笑う。

 和やかな雰囲気が湿っぽい室内をほんわりと柔らかく包んだ。

 

 その温かな空気の中でユベールが持ち前の明るさを発揮して、「それにしても現場を抑えられたのは大きい!」と威勢よく他の2人を見やった。

「それこそヴァルンエスト侯の奮闘のおかげで、生け捕りに出来た者もいる。彼等の尋問も早急に始めたいところだ」

「確かに。ここは一気に追い込みたいところだな」とアンリエットも同意する。

「とりあえず我らは警務師に一度戻ろう。今後の見通しを立てねばならない」

「そうだな」


 ヴァルンエスト侯を失った事は言い表せない程の痛手である。しかし、彼の遺したチャンスをみすみす逃すことの方が、より大きい損失となる。

 ザインベルグとユベール。そしてアンリエットは互いの目を見合って、深くしっかりと頷き合った。



「ご家族の事は確かに引き受けた。安心して参られよ」

 アンリエットの頼もしい言葉を背に、ザインベルグとユベールは馬車に乗り込んだ。悲しみに沈んでいくヴァルンエスト邸を背景に、雄々しく仁王立ちする彼女の姿が遠く、小さくなって行く。


「……ヴァルンエスト侯は精道に戻られたが、ああやって魂は継がれていくのだな」

「全くだ。大した女傑だ。あの方を嫁に出すのはヴァルンエスト侯も惜しかったのではないかな」

 思わず、感嘆の声を洩らしたザインベルグにユベールも殊勝に同意した。

「我らもヴァルンエスト侯の魂に恥じぬ働きをせねばならんな」

「全くだ。馬車馬のごとくに働くぞ、俺は!!」

 ふん、と胸を反らしたユベールについ軽口を叩く。

「馬車に乗りながら言うか、それを」

「それもそうだ」


 朗らかに言い返したユベールの体が突然、前のめりになる。

 急停車した馬車の衝撃で彼はバランスを崩して、向かいの座席に手をついた。


「おい、どうした!」


 馬車の窓から外を見た彼が「あれ?」と不審げな声を上げる。

 ザインベルグも共に額を寄せて外を窺うと、ヴァルンエスト邸の門を塞ぐようにして横付けした一台の馬車と巡吏の一団がいた。馬車には見慣れた警務師の猟犬の紋章が描かれている。

 そのせいで自分達の馬車は出るに出られず急停車したらしい。

 

「ここに呼んだか?」

 ユベールに問うも、彼も訳が分からないとばかりに首を振った。

「とりあえず、所属を確認してみよう」


 身軽に降りたザインベルグに続いてユベールも馬車から降りる。

 警務師の馬車の前で立ち並んでいた巡吏達は、近付いて来るザインベルグに気付くと一斉に規律正しく敬礼をして来た。


「ヴァルンエスト邸に何用か」と言い掛けたザインベルグの前に1人の巡吏が進み出て来る。

 彼は小さく咳払いしてから、勿体ぶった動作で一巻きの書状を縦に勢い良く開いた。


「警務大務ザインベルグ一等爵士に告ぐ」


 朗々とした口上にザインベルグの足が止まる。

 

「警務師大師院は越権捜査の疑義ありとの申し立てを受理した。この件について警務大務の聴取を行いたく、出頭を命ずるものである」


 巡吏は書状を巻き取ると、恭しい手つきで背後の馬車をザインベルグに示した。

「大務殿。どうぞあちらの馬車に」

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