第7話 血路
薄暗い地下室の中で刀が閃き、巡礼者の一人を手に掛けようとしていた男達を斬り伏せる。それは一瞬の間の出来事だった。
倒れた男の腕が台の上にあった桶を薙ぎ払い、斑に赤黒い金の粒が雪崩となって床に散らばる。
黄金を蹴立てて台に飛びついたヴァルンエスト侯が朦朧としているその巡礼者を引き立てると、かすかな反応が返ってくるのみで、正気とは言い難いものだった。
「意識が飛んでおる。……薬か。酷い事をする」
「閣下っ!」
「すまんな。帝国騎士としてこれ以上黙って見ている訳にはいかなかった」
「いえ。それよりも今はここからどう退避するかです。上にいる連中もすぐに異変に気づくでしょう」
「ここでじっとしていても見つかるだけじゃの」
見合わす二人の視線が地上へと続く階段の先へと移る。ヴァルンエストはそこで一つ大きく息を調えると、抜き放ったままの刀の柄を深く握り直した。
「推して参る。遅れるでないぞ」
「……はい、彼は私が」
「頼む」
覚束ない足取りの巡礼者をほとんど引き摺りながら、地上への階段を駆け上がって行く。難なく降りて来た階段が今は永遠と思える程に遠い。
それでも何とか地上への階段を上がりきった所でナタンから舌打ちが洩れる。
上で待機していた男達が予想よりも多い。
「何だぁ、お前らは?!」という叫びの合間に「侵入者だっ! 討ち取れ!!」と、号令がかかる。
その声に応じて裏口へ通じていると思しき扉が勢いよく開いて、更なる人数が駆けこんで来た。
「止まるな! 食い止める!」
ヴァルンエスト侯が刀の刃を返し、腹の底からの雄叫びを上げる。老騎士の凄まじい闘志に気圧された何人かが、びくりとして足を止めた。
そんな男達をまとめて蹴り飛ばし、囲まれてしまう前に出入り口への道を確保する。
その脇を巡礼者の男を支えるナタンが通り過ぎた。ヴァルンエスト侯は彼等とすれ違いざまに背後へと振り返る。
男達が手に手に武器を取り、異様な目つきでその切っ先を突き出す。そこには一切の戸惑いも逡巡もない。『殺しに慣れた者達』の放つ冷徹な雰囲気に肌がひりついた。
「警務師の連中にバレる、絶対に殺せ!」
「させはせん!」
老騎士が石畳を打ち抜くかのように前と踏み出す。威厳を秘めた武勇は老いても尚、大気を震わし眼前に立つ者達を圧倒する。
一呼吸の硬直。幾多の戦場を生き抜いてきたヴァルンエスト侯にとっては、それだけで十分だった。
「……化け物か!?」
刀の先も捉えられぬまま、襲いかかろうとしていた男達が次々とその足元に崩れ落ちて行く。まるで自ら刃に吸い込まれていくかのように斬り伏せられていくその様に、後続の男達がその場にたたらを踏んで留まる。
「侯! お早く!」
「構わぬ! 行け!」
教院の出入り口に手を掛けたナタンに、ヴァルンエスト侯は振り返りもせずに応じる。その頑なな気迫に問答は不要と頷く。その瞬間だった。
「ぐふっ……!?」
巡礼者の口から呻き声と共に赤黒い血がどぶ、っと噴き出す。物陰に潜んでいた者からの急襲に不意を突かれた。
黒装束をまとったその者は中にいる他の誰とも様子が違う。だがナタンにははっきりと見覚えがあった。同じ装束の者達に玉都に入る直前に襲われたのは記憶に新しい。
まさか、という思いが交差する中、咄嗟に身を庇った左腕から鮮血が宙に舞った。
「ナタン殿!!」
反射的に傷口を庇い、床の上に転がり込む。傷は深い。
左の指先が痺れ、強烈な眩暈がナタンを襲う。更に止めを刺しに来た刃が彼に迫るも、甲高い音が炸裂して、天井高くに弾け飛んだ。
「申し訳……ございませんっ」
「立てるか?!」
「……何とか。ですが、彼は……!」
ふらつきながらも立ち上がるナタンにヴァルンエスト侯は小さく首を振った。
油断をしたつもりはなかった。だがこれは自分の失態だと、奥歯を噛み締める。
「考えるな、今は外へ!」
ヴァルンエスト侯の叱咤を受けて、扉の外へとまろびでる。
今のナタンにはそれが精一杯であった。
雨の篠つく戸外へ出た途端に足から力が抜けて、思わずその場に倒れ込む。
体が重い。この感覚は出血だけではない。刃に毒を仕込むのが彼等、黒装束の者達の常套手段だ。このままでは足手まといにしかならない。だが、そんなナタンの背後で教院の扉が中から閉められる。
「閣下! 何故!!」
重い体を引き上げて扉に縋るが、扉は固く閉ざされたままびくともしない。なおも扉を叩く彼に、ヴァルンエスト侯のくぐもった声が向こうから響いた。
「逃げよ。ここは誰ひとりとして通しはせぬ」
「ですが、閣下が!」
「行け!! 貴殿の証言が全てを法主に繋ぐ!」
「閣下!」
「頼む、行け!!」
くっと唇を噛み締めて、ナタンは無言のままに地面に拳を叩きつける。ぱちゃり、と頬に水滴が跳ね返る。それをぐいと強く拭い取り、彼はふらつきながらも立ち上がった。
扉の向こうから気配が遠のいていくのを感じ取ると、ヴァルンエスト侯は「それでいい」と小さく呟いた。そして痛む脇腹を押えて傷の様子を確認する。
「儂もまだまだか」
ナタン達が襲われた時、彼らを庇うことに気を取られて、刃を避けそこなった。
傷は浅いが感覚が鈍い。この独特の感覚は恐らく麻痺毒の類であろう。毒が回りきれば、身動きが取れなくなる。時間的な猶予は既にない。
「……上等ではないか」
衰えぬ気迫に眼光の鋭さが増す。
帝国騎士団長の名は飾りではない。
ヴァルンエスト侯は刀を正眼に構えると、正面の男達に向き合う。
「見るがいい。これが帝国騎士団の神髄よ!」
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