第4話 臆病者の勇み足

 禊場近くの通りは巡礼者で溢れかえっていた。

 人波を掻き分けてアンリエットが周囲を見渡すと、出店の陰に佇むザインベルグが片手を上げる。

 その動作だけで、辺りにいる女性達の熱視線が彼に向く。


 美形過ぎても隠密行動にならない。

 アンリエットは苦笑いしながら商人に身をやつしているザインベルグとユベールに近付いて行った。


「駄目だな」と開口一番切り捨てる。

「今回の場所は違うか」

「それもそうだが、やはり貴殿は馬車に収まって指示をしてくれている方が良い」

「それはどういう?」

「貴殿は目立つ。どこに立っても女性達の目が行く。隠密行動に向かない顔だな」


 堪えきれずにユベールが吹き出した。

「これはもうお面かぶるか、外套を頭から被っておくしかないなぁ」

「……蒸し暑い雨季にか。しかも仮面でなくお面とか」

「よいではないか。いっそ可愛らしい物にしよう」

「アンリエット殿」


 ザインベルグが軽く睨む。

 アンリエットは、ははっと軽く笑って素直に詫びた。

「すまない、横道に逸れたな。とりあえず報告だが、今日見回った中では不審な動きをしている宿屋はなかった」

「アンリエット殿の隊の持ち場は……」

「ここ、この区画にある宿屋だ」


 3人して地図を覗き込む。

 ユベールが携行用インク壺にペン先を浸して該当区画に大きく×印をつけた。

「大分、潰しては来たがまだまだあるな」

「正直な所、手がかりに近付いているのかどうだか」

 アンリエットは地図上に広がる禊場を眺めて嘆息を洩らす。他の2人も思いは同様のようだ。それぞれに暗い表情で地図を見つめる。


「しかし禊場であるのは間違いない。巡礼者に扮した奴隷のほとんどがこの街に集まって来るからな」

「後は奴隷達が一体、どこに連れられて行くかだな。そちらの方は父上が当たっているが。えっと、ナタン殿だったか。彼と一緒に」

「ええ」

「法主の性格を思えば、やはり隠蔽しやすい教院施設を使いそうなものだが……」

 ザインベルグの呟きにユベールが大仰に顔を顰めた。

「そんなこと言ってもなぁ。玉都は宗教都市でもあるんだ、教院関連の施設なんざごまんとあるぞ」

「だからこそ玉都に集める、という側面も……」


 言い掛けたアンリエットが急に口を噤んで、背後に意識を向ける。すると1人の男がにやついた表情で近づいて来た。

「よぉ、この辺じゃあ見ねぇ顔だが、迷ったってんなら案内するぜ」

「いや、すまんが俺達は……」

 ユベールが愛想よく返そうとした途端、脇から数人の男達が出て来て3人を取り囲んだ。そして鋭利な刃物の先が突きつけられる。


「黙って奥へ行きな。騒いでも碌なことにゃあならねぇぜ」

 言い終わらぬ内に男の顎を、身を伏せたアンリエットの掌底が打ち抜いた。周りが声を上げる前に、アンリエットは更に身を翻し、華麗な体捌きで男達を一瞬の内に地面に叩き伏せた。


「準備運動にもなりゃしない。案山子の方がまだ手応えがある」

「……お見事です」とユベールが一歩下がって言い添える。


 でも、と言って、ザインベルグは地面に落ちた地図を拾いあげた。

「これで答えは出たんじゃないのか?」

「街のならず者に絡まれただけといえばそうかもしれないが」

「それで納得する程、目出度くはない、と」

 3人の視線がかち合う。ユベールが二人を見やりながら、断言した。

「禊場をこれ以上つつかれたくない奴がいる」

「つつく先はここで間違いない、ということだな」


 紙の上に広がる禊場の全景をザインベルグの指がなぞり、最後にタンッと地図を弾いた。

「この中に法主の悪事に辿り着くものがある」


 3人の目線が自然と地図に落ちていく。


 それにしても、と前置きしてアンリエットが呟いた。

「我々をこんな風に襲うとは法主も下手を打ったもんだな……」


◆◇◆


 イルソルス=アマワタル大教院の執務室で、シドウ大教院長・マサカールは膝にくっつく勢いで頭を下げていた。


「誠に申し訳ございませんっ、法主聖下!!」

 

 法主は机の上で太い指を組んだまま、文字通り平身低頭のマサカールの後頭部をじっと見つめる。冷たい怒りを帯びた双眸が不意にすぅと眇められた。


「貴殿ならば私の言う事をちゃんと理解してくれていると思ったのですがね? マサカール卿」


 あくまで穏やかに法主は話す。マサカールは頭を下げた姿勢のままでいよいよ身を固くする。


「警務師の若造が嗅ぎまわろうとも、臆するな、と言ったのをよもや覚えていないとは」

「いえ……あの、法主聖下のお言葉はよく覚えて……」

「ほぉ! 覚えているのに此度の愚行に出たと? それはいかなる理由があってのことか。是非、お聞かせ願いたい」

「いや……あの」

「どのような意図があって警務師の若造を襲撃したのか? まさか答えられないのかね」

「……申し訳ございませんっ!!」


 法主は椅子から立ち上がり、ひたすらに謝り倒すマサカール卿に背を向けた。


「警務師が禊場に入った途端に襲撃するなど、愚の骨頂。ここに何かありますと自白しているのも同然。実に愚かしい。愚か過ぎて溜息すら出ない」

 ふぅ、と鼻から盛大に息をついて、雨季の合間の青空を見上げる。目に染みる程に澄んだ青が目に眩しい。


「そのように慌てなくとも朱玉府の高官達は押えてあります。あの若造が力んだ所で我らに辿り着くことはできまい」

「しかし……ラハルト殿下がお戻りになられたらそれも……」

「分からぬか」

 静かに、だが厳然とした響きを以て法主はぴしゃりと言った。

「ラハルト殿下がお戻りになられるまでは、猶予があるということだ。……ここまで言っても貴殿には理解できないか」 


 マサカールにはもう返事をする気力すらなかった。

 黙ったまま、ふぅふぅと荒く息を吐く彼に告げられたのは死刑宣告にも等しい一言だった。


「貴殿はもうよい。出て行け」

「法主聖下……」


 縋りかかったマサカールだが、向けられた冷徹な視線が彼の心を完膚なきまでに叩きのめした。

 マサカールは顔面蒼白な顔を醜く歪ませて、足を引き摺るようにして出て行った。

 法主の背後でパタリと閉じる扉の音がする。


「まったく」

 法主は深く吐息をついて、ちらりと肩越しに扉を見やった。

「あれもここまでか」


 独りごちて彼は一歩窓に身を寄せる。

「引き続き監視を怠るな。分かっていても腹を探られるのは不愉快でもある。もしもの時はお前達に任せる」

 

 窓の外で風もないのに枝が揺れ、気配がそっと消えて行った。法主は満足そうに、一回だけ頷くと窓に背を向けた。

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