第2話 月夜のお誘い②

「尾のない獣……言い得て妙ですね」

 ザインベルグの言葉にしん、とした沈黙が降りる。


「まぁ、先帝の頃はあのような者はそれこそ掃いて捨てる程にごろごろとおった。だがそのほとんどは陛下の“苛烈な戴冠”の際にこの宮廷から追放されている。処刑された者もおる。ところがそんな激動の時も彼奴だけは涼しい顔ですり抜けて行きおった。本当に狡猾な男だ」

「老獪で一筋縄では行かない、か」

「嫌な方向性での淘汰だ」

 ジョーディはそう言って手元に伏せていた書類をザインベルグに示した。


「報告書、お2人に見せても構わないかい?」

「もちろん」

「警務大務のありがたい許可が出たので」

 書類を渡されたヴァルンエスト侯が部屋の隅と同化しているキリエをチラと見た。

「あの男は大丈夫です。私が保証します」

「色街の男は貝よりも口が堅いと申しますからね。目の前で何が繰り広げられても、胸の内に留めておかれる者だけが生き残るんですよ」

 ジョーディの言葉に、キリエが酷薄な笑みを浮かべる。

 それは肯定のようでもあり、知った風な口を利く彼を嘲っているようでもあった。


「ま、ザインベルグ殿の保証があるならば大丈夫だろう」と頷くヴァルンエスト侯の隣で先に報告書を読み始めていたエストソープが「ううむ」と微かな唸り声を上げた。

「これは……思った以上に悪質な」

「ほぉ。今までも十分に悪質な男だったが。まだ進化を遂げるか」

 老騎士がペラリと報告書をめくる。

 しばらくの間は2人が報告書を繰るささやかな音だけが室内に響いた。

 

 2人が報告書を読み終えるのを見計らったキリエが今度は温かな湯気の上がるお茶を配って回る。

 ヴァルンエスト侯は一口お茶を飲み下すと「これを読んだ後だとより一層、ほっとするな」と苦々しく呟いた。

「それが我ら警務師が命を賭けて調べ上げた成果です」

「……そうか。命を」

「昔からアレの資金源を調べると必ず人死にが出る。これだけの成果だ。正しく心血を注いだのであろう」

 エストソープは敬虔に頭を垂れて、胸に手を当てた。

「斃れた勇士達にフィレス神の御恵みがあらんことを」

「ありがとうございます」

「それにしても捕えた棄民を巡礼者に仕立てて移送とは。法主の地位にある者の所業とは思えん」

 まったく、と吐息を洩らしてヴァルンエスト侯は再びお茶を飲む。

「それなんですけどね」と言い掛けてジョーディが振り返る。ザインベルグは、どうぞと先を促した。


「事はこれだけでは済まないと見ています」

「と言うと?」

「金の密輸。もしかすると法主はそれに絡んでいるのではないかと」

 エストソープが口に運びかけていた茶碗がぴたりと止める。そしてゆっくりと傍らのヴァルンエスト侯を見て、受け皿に茶碗を戻した。


「私が呼ばれた理由はそれか」

「まだ確証はありません。金でなければ他の希少金属や宝石の可能性もありますが」

 身を乗り出す若者2人を前に、エストソープは低く唸って腕を組む。

 ややあってから、報告書を読むために掛けていた読書用眼鏡を卓に置いて、彼の大務は「あるとすれば、金であろうな」と一言。


「精道銀や宝石の相場は特段の変動はない。ただ金の相場は乱高下を繰り返している。市場に出回る金の流通量の計算があわないのだ。そのせいで帝国貨幣の下落が続いている」

「金相場に不安定な兆しが見え始めたのは、もしや3年程前からではないでしょうか?」

「3年前?」

 エストソープが鋭く訊き返す。ザインベルグはその視線を受けて、しっかりと首肯した。

「この場ではっきりと3年前からと断言することはできないが、おおむねそのくらいからではある」

 エストソープの物言いは慎重だった。しかし言葉とは裏腹に彼の目には確信めいた輝きがある。


「まず間違いはないだろう。だが、どうやって玉都に金を持ち込む? 金の流通は特に厳重な管理を重ねているはずだ」

「奴隷売買。そこに答えがあるのではと考えています」

 問い掛けたヴァルンエスト侯に向き直って、ザインベルグは熱心に言い添えた。

 胸の内に甦る法主の自信に満ちた笑みが、その熱に拍車をかける。


「実はその報告書には記載されておりませんが、売られたはずの奴隷の一部が玉都に集められているのです」

「しかも玉都に入ったのは確認されるのですが、そこで行方が途絶える」


 ヴァルンエスト侯が咳払いする。

 彼は長い顎鬚をしごきながら宙に視線を彷徨わせた。

「つまり貴殿らの推測では、玉都に集められた奴隷達が金の密輸に関わっていると」

「それで3年前か。法主の奴隷売買が大体その辺りから始まっていると」


 しかしなぁ、とエストソープは洩らす。

「少々、結論を急ぎ過ぎているように感じる。確かにここ数年の金相場の動きと辻褄は合うが」

「おっしゃる通りです。推測の域は出ません。だからこそ物証が欲しい」

「……奴隷の行方を突き止めれば」

 ヴァルンエスト侯の視線とザインベルグのそれがかち合った。


「手を貸していただけるでしょうか」

「なるほどな。警務師を動かすと法主に知れる。そういうことか」

「ええ。その点、騎士団ならば」


 顎鬚をしごく手が止まる。

 ヴァルンエスト侯は「あれは追い詰めた時が一番危ない」と呟いて、トトンと卓を指先で弾いた。そして、分かった、と厳かに首を縦に振る。


「団員から目ぼしい者を見繕おう」

「是非!」

 ジョーディがポンとザインベルグの背中を親し気に叩いた。


「まだ金の密輸とは決まってはないが」

 前置きしてヴァルンエスト侯が一同を見渡した。老騎士の真剣な眼差しに、緩みかけた空気が緊張感を取り戻す。


「もしそうならば相当な大罪だ。法主の抵抗も今までの比ではないだろう。我々も心してかからねばならぬ」

「はい」

「では私は金相場について精査してみようかの。あらゆる方面から追い詰めねばならん」

「神々の手は遅くとも長い」


 部屋の隅から不意に声が上がった。

 4人の注目を浴びた色街の名札引きは、それらの視線を弾き返して艶然と微笑む。

「清算の時ですね」

「……40年近い狼藉だ。どれだけのツケになっているか」とヴァルンエスト侯が呟く。

「きっちりと耳を揃えて払わせましょう」

 力強く言い切ってザインベルグは、拳に力を込める。


「これ以上、甘い汁を吸わせてはならない。あれにふさわしいのは甘い汁ではなく辛酸だ」

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