第2章 巡る欲望
第1話 月夜のお誘い①
“ たまには小鳥のさえずりでも聞きながら、月夜のお茶会でもどうだい? ”
小鳥亭の離れに入って来たザインベルグは、ジョーディからの手紙をクシャリと潰して開口一番厳しく斬り込んだ。
「どうして貴殿にここへ呼び出されるのか解せぬのですが」
「僕だって君の領域に踏み込むつもりはなかったのだよ? でもなぁ、色街で噂の七大楼
「あなたという人は! ふざけずにはおれないのですかね?!」
「えー? 手を叩いて喜んでくれると思ったのだが」
「こんな下らないことで叩く手など持ち合わせておりません」
「いやぁ、怖ろしく不機嫌だなぁ。ねぇ?」
ジョーディに囁かれたスイハがしっとりと微笑んだ。
しゃなりと立ち上がった彼女の豊かな亜麻色の髪で、カワセミの羽から作られた
「アルフレッド様。私の前でそんなお顔をなさってはいけませんわ」
つつ、と手の甲をスイハの形良い指が艶めかしく滑った。
「どうぞお座りになって?」
そう言われては断る術はない。
憤懣やる方ない、という風情で腰を降ろしたザインベルグにジョーディはあくまで朗らかに話しかけて来る。
「すまないが今日は酒はなしだよ。ご案内の通りお茶会だからね」
「……他にも見えるのですか?」
ザインベルグの視線が卓を挟んで向かいに設けられた席に釘づけになった。
「そちらの方もおっつけお見えになるでしょうよ」
「お前まで……」
部屋の隅から出て来た影に文字通り頭を抱える。
キリエは黒衣の襟元をスッと正して、神妙に咳払いした。しかし、すぐに性悪に笑ってみせる。
「旦那は果報者でさ。話の分かるいい
「全くだよ、キリエ君。もっと言っておやり。こんなに素敵な妓楼を僕に伏せていた罰だ」
それに、とジョーディはザインベルグに片手を添えて立つスイハの手の甲に口づけを落とした。
「月をも霞む妙なる麗人をお待たせするとは実にけしからん」
ふふ、と紅を引いた唇の両端がまろやかに弧を描く。ところが彼女はジョーディの手の内からする、と手を引き抜いた。
そしてザインベルグに背後から抱きつくと「待つのも楽しみの内ですわ。ねぇ? アルフレッド様」
温かな吐息が耳に掛かる。
「きっといらして下さいませね」
甘やかな囁きと共に、浅い痛みが耳に残る。この上もなく
「素晴らしい! いいなぁ、物凄く好みだよ」
浮ついた調子で軽口を叩く義兄をじっと見据える。すると彼は澄ました顔で言い返した。
「分かってるよ、昵懇になったりはしないから。そちらの方でも兄弟になる気なんてさらさらないよ」
「そりゃあ傑作だ」
「何が傑作なものか。お前はもう少し慎重な男だと思っていたぞ」
手を打って笑うキリエも睨み付けて、ザインベルグは何度目かの溜息を深くついた。
「それで? 月も見えない室内で何を見ながらお茶会をなさるので?」
「引っ張るねぇ。まぁ月はないけど収穫はあるさ、きっと」
コンコンと扉が小さく鳴る。
キリエがいち早く扉を開けると、年の頃20歳前後の若い男が顔を覗かせた。キリエと同じように、屋号を染め抜いた“印半纏”という異国の衣装を羽織っている。恐らくは彼も札引きなのであろう。
「キリエさん、お見えです」
「すまないね、後はいいよ。僕がやるから。お前はマティカの機嫌でも取っておやり」
若い男は素直に頷くと、身を引いて丁寧に頭を下げた。
「こちらでお待ちでございます」
「うむ」と重厚な声が返る。
聞き覚えのある声に思わず戸口を凝視する。
「このような場所に来るのは久方ぶりだの。年甲斐もなく緊張するわい」
「昔は不夜城にこの人あり、と言われるくらいに入り浸っていた奴の言葉とも思えんな」
慇懃に頭を下げるキリエの向こうで、ほほっと肩を叩き合う2人の老人が見えた途端にザインベルグは弾かれたように椅子から立ち上がった。
慌てて略礼を取った彼に、近衛騎士団長・ヴァルンエスト侯は気さくに話しかけて来る。
「これこれそのようにしゃちほこばらんでも良い。場所も場所だ。そういうことはやめておこうではないか、なぁ? エストソープ殿」
「そうですぞ、ザインベルグ殿。それに我らは同じ大務同士ではないですか」
「いや、しかし」
「とりあえずは座りたいな。ジジイには立ち話が辛い」
「お久し振りです、ルーザー様」
「おぉ、ジョーディか。相変わらずおかしな孔雀みたいなナリだの」
「褒め言葉と思っておきましょう」
「これはどういう……」
呆然と呟くザインベルグに向けられたのはジョーディの無邪気な瞳だった。
「どういうって。ヴァルンエスト侯とエストソープ上級伯夫君だが?」
「いや、それは分かっています。何故、お2人がこの場に?」
「僕が呼んだからだよ」
事も無げに言ってのけて、ジョーディはポンポンと自分の隣の椅子を叩いた。
「ほら、早く座りたまえ。お茶会と洒落込もうじゃないか」
「旦那、いつまで突っ立っている気で? 座ってくれないと給仕もできやしない」
「……ふざけた給仕だ」
ザインベルグが憤然として座る。
キリエは4人それぞれの元にてきぱきと涼やかに汗のかいた茶碗と添え物の甘味を配ると、部屋の片隅にある小卓の脇に立った。
「ま、気楽に飲みながら話しましょうか」
「今日の集まりは一体」
「何だ義弟にしては察しの悪い。目下、我々が関わっている件についての集まりだよ」
「しかし、何故ヴァルンエスト侯が」
「じゃあ、その辺りから話そうかの」
すいっとお茶を飲んでから、ヴァルンエスト侯は静かに切り出した。
「実は我ら帝国騎士団も法主の金の流れについて追っているのだ」
「帝国騎士団が?」
当惑に眉をひそめる。
法主の金の流れなど、どう考えても帝国騎士団が追う内容ではない。
「貴殿の戸惑いは分かる。貴人警護を主とする我らの領分からは大きく外れておるからな」
「ただねこれには深いワケがあるのさ」
「元々、法主の金の流れについて注目していたのはラハルト殿下なのだよ」
「……つまりは朱玉府」
ヴァルンエスト侯はザインベルグに向けて、重々しく首肯する。
「あのような者が長年、帝国真教の法主でいられるのも偏に用意周到な根回しにある。ただ根回しというのは存外に資金のかかることだ」
「だが、法主の領地から上がる収入を思うとどうにも……な」
言葉を濁したエストソープに「収支が合わない?」と水を向けると、彼はふさふさとした真っ白な眉を下げる。
「ま、そういうことだ」
「ラハルト殿下も、随分と長いこと法主の周辺を探っておったが彼奴は中々尻尾を出さん。そうこうしている内に、陛下より北方の妖魔討伐の命令が出てしまった。それで殿下に成り代わり、私がその捜査を受け継いでおるのだ」
「それで帝国騎士団が」
「僕達とヴァルンエスト侯との目的はほとんど一緒だ。この際、手を取り合った方がいいと思ってね」
「えぇ……まぁ」
忌々しい程に末恐ろしい男だ。
ザインベルグは隣に座るジョーディを盗み見た。
法主の悪事を暴くために、警務大務と帝国騎士団長を仲立ちする無位無官の23歳など、そうそういるものではない。
ザインベルグの視線に気づいたジョーディが、得意そうにウィンクする。
ふざけた男だ、と内心吐き捨てて睨み返すも、彼はどこ吹く風とのんびりとお茶を飲んでいる。
忌々しく、出しゃばりな男ではあるが、情報収集の腕は本物だ。それだけで普段の奇矯ぶりにお釣りが来る程に。
ザインベルグは軽く頭を振って気持ちを切り替えた。
「しかしラハルト殿下が長年、内偵を入れてもボロを出さないとは。我らも心してかからねばなりませんね」
ヴァルンエスト侯は手にした茶碗を受け皿に戻して、「全くだ」と答える。白い顎鬚を胸まで垂らした老騎士の顔からは好々爺の色が消えていた。
「法主は手強い。あれこそ尾のない獣だ」
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