第5話 欲望の通る道 ①
咲き誇る満開の薔薇に彩られた小道の奥に行くと、赤茶色のレンガが特徴的な平屋の一軒家が見えて来る。ジョーディ所有のヴィラは小さいながらも瀟洒な建物だった。
夕闇に沈み始めた薔薇達を背景にナタンは集まった面子、ジョーディ、ユベール、ザインベルグを順番に眺めた。
「体調はどうだ?」とザインベルグが尋ねると彼は存外に快活な笑顔を返す。
「大分、回復して参りました。少々、怠さは残っておりますが」
「怠さは白緑法の後遺症だなぁ。ま、若くて体力もあるから一両日中には回復するよ」
自分よりも10は若いジョーディにそう言われたナタンは、可笑しそうに「ふふ」と声を洩らした。
「大務殿の素敵な義兄のおかげでどうにか命を繋ぎました」
「その言い方はやめろ」
「つれない義弟だ。照れ隠しかい?」
2人の掛け合いにささやかな笑い声が上がる。
だが、気の置けない者同士の和やかな雰囲気はナタンの「私に聞きたいことがあるとのことですが?」という一言で一転した。
「聞きたい……こと、と言ってもな」
ザインベルグは額に手をやってドサリと椅子の背にもたれた。切れ者の彼の常ならぬ様子をナタンは膝を揃えたまま見守っている。
「これが聞きたい、とはっきりしている何かがあるわけではないのだ」
「いやぁ、アルフレッドが言うにはな? 朝議の後で話しかけて来た法主の態度が気にかかると。これとは言えん違和感があると。そんな話なんだよ」
「雲を掴むような話だ。義弟らしくもない」
そう口を挟んでジョーディは薄く笑う。
「しかし、そういう勘は得てして真理に繋がっていたりする。事は重大だ。少しの違和感でも潰して行った方がいいだろう」
「そう……ですね。何せ私達、警務師はこの件に3年の月日と密偵達との命を費やしております。詰めを見誤って法主に逃げられるのだけは避けなければなりません」
深刻に言葉を添えてナタンはきっぱりと目を上げた。
「御三方とも私の報告書はお読みでしょうが、今一度我らの調べ上げた事実を申し上げましょう。事件をおさらいすることで、大務殿の感じた法主への違和感の正体も分かるやも知れません」
「そもそもの事の起こりは棄民狩りの情報が各領地から相次いだことだったね?」
ジョーディの合いの手に、ナタンは彼の方に顔を向けて真摯に首肯する。
「そうです。税金を払いきれなかったり、治安の悪化などで領地を離れ、放浪する民を襲って闇のルートで奴隷として売り捌く。その種の犯罪は昔からあるものです。だが3年程前に各領地や各天領地から上がって来た報告は従来のものとは様相が違っておりました」
「件数も姿を消した人数もダントツで多い。しかも帝国全域と言っていい規模だった」
ユベールがナタンの言葉を補って、彼と頷き合う。ザインベルグも当時の記憶を手繰り寄せて眉をひそめた。
「盗賊が気まぐれに行う棄民狩りとは余りに違い過ぎる。……統率された手口と規模。どう考えても組織的に棄民狩りをしている者がいる。それがそもそもの出発点だったな」
「はい」
「それで時の警務大務、メサーユンデール侯も看過できないと捜査を命じた。という流れか」
「概ねそういう流れでした」
ジョーディが不意に立ち上がり、暖炉の方へと歩いていく。彼はマントルピースの上に置いてある細身のシガレットを取り出すと、居合わせた面々に片眉を上げて見せる。
その場の誰もが首を振ると、彼は備えつけの金属片をシガレットの先に当てた。金属片に仕込まれた火の精道法が発動して、シガレットの先がぽうっと赤くなる。
「しかし何でその棄民狩りの黒幕に法主の名が挙がったんだい?」
「まぁ、移送方法がですね、教団が関わっていないとやれないというか」とユベール。
片手で髪を撫で上げる彼からは疲労感が滲み出ている。
それも当然だ。今や首席准参預となったユベールはこの件だけに関わっていられる訳ではない。
「何せ捕えた棄民達を巡礼団に仕立て上げて移送してましたからね。思えば巡礼のあの恰好というのは色々と隠すのに有利でしょう」
そう言いながら、ザインベルグはマントルピースに寄りかかったまま、白く細く息を吐くジョーディを何となく眺める。
「そうだねぇ」シガレットを咥えたままジョーディが同意した。
「ゆったりとした法服ならば繋がれた手鎖も隠しやすいし、フードを被って顔を隠していても不審には思われない。そして何よりも老若男女が大勢でぞろぞろ歩いていても怪しまれない」
ジョーディは1人合点して何度も頷く。
「悪質だが賢いやり方だ」
「全く以て、実に悪賢い。その上、輸送されていく本人達自ら歩かせれば馬車を手配する必要さえない。しかも途中で倒れた者は道端に放って行けばよいと来ている」
「聞くもおぞましい」
ユベールの言葉にザインベルグは短く吐き捨てた。そして胸に凝る汚泥のような痛ましさをお茶と共に飲み下す。
「教団がそのように棄民達を巡礼団に仕立て上げて輸送している以上、そのトップたる法主がそれを知らぬはずがない。現に棄民狩りについての捜査が進む程に、法主からの妨害があの手この手で入るようになって来たのは確かです」
「送り込んだ密偵達もナタン以外は全て殺されてしまいましたからね」
「そう……ですね」
うつむいたナタンの両手に力が籠る。
仲間が1人、また1人と斃れて行く無念を抱えてここまでやって来たのだ。彼の胸中を思うと飲み込んだはずの痛ましさが、再びせり上がって来る。
「お前はよくやってくれた、ナタン。本当に」
「しかし大務殿の見立てでは法主はまだ余裕の態度だったと?」
うつむいた姿勢のままでナタンは重々しく呟く。
「だからこそ困っている。玉都に入る手前で仕留めようとした程にお前を追跡していたのに、何故あのように朗らかに話しかけて来たのか。法主とてナタンが玉都に入った以上、我々に報告がもたらされるのは容易に想像がつくはずだ」
「帝国真教が裏で奴隷売買をしていたとなれば、そのトップたる法主が無関係でいられるわけがない。なのに、か……」
溜息と共に腕を組んだユベールだが、すぐに腕を振りほどいた。
「いや、分からん!! ジョーディ殿、申し訳ないが私も一服いただきたい!」
「もちろんだとも。大いにやってくれたまえ」
快く煙草盆をユベールの前に置いて、ジョーディはいつもの如才なさでナタンとザインベルグにも勧める。
ナタンは今度も首を振ったが、ザインベルグはとりあえず気分を変えたくて手を伸ばした。
「私も、もう一服しようかな」とジョーディも加わり、結局3人で一斉に煙を燻らす。
煮詰まった気持ちがほぐれて解放されて行く感覚を噛み締めている内に、ある考えが闇の中からゆっくりと頭もたげて来た。
「実は、ばれてもいいと思っているのか……」
「何を?」勢いよく煙を吐きながらユベールが訊いて来る。
「だから! 私達は棄民狩りこそが法主の尻尾だと思っている。だが、今朝の法主の様子は我らの思惑とは違っていた。ということは棄民狩りそのものは法主の葬り去りたいことではないのでは?」
「つまり罪を逃れる算段が出来ている部分ということか」
ジョーディに向かって首肯してザインベルグはシガレットを一吸いした。クリアになっていく頭の中でその先、その先が描かれて行く。
「それでもナタンが襲われた事実はある。棄民狩りそのものは法主の致命傷とならずとも、法主の隠したいことに繋がっているとしたら?」
「まだ別の何かがある……致命傷足りえる何かが」
ザインベルグの言葉を受けて、ジョーディが呟く。彼の呟きは余韻となって宙に溶け込んで行った。
紫煙と共にたなびいていくその考えに、じっと考え込んでいたナタンがぽそりと答えた。
「不確定のため報告書には載せなかったのですが……実はあの棄民狩りには不可解な流れがあるのです」
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