第4話 鴉の手引き

 執務室の扉を開けると、親友の軽口がザインベルグを出迎えた。


「よぉ。盛大に捕まっていたな」

「見ていたのか」

「お気の毒様なことで」

「思ってもないことを」


 ユベールは「バレたか」と肩を揺すって笑う。ザインベルグは苦笑いと共に執務机の椅子に腰を降ろした。


「ほら、出来てるぜ」

 

 目の前にどさり、と書類の束が置かれる。

 前任の警務大務・メサーユンデール侯爵の頃からの執念が結実した成果を前に、ユベールは満足そうに腕を組んだ。


「後はラハルト殿下さえ戻ってくればね。これだけ揃っていれば朱玉府やつらだって動くだろうよ」

「そうだな」


 昨日までのザインベルグならばユベールの言葉に大いに賛同しただろう。だが法主の様子を見た今となっては、勝利の確信に酔いしれるのは時期尚早ではと囁く己がいる。


 資料にざっと目を通す。

 ユベールの資料は非常に良くまとまっていた。この短期間でよくぞここまで的確にまとめあげたと、改めて彼の才覚に舌を巻く。


「十分だな。よくまとまっている」

「これでいよいよあの狸も年貢の納め時か」

「まぁな」

「どうしたよ 歯切れ悪りぃな」 

 ぺらぺらと資料をめくってから、ユベールを一瞥する。彼は腕を組んだまま快活にザインベルグを見下ろしている。

 その表情はザインベルグとは対照的に、開け始めた展望に向けて明るい兆しを感じているものだ。


「いやなぁ」

 頬杖をついてためらう。

 視線を資料の上で彷徨わせながらザインベルグは吐露した。

「引っかかるんだよ」

「何が」

「いや、些細なことなんだが」

「えらく勿体付けるじゃないか」

「確固とした証拠があることじゃないんだ。本当に単なる直感なんだよ」


 慎重に前置きして重い吐息をつく。

「法主の様子が引っかかる」

「ほぉ?」

 ユベールの眉が持ち上がった。2人の視線がかち合う。ユベールは顎をしゃくって先を促した。


「御前会議の後で少し立ち話をしたんだが。何と言うか……。いつも通りというか」

 上手く言えないもどかしさが苛立たしくて、頭をくしゃりと乱暴に掻きあげる。

「焦っている様子がない?」

「そう……だな。ナタンが無事に戻ったのは法主も分かってるはずだ。それが何を意味するかも。なのに追い詰められた者特有の揺らぎがない。そんな感じがした」

「まだ余裕がある?」

 ザインベルグはゆっくりと頷いた。

「あくまで私の直感なんだ。考え過ぎの可能性もある」


 ユベールは片手を顎に当てて黙り込んでしまった。

 ザインベルグが入って来た時の楽観的な様子が一転、彼の眉間には深い憂慮が現れている。


「ラハルト殿下が戻ってくるまでは、まだ間がある」

 呟いてユベールを見上げる。

「その前に一度、ナタンから直接話を聞いた方がいいのかもしれない」

「……まぁ。殿下がいない朱玉府に急いで提出する謂れもないわな」

 ザインベルグは頬杖を解いて背筋を伸ばした。それに呼応してユベールは足の重心を換える。


「それにな、そういう直感は大事にした方がいい。俺はそう思う」

「すまないな」

「いいってことよ。慎重に行こう」

 

 笑顔と共にユベールが拳を突きだす。その拳に軽く自分の拳を合わせてザインベルグはようやく口元を綻ばせた。


◆◇◆


 1日の業務を早めに片づけたザインベルグは警務師を出て、ドゥール=ベルテシアにあるツェレッティン=ミスティア大教院へキリエと共に向かった。


「よくぞ、来て下さりましたな」

 

 執務室に入るとアデバ大教院長は、太い腕を大きく広げてザインベルグを出迎えた。聖職者らしからぬ、がっちりと盛り上がった肩の筋肉にザインベルグが一瞬怯む。その様子を目ざとく見抜いたキリエがにやりといつもの笑みで大教院長をたしなめた。


「いけませんぜ、アデバ様。警務大務は見ての通りの優男だ。そんなごつい手で抱き締めたら折れてしやいます」

「優男は余分だ」

 ぎろりと横目でキリエを睨む。彼は気にした風もなくけろりと肩を竦めた。


「お前は相も変わらず口ばっかりよく回る」

「へぇ。それが仕事なもんで」

「黙っておれば倡伎男娼のトップを張れそうな顔をしておるのに」

「お言葉ですがね、大教院長」

 キリエはクッっとわずかに顎を引く。その動作だけで、端正な顔立ちに抗えない悪さが滲み出る。

「顔だけでトップ張れる程、ドゥール=ベルテシアは甘くないですぜ?」

「ま、それはそうだ」


 頭を後ろに反らしてアデバは、ははっと明け透けに笑った。

 語る声は野太く、人によっては怖いと捉えるかもしれない。それでも巨体から滲み出る頼もしさが威圧感だけの人間ではないことを示している。


「あの下らない裁判以来でしたな」


 ソファに腰を降ろしたザインベルグにアデバは穏やかに声を掛けた。

 法主主導の皇太子弾劾裁判において、唯一人異議を唱えたのがアデバ大教院長であることが頭の片隅を過ぎる。


「弾劾裁判をアデバ様が下らないって言っちゃあお終いでしょうがよ」

「下らないものを下らないと言って何が悪いのか。あんな結論ありきのひどい茶番は時間の無駄だ」

「そんなんだからいつまで経っても法主に煙たがられるんでさ」

 キリエの苦言に大教院長は、ふんと鼻を鳴らすのみだったが、一転、ザインベルグに向き直ると丁寧な物腰で謝意を述べる。


「高貴なる薔薇そうび楼の件では骨折りいただいて申し訳なかった。直にお礼を申し上げたかったが中々に身体が空かず。不義理を致しました」

「いや、礼には及びません。私ができることもドゥール=ベルテシアの外でネズミを捕まえる程度のこと。その後はいかがでしょうか?」

「それがですななぁ」


 歯切れの悪い言い方で言葉を切り、アデバは顎鬚をしごく。ごつい指が存外に細やかな動作をする様につい注目していると、キリエの苦々しい声が場に鋭く上がった。


「それが元の木阿弥なんでさ、旦那」

「というと?」

「奴らは絶賛掟破り中。借金のカタに奪った女達を禊も受けさせないままに酷使してまさ。しかも15歳以下はご法度だってのに、この間保護した子は8歳でしたぜ」

「なんと惨い」


 思わず唸ったザインベルグの語尾に、ドンッと衝撃が重なった。見ると、アデバが鬼神のごとき形相で拳を机に打ち付けていた。


「何と言う面汚し! 女神ミスティアに対するこれ程の侮辱はない」

 憤怒と共に言いきって、アデバは熱心に語り始めた。

「この街の娼妓達は単なる春をひさぐ者じゃあない。禊を受けて、ミスティア神の慈愛を体現する女神の使徒達だ。体を開くも開かないも全ては娼妓達の自由でなければならん。無理矢理に連れて来て酷使するなど一番あってはならんことだ」

「ミスティア神の美と愛を示す街で、あんな無体な真似されちゃあ、あっし達としても憤懣やる方ない」

「……しかもそれを指摘するとならず者がやって来て、店と娼妓達に嫌がらせをするという話だったな?」


 キリエの言葉に言い添える。

 怒れる大教院長と遣り手札引きは揃って深く頷いた。


「それで旦那にならず者の捕縛をお願いしたわけですが。一時は収まったが、最近また」

「元の木阿弥、と」

「由々しきことです」

 アデバは深く息をついて、太い腕を組んだ。

 こればかりは、と前置きしてザインベルグも厳しく表情を引き締める。


「定期的に取り締まりを続けて行くしかないでしょうね。我々、警務師は街に入るゴロツキを外で抑えて、貴殿ら大教院の方々には」

「中で“高貴なる薔薇楼”にけじめをつけさせる、と」

「でも、あの妓楼の持ち主は警務師大師卿のランディバル侯爵ですよね? 何とかできんのですか、旦那。例えば大師卿の地位を取り上げるとか」

「残念ながら、大務の方針に対して意見を述べるのが大師卿の役割だ。私の方から大師卿の人事に口を出すことはできん」

「そんなこと位お前なら百も承知だろうに。無体を申すな」


 アデバのたしなめにキリエは蓮っ葉な一瞥をくれて、「あっしだって重々承知の上でさ」と強く両手を握りしめた。

 筋が浮かぶ程に込められた強さに、彼がこの街に寄せる想いの強さが色濃く現れている。


「分かっている。できる事は共に続けて行こう」

 ぽん、と傍らに座る彼の肩に手を置く。

 ぎろりと下から見上げて来る瞳は並々ならぬ思いに溢れ、強く照り輝いていた。

 その光が生来の美貌と相まって、凄惨な程の美をこちらに放って来る。キリエの凄みに重なるように艶然と微笑むスイハの面影が魅惑的に浮かんだ。


「……色街に関わるものは全てが実に美しい。この街が無法に蹂躙されることがあってはならん」


 ザインベルグの結論に、アデバとキリエがそれぞれに重く同意する。

 窓辺に置れた精道銀のミスティア神像が、大教院長の肩越しに燦然とした光を放つのを、ザインベルグは祈りに似た思いを込めて見つめた。



「今日はご苦労だったな」

 丁重に腰を屈める修道士に会釈を返してから、ザインベルグはキリエを労った。

 先程の激情を綺麗さっぱりと落とした彼は、いつも通りの正体不明な笑顔で応える。

「とんでもござんせん。アデバ様とはいづれお引き合わせしたかったので、いい機会でございやした」


 で?、と不敵に見返してキリエは両手を広げた。

 袂をたっぷりと取った着物状の黒い上衣と相まって、黒い鳥がばさりと羽を広げた感じにも見える。


「これからどうしやすか? 繰り出すにはいい塩梅の夜ですぜ」

「いや、今日はいい」

 苦笑交じりに首を振って声を潜めた。

「これからナタンに会う」

「……ほぉ」

 すぅとキリエの目が細くなった。

「承知致しました。今宵の旦那は小鳥亭で一晩お寛ぎ、ということで」

「まだ何も言ってないぞ」

「このあっしが言われるまで待っているボンクラだとでも?」

「まぁ、万事お前に任す」

「委細承知」


 黒塗りの何の装飾もない質素な馬車がやって来る。静かに脇に止まった馬車の扉を自ら開けて、ザインベルグは中に乗り込んだ。

 座席に収まった彼は見送るキリエに向けて片手を上げた。

 

 当代一の名札引きはややおどけた仕草でひょいと頭を下げて見せる。全てを覆い隠す不敵な微笑みに見送られて、ザインベルグはツェレッティン=ミスティア大教院を後にした。




 

 



 

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