第3話 カザクラの鬼 ②

「お待ちください、ナギハ殿」


 ナギハの足が止まる。

 振り返った瞳は冷たく底光りしていた。一切の情を受け付けない強固な意思の宿る目だ。

 同世代とは思えない迫力に竦みそうになる。しかしここで引いたら後がないという、悲壮な覚悟がフェスタローゼを後押しした。


「ナギハ殿のおっしゃる通り、現状の私は皆のお荷物です。反論のしようがありません」

 冷徹な瞳が微かに揺らいだ。ナギハは無言のままに続きを促す。その事にわずかばりの手応えを感じて、フェスタローゼは一歩前に踏み出した。


「それでも私はやるべきことがある。それを成すために自分を変えたい。ここに来ることで何かを掴めるのだとしたら私は帰るわけには行きません」

 

 唇を真摯に引き結んで対峙して来るフェスタローゼからふいっと視線を逸らして、ナギハは窓の外に目を移した。

 その先には踏み固められた広大な演習場があり、周囲には鬱蒼とした深い森がどこまでも続いている。


「ここはご覧の通りの辺境の地だ。我々は体を張って国境線を守り、妖魔と戦い続けている。あの深い森の向こうから迫る脅威に対して常に警戒をし、暮らす日々の中にある。それがどういうことか貴殿は考えたことがあるか」

 

 視線が再びフェスタローゼに戻って来る。それと共に語る言葉に峻厳とした響きが籠もる。


「にも関わらず玉都の連中は安全な場所でくだらない権力闘争に明け暮れ、姑息な領主の専横を許し、辺境の犠牲に目も向けない。挙句に玉都から弾かれた人間が、やるべきことがある? 自分を変えたい? 勝手にやればいい。我らを巻き込むな」

 

 言葉の端々に、不甲斐ない玉都への怒りが伏火のごとくに燃え滾っている。言葉の鋭さよりも滾るその怒りに血の気が引いて行く。


「自分勝手なのは百も承知です」

 声の震えをなるべく抑えて、精一杯の必死さを込めて言う。

「これはただのわがままなのかもしれません。ですが、私にも譲れないものがある。引き下がる訳には行きません。その意地を通す覚悟だけはあるつもりです」

「ほぉ」

 ナギハの切れ長の瞳の奥が愉しげに凄みを増した。


「覚悟と言ったか」

「……はい」

「口では何とでも言えよう。ならばその覚悟示してみよ」


◆◇◆


 カザクラ家の修練場は、武門の家らしく広く立派な造りだった。数多の兵士の鍛練を吸い込んだ修練場はどこか汗臭く、饐えた匂いがする。

 しかし、その鍛練が国境を守る要となっていく事を思うと不快な気分にはならない。


 フェスタローゼは凛と胸を張って、目の前に立つナギハと相対した。ここに来た以上、ナギハの求める「覚悟を示せ」がなんであるかは分かっているつもりだ。


「逃げ出さないのは評価しよう」

 薄く笑ったナギハは傍らに控えるラヴェローから刀を二振り受け取った。そして一振りをフェスタローゼに向けて突き出す。


「受け取れ」

「……って、ちょっと待てって!」

「何だ、守役。うるさいな」

 煩わしそうに顔をしかめたナギハの前にラムダが慌てて立ち塞がる。

「それ真剣だろ?! そんなので打ち合いとか……。 俺が代わりにやる!」

「私は皇太子自身の覚悟を問うている。守役の覚悟など興味ないわ」

「大丈夫、ラムダ。私やるわ」

「いや、だって!」

「ナギハ様! 何やっているんですかっ!!」


 ラムダの憤慨する声に新たな声が重なった。若い男の声だ。

 見ると修練場の入り口に、はぁはぁと肩で息をする青年の姿があった。前髪に張り付いた濃い緑の髪色と息も絶え絶えな様子には、はっきりとした既視感があった。


「切り株嬢に怒られていた奴だ」

「守役は私の名を覚える気がないのか」

「おぉ、エルマイネ。今日中に帰って来れたか。重畳、重畳」

 ラヴェローが精悍な頬を緩ませて、朗らかに青年を出迎える。エルマイネは滴る滝のごとき汗を手の甲でぐいと手荒に拭いて、修練場へと入って来た。

「この方は……?」

「これは私の一番上の孫です。修練に出ないと部屋に籠りきりなのでナギハ様に引っ張り出されておったのです」

 

 エルマイネは未だ肩を上下させつつも、右手を胸に添えて型通りの立礼を行った。

「お初に御目に掛かります。皇太子殿下。エルマイネ=ホトゥレリア=カザクラと申します」

 そう言うなり彼はフェスタローゼの名乗りも聞かずに、巨体の祖父を下から睨み上げる。一方のラヴェローはわざとらしいくらいにきょとんとした表情で孫を見つめた。


「お爺様。さすがにこれはまずいでしょう。何故お諫めにならないのですか」

「まずいと言われても、この御方はナギハ様の客人だからの」

「でも皇太子殿下に真剣で打ち合えなどと……ナギハ様も自重してくださりませ」

「何を言うか。私は覚悟の程を見届けるだけだ。殺しはせん」

「そんなの当然ですっ! 怪我をさせるのもご法度です!!」


 彼は憤然と修練場の片隅に駆け寄って、まとめて置いてあった木刀を引っ掴んで戻って来た。そしてそれをナギハにずいっと差し出す。

「どうしても打ち合いをするならこれで!」

「ええー。つまらんのぉ」とナギハは渋々木刀を受け取る。

 

 受け取りはしたものの、嫌々という感情が眉のあたりに張り付いている。それでも、エルマイネの提案に一理ありと思ったのか、「仕方ない」と呟いて彼女は木刀を正眼に構えた。


「どこからでも参られよ」


 フェスタローゼも見様見真似で木刀を構える。自分でも可笑しくなってしまう程に切っ先が細かく震えていた。

 剣技の造詣がないフェスタローゼであってもナギハの隙のなさは十二分に分かる。対する自分の構えの無様さも。

 

 しかしここで見せるべきは剣技の妙ではない。自分の覚悟の程だ。

 自らにそう言い聞かせて、フェスタローゼは大きく息を吸いこむ。そして一歩踏み込み、木刀を振り上げた瞬間。


「え?!」


 いつ一撃が走ったのか。

 全く分からないままにフェスタローゼの木刀が木端微塵の木片となって床に散らばった。

 手の内に残された柄の部分だけを呆然と見つめる。何が起きたのか皆目見当がつかない。


「あぁ、やっぱり木刀ではもたないな」

 ナギハのぼやきに彼女の方を見ると、ナギハの木刀もまた柄の部分だけを残して木屑と化していた。

「えと……」

 これは普通のことなのか、と思わず訊きかけた時、脇で見ていたラムダが「お前っ!」と素っ頓狂な声を上げる。

 彼は真っ直ぐにナギハを指差して、

「エフィオンだろ、あんた!」

「あんたじゃない、ナギハだ」

 冷静に言い返す彼女の口元に、からかう影がふと張り付く。

「何だ、今気づいたのか。とうに分かっておるものと思ったが」

「エフィオン……どういうこと?」

 戸惑って呟く。

 フェスタローゼの疑問にラヴェローが小さく咳払いをして答えた。


「ナギハ様は当家に生まれたエフィオンなのです。外見こそ少女ですが約250年の長きに渡ってカザクラ家を見守って来られた御方です」

「年齢を言うな、ラヴェロー。自覚すると老け込んでしまうわ」

 それは失敬、と身を屈めた祖父の横から呆れ顔のエルマイネが「老け込むくらいが丁度いいのでは?」

「エフィオンなのに真剣で姫様と打ち合おうとしてたのかよ、やべぇだろ」

「皇族に付くエフィオンというのはいつの時代もうるさいな。情が移り過ぎだろ。乳母か」

「乳母でも何でもいいよ。お前さんがエフィオンと分かった以上、打ち合いは駄目だ。姫様の覚悟を計るならもう十分だろ?」

「それを決めるのは私達ではないでしょう、ラムダ」


 フェスタローゼはエルマイネに近付き、彼の手から刀を二振りもぎ取った。

「殿下!」というエルマイネの声を背に、一振りをナギハに差し出す。

「私の覚悟の程をご照覧ください、ナギハ殿」

「ダメだって、姫様!!」

「いつまでも、いつまでもっ!!」

 ぐんと感情が跳ね上がる。フェスタローゼは慣れない手つきで鞘を振り払い、かたかたと揺れる切っ先を何とか正眼に構えた。


「守られて、囲われる私ではこの先なんてないっ!」


 一歩踏み出す。愚直なまでに真っ直ぐに振り下ろされた一撃は簡単に薙ぎ返されて、がら空きになった腹に容赦ない一蹴りが入る。背中から床にたたきつけられて息が一瞬飛ぶ。

 強烈な蹴りに痛む腹を押えつつも立ち上がり、再び正眼に構える。

 考えても意味がない、到底一太刀すら浴びせられない相手だ。ナギハもそんなことは求めていないだろう。


「でやぁぁぁっ!」


 気合の咆哮と共に突き出した刀もまたあっさりと防がれて強かに手首を打ち据えられた。がらんっと転がった刀を拾い上げて遮二無二にナギハへ斬りかかって行く。

 型も作法もあったものではない。手負いの動物以下のみっともない悪足掻きだ。

 打ち返され、跳ねのけられ、床にたたきつけられ。それでもフェスタローゼは止まらない。

 何度目かの打ち込みの果てに、ナギハの刀がフェスタローゼの左腕を掠めて、鮮血がわずかに宙を舞った。


「おいっ!」

 たまりかねたラムダが2人の間に割って入る。常に飄々としている彼らしくもない。

「もう十分だろ?! 何だよ、これ! 単なるいびりじゃねぇか」

「……いいや、まだよ。まだいいとは言われていない」

「姫様」

 フェスタローゼはちらりと左腕を確かめてから、刀を拾い上げて正眼に構えた。構えたと言っても、何とか正面に向けているだけで刀自体は構え切らずにゆらゆらと頼りなく揺れている。

 しかしナギハに向けられるフェスタローゼの双眸は爛々と輝き、異常な熱量をはらんでいた。

 

「ラムダ、そこをどいてっっ!!」


 ラムダをぐいっと脇に追いやって、渾身の一撃を放つ。上段から振り下ろした隙だらけの袈裟懸けをナギハは余裕で打ち払い、横様に払う。


「ナギハ様!」

「姫様!」


 エルマイネとラムダの悲鳴が重なって上がる。

 ナギハの切っ先は、フェスタローゼの胴体寸前で止められていた。

 ラヴェローの「うぉっほん」という呑気な咳ばらいがひりついた修練場にほのぼのと広がって行く。


「……無様な剣技だ。ひどいにも程がある」

 呆れ顔のナギハに膝を着いたフェスタローゼも苦しい息の下から同意する。

「全く以て……同感ですわ」

「ま、我が元にいるというのならその悠長な口調から改めてもらおうか」

 そう言ってナギハは刀を納めて、片手をフェスタローゼに差し出した。


「謝罪はしない」

 彼女は不敵にニヤリと笑うと厳粛な顔つきになる。

「だが皇太子フェスタローゼ。その覚悟がどこまで続くか私がしかと見届けさせてもらおう。我がカザクラ家は貴殿を歓迎する」

「……よろしくお願い致します」


 差し出された手をぎゅうと力強く握り締める。

 見上げたナギハの瞳は穏やかな光を湛えて、フェスタローゼを包み込んでいた。 

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