第4話 それぞれの地で

 フェスタローゼがカザクラ領に旅立ってから半月程経った2月の末。

 南都のバンジェット商会の支店長室にドスのきいた一声がおどろおどろしく響いた。


「はあ?! カザクラ領にやっただ?!」

「いや、まぁ、その。……はい」

 

 ハルツグにぐいっと胸倉を掴まれたリスタルテの首が前後にがくがくと揺れる。


「ここで預かるって話だったよね? それが何で、そんな事になってんの? 初耳なんですけど!?」

「いや、あのね。あのね、ランシェリーナさん……」

「ハ・ル・ツ・グですぅ! 名前も覚えられないくらいに耄碌してらっしゃるのかしら?!」

「あの、ハルツグちゃん。あの、子供の前だしさ、ほら」

「あ?!」

 リスタルテは恐々とハルツグの背後で所在なさ気に立ち尽くしているキカを指差す。ハルツグは、ふん、とばかりにリスタルテを勢いよく突き放すと、キカの傍らに戻ってその肩にそっと手を回した。


「ごめんね。会わせてあげるって約束したのに。これじゃあまるであなたを騙したみたいになっちゃって。本当にごめん」

「チクチクするよ……」

「チクチクさせてますので!」

「あの」

 キカはうなだれる大の大人と、文字通り相手に噛みつきそうな様子のハルツグを交互に見渡した。そして細い首をわずかに左に傾けてハルツグに問い掛ける。


「要するに、ローザは南都にはいないってこと?」

「そのようね。このおじさんが勝手にね!」

 おじさん、と睨みつけるハルツグにリスタルテは「ごめんて」と胸の前で手を合わせる。

「でも、無責任に投げたわけじゃくてさ、ほら、ナギハに預けた方が良さそうだって判断したんだよ」

「あっちに話は通したの?」

「俺が話通したって意味ないじゃん?」

「……ったく」

 ハルツグは深々と溜息をついて、腕を組んだ。まだ頬の辺りに若干の強張りはあるものの、先程よりは幾分か表情が和らぐ。


「連絡ぐらい欲しかったわ」

「すまんな、待っていれば来るからいいやって思ってた」

「だからね……!」

 再び、くわっとハルツグの瞳が開く。話が振りだしに戻る気配を察したキカが慌ててハルツグの外套を引っ張った。

「あの、でもいつかは戻って来るんだよね? 行きっ放しではないんだよね?」

「戻っては来るよ。んーでも、いつになるやら。何せナギハ次第だ」

「カザクラ領に連れて行ってもいいけど」

「やめた方がいい。そろそろ樹人達が活動期に入る。慣れてないヤツが近づくもんじゃないな」

「そうか」


 キカはあえて満面の笑みを浮かべて、ハルツグに早口で捲し立てた。

「いや、でも南都には来れたしさ! 働き口見つけてさ、ローザが戻って来るの待ってるから。あの、ローザが戻って来たら教えてよ。ハルツグ、ここまでありがとう!」

 言うなりキカはペコリと頭を下げて部屋から出て行こうとする。


「え? ちょっと……」

「おい、勝手に終わるな坊主」

 困惑するハルツグよりもリスタルテの声がかかる方が早かった。

 扉の取っ手に手を延ばした半端な姿勢でキカは振り向く。


「お前、読み書きは?」

「えと、書くのは出来ない……。読むなら何とか。計算はできる」

「じゃぁ、初めのうちはちっとばかし勉強がいるなぁ」

「確かに読み書きは不得手だけど、この子物凄く器用よ。後はしっかり働ける子ね。それは私が保障する」

「しっかり働けるってんなら、後はおっつけ身について来るだろ」

 リスタルテは1人うんうんと納得すると、パンと手を叩いて気軽に言い放った。


「よし、採用! お前今日からここの丁稚な」

「ええ?! だってそんな……いいの?」

「支店長の俺がいいって言えばいいんだよ。しっかり励めよ!」

「でも、ここってさ……」

 バンジェット商会。キカでも知っている老舗の大店だ。その偉容を誇る外観は帝国中を巡る中で何度も見かけた。確かに町に出て働き口を探すよりは実入りも良いが、一介の行商人の孫からしてみれば看板が大きすぎる。


 急展開に目を白黒させてとりあえずハルツグを見る。彼女はにっこりと微笑むとしっかりと1回だけ首肯した。


「いいと思うわよ、キカ。私も一緒にいるから安心して。この子に読み書き教えるの私でいいわよね?」

「お前なら間違いないけどさ。あっちはラムダだけでいいのか」

「ローザ様にこの子を託されているからね。私はこの子と一緒にいるわ」

 あっさりと言い切ると、ハルツグはキカに歩み寄りその両肩を後ろからきゅっと抱きしめる。


「……気をつけろよ、坊主。そのお姉さん一見優しいが一度火がつくと……鬼婆だ」

 リスタルテはニョッキと人差し指を頭の両側に当てる。キカはクスクスと肩を揺らして笑った。

「そんなの分かってるよ、さっきの見たらね」

「あぁら、キカは私を鬼婆にしないわよねぇ? どこかの誰かさんと違って?」

 肩を抱く手にぐぐっと力が籠る。

「十分、十分承知しております! ハルツグお姉様っ」

「よろしい」

 すっと離れた両手に安堵して胸を撫で下ろす。あんな啖呵をきられた日には土下座する自信しかない。


「じゃぁ、ま。よろしくな、坊主。俺は支店長のリスタルテだ」

「俺はキカ。よろしくお願いします」

 差し出された手をぎゅっと強く握ってリスタルテを見上げる。

 キカの時間がゆっくりと前に動き始めていた。


◆◇◆


 キカが南都に到着したその日。遠く離れたカザクラ領にてフェスタローゼは過酷な汗を流していた。


 ざくり、ざくりと小気味よい音で地面が鳴る。

 ぐっと土に刺さる鍬の感触。その鍬に絡みついたのは木の根っこだ。掘れば掘る程にどんどん出て来る。

 フェスタローゼは溜息をついて、鍬に絡まる木の根っこをぽいっと畑に投げ捨てた。一心不乱に屈んでいたせいで痛む背中をトントンとたたきながら辺りを見回す。

 傍らで同じように鍬を振っていたラムダもその手を止めて背筋を反らした。


「姫様、大丈夫? ちょっと休む?」

「大丈夫よ。まだ少ししか進んでないし」

 自分の後方に出来ている掘り起こした土の軌跡を眺める。表面を崩されて黒々とした濃密な色を見せる土の筋はまだわずか。前に目を向けると荒れた畑が前途洋々とばかりに向こうの森の手前まで広がっている。


「果てしないわね……」

「その程度で止まっていると何刻あっても足りんわ」

 思わず洩らした呟きに、ラムダの背後から言葉が返って来る。黙々と後進して行くナギハは既に二畝を耕し終えた所だ。


「……何その異常なスピード? やばいって」

「そりゃあ、200年以上耕しておるのだ。それでお前らと同じスピードの方がやばいだろ。皇太子はともかく守役は農作業したことがないのか」

「俺は船乗りだったからね。まぁ、東方守備隊にもいたけどあっちの農作業は葡萄が主だから。本格的な畑はやったことない」

「そうか」

「それにしてもひどい荒れようね。元々、畑ではあったのでしょう?」

 鍬を振り上げて打ち込む。打ち込んだ刃床にがつんとあたる木の根っこ。


「この辺り一帯は前年に樹人イルオープの襲撃を受けましてね。やっと実り始めた畑だったのに」

 そう答えたのはエルマイネだ。

 基礎的な体力をつけるため、と申し渡された農作業に何故だか彼も付き合わされている。ナギハ曰く、そうでもしないと中々外に出て来ないから、らしい。


「あぁ、だから根っこだらけなのか。せっかく開墾したってのに大変だな」

「まぁ、ここはそういうことの繰り返しですからね」

「過酷な土地なのね」

「まったくだ。ちょっと行けばアウルドゥルク領のような豊かな穀倉地帯になるのになっ!」


 なっ!の掛声と共にナギハが引き抜いた鍬には明らかに一際大きな根っこが乗っている。木の根というよりも芋に近い。そんな根だ。

「大将格だな」

「本当に。立派なものね」

 笑いながら視線を自分の足元に戻す。せーのっと振り上げた手が途中で止まった。

 

 ポコンと地中から突き出た白い塊。ハッハッと洩れる息遣い。土に塗れて、全体的に薄茶色に汚れた顔の中で、爛々と輝く黄金の瞳がフェスタローゼを見上げていた。


「……あの、ナギハ殿?」

「あ? 何だ」

「あの、土の中から顔が出ているのだけど。これは耕しても?」

「いいわけなかろう」


 ズボン、と土から抜ける気持ちのいい音がする。勢いよく空中に飛び出した巨体が空を舞い、どすんとフェスタローゼの目の前に着地した。もうもうと上がった土煙の中から「うわっ、ちょっ……! 何?!」とラムダの悲鳴が上がる。

 

 土煙を割いてヌンと顔を出したのは白い毛並が美しい、一頭の虎だった。かなり大きい。ざっと見ただけでも通常の虎の一回りは大きい。

 黄金色の瞳でじぃっとフェスタローゼを見ながら、巨大な虎はふるふると全身に付いた土を飛ばした。かと思うと、次の瞬間。

 虎は咆哮を上げながらぐわっとフェスタローゼに飛びつき、思いっきり地面に押し倒した。


「きゃぁぁぁっ!!」

「姫様!!」

「待て、守役! それはウチの家畜だっ!!」

 ラムダの手の内から精道の刃がシュンと消える。

「家畜?! これ妖魔だろ?!」

「これ、ハヤカゼ! それはオモチャではない、放さんか!!」


 ナギハの一喝に虎の体がようやくフェスタローゼから降りる。その隙にエルマイネとラムダに引っ張り出されてようやく立ち上がることが出来た。


「何で土の中から虎が!?」

「これは土虎カイスム。妖魔の1種でな、図体こそでかいが大人しくて人懐っこい。その上、土を掘るのが得意で重宝しているんだ」

 傍らでパタパタと尻尾を振るハヤカゼの喉元をナギハが撫でてやる。くぅぅぅと喉を鳴らして目を細める様子は猫となんら変わる所がない。

「よぅし、よぅし。ハヤカゼ。いい子にしているんだぞ」

 ぽふりと頭を撫でてからナギハは再び鍬を構えて耕し始める。それが合図となって三々五々持ち場に戻って作業を再開した。


「……あの、ナギハ殿」

「何?」

「動けないのですけど」


 フェスタローゼの両肩に背後からずんとのしかかる前足。頭の上に置かれた顎からは、はふはふと息が洩れている。ハヤカゼをおんぶする体勢になっている図に、ラムダが盛大にぶふっと吹き出した。

 頼りの守役は無害と分かった途端に笑う方向性に入ったらしい。


「重い……!!」

「珍しいくらいに懐かれてますね。初対面でここまで懐かれるの珍しくないですか」

「そう……なの? ありがたくないけど!」


 これでは全く埒が明かない。フェスタローゼは後ろに手を回してハヤカゼの頭をわしわしと撫でてやった。


「ほら、今は作業中だからね? 終わったら遊んであげるから」

「ガウ」


 ハヤカゼがするりと背中から降りる。

 ようやく作業ができると鍬を振り上げたその先で、ボスンとハヤカゼが地中に潜った。固く、根っこの絡まった土が内部からぼこぼこと盛り上がって来る。それは猛スピードで畑中を行き来すると、あっという間に全てを耕し終えてしまった。


 見事に耕されて、黒々とした豊かな土壌に様変わりした畑の片隅にずぼん、とハヤカゼが頭を出す。褒めて欲しそうに舌を出してはっはっとアピールするハヤカゼに向かったのは青筋立てて怒るナギハの怒声だった。


「こらーっ!! お前が耕したら意味ないだろうが!」

「……終わっちまったな」

「終わっちゃった」

「終わりましたね」


 フェスタローゼ、ラムダ、エルマイネの3人は各々に呟くと、一斉に首をがくりと垂れた。

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