第2話 カザクラの鬼 ①
追い立てられるように南都を出発してから約7日。南域天領地を抜けたフェスタローゼとラムダは、目指すカザクラ大公領へと足を踏み入れていた。
フォーン帝国には8人の大公がいる。
“八大公”と呼ばれる彼等はいづれも、国境守備を担う辺境の猛者達だ。その領地は帝国外でひしめく蛮族が押し寄せる、あるいは妖魔が多数棲息しているなど、統治の難しい土地柄であるのがほとんどだ。
フェスタローゼ達が踏み入れたカザクラ大公領もまた八大公の例に洩れず、苛烈な土地である。
南側を走る山脈は国境線を成すと同時に、山賊をその懐深くに抱き、山脈の裾野から始まる大森林は領地の6割を覆い尽くして、
山からは賊、森からは妖魔。ありがたさからは程遠い組み合わせと日々対峙し続けるのがカザクラ大公領だ。
そんなカザクラ大公領に広がる大森林の片隅で緊張感のない、弛緩しきった声が呑気に響いた。
「あぁー、こりゃ困ったねぇ」
左右に分かれた分岐点で、ラムダが地図をくるくると回す。
「これどう見るんだ」と格闘すること数分。
ラムダはそっと地図をしまった。
「姫様。右と左とどっちが好き?」
「……放棄しないで。私が見ます」
はぁ、と溜息をついて手を差し出す。
「どっちを行っても多分、カザクラ家の屋敷には行くんですよ? ただ回り道かどうかなんですよ」
「これ以上の回り道をする余裕があると思って?」
「姫様~。言うようになったねぇ」
「本当にもう」
ぼやきながら地図を広げる。
このちゃらんぽらんな騎士と共によくここまで無事に来れた、とフェスタローゼ自身でも驚いてしまう。
驚くのと同時に、正確に道を記憶して、地理や情勢までしっかりと把握していたピッケの凄さが身に染みて来る。
生きた年月で言えば、ラムダの方が段違いに長いだろうにとんだ体たらくである。
ラムダで評価できるのは愛嬌だけだわ、と内心呟いて地図を辿って行く。
「ねぇ、ラムダ。多分だけど……」
「あ、誰かいますよ。地元の人かな? 道聞いてみましょうよ」
「ちょっと!」
慌てて顔を上げた時には彼は「すいませーん! 地元の人ですか?」と手を振りながら行ってしまった後だった。
急いで馬の首を巡らしてラムダの後を追うと、分岐点を左に少し進んだ先にある苔生した切り株に少女が1人腰を掛けていた。
年の頃は17、8。フェスタローゼと同年代と思しき少女だ。
切り株に座り、つまらなさそうに両膝を抱いていた少女が、「おーい」と近づいて行くラムダに気が付き顔を上げる。
ちょうど眉あたりで切り揃えられた前髪が御人形を彷彿とさせる、中々に整った顔立ちの少女だった。黒に近い濃い緑の髪は特に結い上げるでもなく、そのまま肩口にさらりと流れている。
「ここら辺りの人?」
愛想よく訊いたラムダを見上げて、少女はこくりと頷く。
「あの聞きたいのだけどさ、カザクラ大公のお屋敷ってどっちから行けばいいの?」
「カザクラ大公……」
少女の目が素早く、ラムダとフェスタローゼの乗っている馬の鞍を見た。鞍にはバンジェット商会の印が入っている。
少女はすっと自分の座っている切り株の奥を指差した。
「ここを道なりに進めば。馬ならば一刻程で着く」
「ほぉほぉ、なるほど。ありがとう」
「ありがとう」
馬上から声をかけると、少女はさして興味を持った感じもなく「どういたしまして」と答えて、元のようにつまらなさそうに膝を抱えた。
会釈をしてその脇を通る。彼女はもうこちらには目を向けなかった。
「あんな所で何をしているのかしらね」
森には似つかわしくない少女の雰囲気が気になってつい口に出た。
「そうですねぇ。採集に来た村娘って風情でもないですしね」
ね、と頷いて前を見ると、いつの間に現れたのか。1人の男性が覚束ない足取りでこちらに走って来るのが目に入った。
年の頃は20代半ば。黒色に近い濃い緑の髪は先程の少女とほぼ同じであるが、こちらは流れる汗のせいで、べっとりと額に張り付いている。
見るからに息も絶え絶えといった様子で走って来るのが心配になり、思わず「あの」と声を掛けようとしたその時、ドスのきいた重低音が背後で轟いた。
「遅い、遅いわっ、エルマイネッ!! 切り株と同化するかと思ったわっ!」
驚いて振り向くと、先程の少女が仁王立ちになってこちらを見据えていた。
怒鳴られた男性の背中がびくり、と反応する。左右に振れていた体が途端にしゃきんとして、わずかばかり速度が上がる。
明らかに異質なやり取りにラムダを見ると、彼は曖昧に目線を彷徨わせて戸惑いの咳払いをした。
「あー、えぇっと、従者の方かな?」
「んー……色々あるのよ、きっと」
「ですねぇ」
同情を禁じ得ない。そんな視線をもう一度、背後に送ってラムダと2人、その場を後にした。
◆◇◆
直に森と別れを告げて、よく整備された街道を進む事一刻弱。切り株の少女の言う通りに目指すカザクラ大公の屋敷が見えて来た。
訝る門番にバンジェット商会の者だと告げるも、すぐには会ってもらえないのではないか、という危惧が胸を掠める。しかしそれは杞憂だった。
しばらくして門番と共にやって来た家令に招じ入れられた応接間で、フェスタローゼは現カザクラ大公ラヴェローと向かい合っていた。
「遠路遥々よういらした」
深みのある声が心地よく響く。
長年、軍団を率いて一戦に立ち続けている武人らしいさっぱりとした口調だ。
「突然の訪問にも関わらず、お時間を割いていただき誠にありがとうございます」
「うむ」
ラヴェローは重々しく首肯した。
組んだ腕は平服を通して見ても、みっしりと筋肉のついた頑健な腕である。首もしっかりと太く、両肩などはいからせていなくとも盛り上がった筋肉が頼もしく聳え立っている。
品よく白くなった髪を短く刈り込み、日によく焼けた顔に立派な顎鬚をたくわえた彼が齢83歳の老人であるとは、にわかに信じられない。
帝国騎士団長で今年76歳になるヴァルンエスト侯よりもなお若く見える。
辺境の猛者とはかくも凄まじいものか。
向かい合うだけで感じる圧に舌を巻きつつ、フェスタローゼはリスタルテの書状を大公に差し出そうとした。だが、その手は大公の一言で中途半端に固まった。
「玉都からこの南の果てまでの道のりは大変だったでしょう。皇太子殿下」
「え?! あの、何で私が皇太子と?」
瞬間、ラヴェローの眼差しが和らぐ。
してやられた。鎌をかけられたのだ。
フェスタローゼは思わず唇を噛み締めた。背後から「あちゃぁ」とラムダの嘆く声がする。
「これでも八大公の一角を成す故。我ら辺境の者にとっては情報は何よりの武器であると心得ます」
存外に優雅な動作で一礼してみせた老人にフェスタローゼは大人しく白旗をあげるしかなかった。
「最初に名乗らなかった非礼を詫びます。私はアカトキ=フェス=タ=ローゼ=ディア=フォーン。おっしゃる通り、この国の皇太子です」
「して、可憐な皇太子殿下が我がカザクラ家にどのようなご用件で」
「これを。バンジェット商会南都支店長よりカザクラ家のナギハ殿にと預かって参りました」
「ほぉ。リスタルテ殿から」
顎鬚に包まれた口元をほころばして大公は書状を受け取る。だが、彼は書状を開けようとはせずにすぐに卓へと置いてしまった。
その仕草にフェスタローゼは違和感を覚えて、卓に置かれた書状にチラと視線を送る。
カザクラ家の家長であるラヴェローが書状を開けないとは、“カザクラ家のナギハ”はどんな位置づけの者なのだろうか。
「あの」
「よい、ラヴェロー。それは私の客だ」
ばん、と2人の背後で扉が開く。
「あ、切り株」
「誰が切り株だ」
肩口で揺れる濃い緑の髪がはらりと宙に舞った。吊り目がちな瞳で勝気にラムダを睨み付けて部屋へと入って来た少女は紛れもなく、森の中で道を訊いたあの少女だ。
「これはナギハ様」
老大公がさっと席を少女に譲る。颯爽と現れた彼女は、身にまとった勢いそのままに部屋を突っ切って来ると、老大公が座っていた場所にすとんと腰を降ろした。
「あなたが……ナギハ殿」
恐る恐る確認してみると少女は短く首肯した。ためらいも気後れもない、気骨があふれる態度だ。
「いかにも。私がナギハだ。あのろくでなしが私に何の用だ」
「えぇと、あの」
ナギハの気迫におされつつ、フェスタローゼは卓に置いてある書状をそっと示した。彼女は書状に冷たい一瞥をくれると嫌々といった風情でそれを開いた。
中を確認したナギハの口からチッと舌打ちが洩れる。
「まったく。本当にろくでなしだな、あいつは」
ナギハはリスタルテの書状を忌々しそうにポイっと卓に放り出した。ぱさりと滑って来た紙に書いてあったのは、まさかの文言。
『煮るなり、焼くなり、お好きにどうぞ』
直後、ラムダの絶叫がカザクラ家の落ち着いた空間にこだまする。
「……あの、おっさんはぁぁ!! マジか!」
「相変わらずふざけた男だ。何を考えているかは知らんが生憎とこちらも色々と多忙の身でな。申し訳ないがお引き取り願おうか」
「ですが」
反射的に洩れたフェスタローゼの言葉にナギハの目がすぅと細くなった。彼女はこれ見よがしに、ふぅと大袈裟な溜息をついて尊大に言い放つ。
「分からぬのか。自分の身一つ守れぬ軟弱者はずっと引き籠っておればよい。我がカザクラ家に、運ばれるだけの荷物などいらぬ。そう申しておるのだ。」
「荷物……」
一切の遠慮もなく“荷物”と言い切ったナギハの見解に反論できるはずもなく黙り込む。
「理解したならお引き取り願おう」
ナギハが話は済んだとばかりに立ち去ろうとする。咄嗟にフェスタローゼも跳ねる勢いで立ち上がった。
玉都に戻ることさえ出来ない自分は確かに“荷物”だ。しかし一生を“荷物”のまま過ごすためにここまで来たわけではない。
フェスタローゼの決意を孕んだ声が一筋。立ち去ろうとする少女の背中をぴしりと叩く。
「お待ちください。ナギハ殿」
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