3章 南域の守護者達
第1話 食わせ者
・登場人物表
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・用語解説
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◆◇◆
万屋での大立ち回りから数日後。
断腸の思いでキカをハルツグに託したフェスタローゼは、ラムダと共にようやく南都・サージウェイズの大門を潜っていた。
南域天領地の中心となる南都は、今まで通過して来たどんな街よりも遥かに大規模な都市だ。
通りは人と馬車とで溢れ、建物ひしめく路地の隙間まで物売りの声がかしましく反響している。
行き交う人の流れに乗って、南国情緒あふれる街並みを物珍しく眺めながら往来を進んだ先。
商売の女神ルフィーネに見守られた目抜き通りの一角にその建物はあった。
「セレスティアン=シュヴァリエ南方守備隊へようこそ、皇太子殿下」
「……ええと、あの」
南方守備隊長を名乗ったリスタルテは、机に寄りかかり腕を組むという、何とも気楽に過ぎる姿勢でフェスタローゼを迎えた。
対する彼女が口ごもったのは、立礼をしようとしないリスタルテの不遜な態度を咎めたからではない。
「あの、ここが南方守備隊なんですか?」
「そうだよ」
「……でも、ここってバンジェット商会ですよね?」
「そうだね」
これはどういうことなのか、と困惑しつつリスタルテを見返す。
バンジェット商会といえば、酒類の製造と販売を行う老舗の大商会で、帝国民であれば誰でも知っているくらい暮らしに密着した商会だ。
台所から皇宮まで。この商会の扱う酒類のない場所はないだろう。
だが、そんな帝国内随一の規模を誇る商会の南都支店に連れて来られても何が何だか分からない。しかもそれがどうしたと言わんばかりの無頓着さで返されたら尚のことだ。
「何なら一杯飲む?」と事も無げに親指で戸口を指したリスタルテに慌てて首を振り、改めて室内をぐるりと見渡す。
南方らしい明るい色調の部屋が南都に来たのだな、と実感させる。やや手狭に感じるのは雑然と積み上げられた木箱や、部屋の隅で存在感を放っている樽のせいだろう。
ダイネツルで出来たいかにも南都らしい調度品の間で幅を取るそれらを眺めてから、正面に立つリスタルテに目を戻した。
「俺達、セレスティアン=シュヴァリエは独立採算でね」
リスタルテが寄りかかっていた机から立ち上がる。
猶も両腕を組んで、椅子に腰かけるフェスタローゼを見る目には、事態が呑み込めない彼女を面白がっている風があった。
「活動費はちゃんと自前で稼いでるってわけさ。つまり皇帝の子飼いではないってこと」
「そんなつもりは」
「あ、そ」
彼は大股で歩み寄って来て、フェスタローゼの前に腰を降ろす。
「で、ようやく出会えたわけだ」
「はい。御心配をお掛け致しました」
「玉都からの長旅、お疲れさんだったな」
丁寧に頭を下げるフェスタローゼにリスタルテはにやりと笑った。少年然とした茶目っ気の強い笑みだ。
「不測の事態を切り抜けて良くここまで来たな。そこは単純に凄いと思う」
「手助けしてくださった方がいまして」
目を伏せて答える。意識の底でピッケとキカの笑顔が弾けた。
「そうか、それは僥倖だ。一時はどうなることかと思ったけどな、なぁ」
なぁ、はフェスタローゼの背後に立つラムダに向けられたものだ。ラムダは深く頷いた。
「えぇ、全く。イデルとスーシェはやられてるし、姫様はいないわで肝が冷えましたよ」
「イデルとスーシェは無事だと聞いております。2人は今どこに?」
「今は聖都の方に行っている。あっちはあっちで色々とね」
「そうですか」
相槌を打って口を噤む。しばしの沈黙が場に広がった。
「お聞きしたいことがあります」
フェスタローゼの若々しい眉が、不可解な記憶にふと歪む。
「あの銀髪の男は一体? スーシェはエフィオンか、と訊いてましたけど」
「……シェラスタン」
答えは短い。しかしその声音には拭いきれない苦々しさがあった。
「エフィオン集団、
「はぁ」
「ま、それよりもさ。今後のことを話し合おうか」
リスタルテの口調はふにゃりと気の抜けた優男そのものだ。それでもこちらを見返す双眸には一分の隙もなく、これ以上のことを伝える気がないのは明らかだった。
非常にやりにくい、という思いが溜息となる。
「今後のこと……ですか」
「そう」
リスタルテは足を組んで両手を膝に置いた。すっと背筋を伸ばして座る様子は大手商会のやり手支店長にしか見えない。食わせ者らしくニッと上がった口角がその印象を更に強めている。
「当面、お前さんの命と生活の保障はこちらでする。皇宮ほどとは行かないが、それなりに不足のない生活は送れるようにするつもりだ」
「ありがとうございます」
「で? その後はどうする?」
端的に訊かれて言葉に詰まる。
南都に来れば、と思考停止していた頭の中でリスタルテの言葉がぐるぐると巡る。
直ぐには返せずに面を伏せた。
視線を下げて黙考する上を軽やかにリスタルテの声が流れて行く。
「いつまでもここにいる訳には行かないよなぁ。不思議なことにお前さんは廃嫡されていない。名目上は皇太子のままだ」
何でだろうなぁ、と独りごちて彼は天井を仰ぎ見た。
しかしすぐに勢いよく体を起こして、フェスタローゼの方へと身を乗り出して来る。
「ま、でも皇宮の事情なんざ知ったこっちゃねぇか。どうする? このまま全てをうっちゃって雲隠れする? 俺はそれでもいいと思うけど」
「リスタルテさぁん!」
ラムダが情けない声を上げる。リスタルテは再び足を組んで、からからと陽気に笑った。そして無造作に付け加える。
「決めるのはお姫様だけどね」
フェスタローゼは小首を傾げた。傾げた方向を横目でじっと見つめる。
その目に映る情景は、タスエから始まった小さな旅だ。小さな荷馬車に揺られて巡った小さいけれども、かけがえのない旅の思い出。それらを1つ1つ手繰って行く。
ピッケとキカと過ごした日々が、共に見つめた帝国内の景色が、フェスタローゼの中で答えを形づくり、自然と口を突いて出た。
「私はやらねばならない事を何一つしないままに出て来てしまった」
しっかりと頭を上げてリスタルテを見据える。そして確固とした信念と共に答えた。
「だから元いた場所に戻らなければならない」
「で?」
「でも今、玉都に戻っても私は何もできない。法主に相対することもフェストーナに対抗することもできない。ましてや国の在り方を真っ当に戻すことなんて到底無理だとは分かっています」
「そうだろうね」
実にあっけらかんとリスタルテは答えた。
湧き上がる無力感が悔しさとなって両手に籠る。フェスタローゼは両拳を握りしめて長卓に視線を落とした。
「今の私は余りにも無力で何も出来ない。国を民を助けたい。在り様を正したいと願っても正す力が私にはない。それでも……逃げたくない。足掻きたい」
「ふぅん……」
ラムダがそっと身じろぎする。
目を伏せているフェスタローゼは気付いていない。対面しているリスタルテに浮かび始めた興味の光を。微かに解けた口元から覗く八重歯の不穏さを。
「そうかぁ」と洩れた声に、扉をノックする音が重なった。
どうぞ、という声がかかるよりやや早く扉が開いて、団員と思しき女性が顔を覗かせる。
「隊長。殿下のお部屋、準備整いました」
「おぅ、すまんな」
振り向きもせずに片手で応じた彼の表情が不敵に笑む。
「悪ぃけどそれ無駄になるわ」
「へ?」
「えぇっ?!」
驚きの声が幾重にも重なった。
リスタルテは楽しそうに肘置きに頬杖をついて、「気が変わった」と事も無げに言ってのける。
「気が変わったって」
どういうこと、という言葉は続く彼の一言に見事なまでに潰された。
「お前さん、カザクラ家に行きな」
「カザクラ家……カザクラ大公?」
「そう。南域の守護者、カザクラ大公家のナギハを訪ねろ」
「でも何で?」
「ま、いいから行ってみ」
まるでおすすめの店を勧めるようなノリで彼は返すと、戸口でまごついている団員に「すまんが部屋はキャンセルだ。代わりに馬を2頭」と指示を飛ばす。
「もちろん自分で馬乗れるよな?」
呆気に取られたまま、こくりと頷く。
「色はどうする? お姫様はやっぱり白馬か。野郎は……何でもいいか。乗れれば」
「ちょっ! 何で俺だけ雑なんすか?」
「俺に向かって野郎に優しくしろと? 俺の気遣いは女にしか向かん」
「うわぁ……って、今すぐ出発ですか? 到着したばかりなのに?」
「到着したばかりならすぐに出られるだろう?」
ラムダが目を丸くして尋ねると、リスタルテも驚いたとばかりに目を剥いて応じる。
「うへぇ」
まじか……とラムダは項垂れた。
「まじ鬼……正真正銘の鬼っすよ」
「俺なんて優しいぜぇ? 馬も準備してやるし」
不穏な空気を纏ってリスタルテはくつくつと笑う。
「カザクラ家の鬼は俺ほど優しくないぞ」
「え……?」
思わず眉をひそめて彼を見る。気力に溢れたきらきらと輝くリスタルテの目がその視線を受け止めた。けれども彼の瞳から意図するところを汲むのは到底無理なことだった。
考えあぐねる皇太子に魅力的なウインクを送ると、食わせ者の南方守備隊長はゆったりと椅子の背にもたれかかった。
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