第11話 兆し ②

 滾る衝動のままにビールをぶちまける。

 予想外のことに刹那の静寂が店内を支配する。しかし、それは瞬きする間程度のこと。すぐに男達の怒声が店の天井を突き上げた。


「何しやがんだ、てめぇ!!」

「このクソアマァッ!」

 顔を真っ赤にした男達が眼前を取り囲む。その様子をフェスタローゼは真っ向から睨みつけた。

「お前達……お前達みたいな奴が……!!」


 ジョッキの取っ手を握る手が震える。手だけではない。全身が波打ち、気持ちが抑えきれない。真っ当に生きようとする他者を踏みつけて嘲笑う卑しさが、許せなかった。悔しさと怒りで練り上げられた感情が、絶叫となる。


「そのお金は、お前達みたいなろくでなしが使っていいお金じゃないっ!!」


 だが、目の前の一瞬をバッタと同じ脊髄反射でのみ生きている男達に怒りの声は届かない。

 男達の中でもとりわけ体のでかい男が、ばんっと卓を叩いた。


「あ?! ぐだぐだうるっせぇよ!!」


 男はフェスタローゼを押さえつけようと掴みかかる。以前であれば萎縮し、誰かの背中に隠れていたであろう。

 だがフェスタローゼはグッと奥歯を噛みしめて男をかわすと、そのこめかみに向けて空になったジョッキの底を目一杯に叩きつけた。

 陶製のジョッキが派手に砕け、襲いかかろうとしていた男が白目を向いてどうっと倒れ込む。


「てめぇ!!」


 強烈な一打が右頬に叩き込まれる。

 死角からの一撃に意識が飛びかけ、フェスタローゼの口の中に鉄の味が広がる。

 顎の辺りの感覚が遠い。それは生まれて初めて味わう純粋な暴力だった。しかし目の前にある理不尽さの塊に対する怒りが、よろけそうになる膝に力を伝える。

 フェスタローゼは手にしたジョッキを床に叩きつけると、殴りつけてきた男にぐいっと顔を向けた。


「せっかく、せっかく前を向いたのにっ!! 何でお前らなんかにっ!!」

「うるっせぇ!!」


 側にあった椅子の背に手をかけ、その男の太股に叩きつける。

 頭に血が昇っていても素手でやりあうには分が悪すぎる。男が足を押さえてひるんだ隙に目の前の卓に手をかけると、フェスタローゼは男にむけて、がっと卓をひっくり返した。


「ぬぁっ!?」

「いいぞぉ、姉ちゃん! やっちまえ!!」

「そこだ! 叩き込め!」

「俺も加勢したらぁっ!!」

「おい、やめてくれ!」と店主の制止が入るも、突如始まった少女とゴロツキの乱闘に、興奮のるつぼと化した店内では誰の耳にも届かない。

 男達の攻勢を避けて渡り合うフェスタローゼの奮闘に騒ぎはとんどん膨れ上がり、通りを行く人さえも足を止めて寄り集まって来る。


「くっそ、ふざけやがって!」

「それはこっちのセリフよ!!」


 勢いよく跳ね上げた長椅子で男の向こう脛を打ち払うと、フェスタローゼは素早く身を巡らせ、店の隅に積み上がっていた木箱を持ち上げて投げつける。店内はすでに惨憺たる有り様だった。


「きゃっ!?」


 溢れた酒に足を滑らせ、後ろ手に転ぶ。場馴れという言葉とは程遠いフェスタローゼにとって、その状況は不利だった。急いで立ち上がろうとするも、男達がそんなミスを見逃すはずもなかった。


「よくもやってくれたな、このアバズレェッ!!」


 尻もちをついたフェスタローゼの顔面を蹴りぬくべく、土と脂でギトギトに汚れたぶ厚い革靴の靴底が迫る。


 ――蹴られる!!


 避けるだけの余裕がない。咄嗟に顔を庇って歯を食いしばり、蹴り飛ばされる覚悟を決めた。――その時だった。


 閉ざした視界の向こうで、ドゴォォンッという激しい爆音と衝撃が突き抜け、周囲の喧騒が一気に静まり返る。


 一向に来ない靴底と異様な雰囲気を不審に思い、そろそろと目を開けると、そこには彼女の前に膝をつく1つの影があった。


「ようやく見つけました。よくぞご無事で……!!」


 かぶったフードから見慣れた群青の髪がこぼれている。

「……ハルツグ?」

「ええ。ええ。そうです。私です。やっと見つけた!!」

 目を上げるとハルツグの向こう。店の天井から人間が生えている。服装からして、フェスタローゼを蹴ろうとしていた男だ。

「あの、生えてるけど? あれ……」

「あれですか? 私の姫様のお顔を蹴ろうなんてふざけた馬鹿がいたので。……って、ちょっと待っ、なんで顔にこんなアザが!? まさかっ!?」

「あ、うん。ちょっと、ね」

 フェスタローゼの顔のアザに表情を強張らせると、ハルツグはさっと立ち上がり、天井からぶら下がった仲間を呆然と見上げていた男達に振り返った。


「来いやぁっっ、ごろつきぃっ! 殺れるもんなら殺ってみな!!」


 ドスの利いた声に店内のボルテージが再び上昇する。

 うおおおおぉぉぉ! と上がる歓声の中、あちこちでどちらが勝つかの賭けを求める声が飛び交い、乱暴に回されるくたびれた帽子にドンドンと銅貨が投げ込まれて行く。


「ふ、ふ、ふざけやがって!」


 最初にジョッキで昏倒していた大柄な男がゆらりと立ち上がり勢いにまかせてハルツグに飛び掛かる。だがよかったのは勢いだけで、ハルツグが造作もなくその手首を掴むと、90kgは軽く超えるであろう男の身体がくるりと宙を舞い、盛大な土埃りと共に床板へと叩きつけられた。


 ばごぉんと派手に床板が砕け、響き渡る震動に店内中からやんやの拍手喝采が湧き上がる。

「ひとぉり!」

 卓を鳴らし、膝を鳴らす歓声の只中でハルツグは高々と指を一本突き上げた。


「あぁ、思い出すなぁ。俺も昔、さんざんっぱらあれを食らったなぁ」

 カウンターの内側で成すすべもなく頭を抱えていた店主が、ふとかけられた声に恐る恐る顔を上げる。するとどこか飄々とした様子の若者がカウンターに片手を乗せて寄りかかっていた。

「親父、ビール一杯」

「……あぁ、もうちくしょうっ! 銅片1枚だよっ!」

「ありがとよ」

 どん、と乱暴に置かれたジョッキからなみなみとそそがれたビールがこぼれおちる。ラムダはそれをやれやれと受け取ると、懐から真新しい革の袋を取り出し、店主の前にそっと差し出した。

「まぁ、そう怒らずに。これ取っておきな」

 訝しげに袋の口を解いた親父の目に、みっしりと詰まった金貨の輝きが照り映えた。

「これ……!!」

「迷惑料。連れが暴れてごめんね」

 ぐいっと一気にビールをあおって、ラムダは悠々とフェスタローゼに近付いていく。


 ハルツグの攻撃は止まらない。

 再び昏倒した仲間に怖気着いた2人が後ずさる。

 その内の1人に下からの掌底を叩き込み、もう1人は華麗な回し蹴りで吹き飛ばす。

「ふたぁり、さんにんっ!」

「すげぇ!」

「やっちまえ、姉ちゃん!!」

 ハルツグの口元に艶やかな笑みが登った。彼女は最後の1人となった男に、右手を突き出してちょいちょいと煽る。

「ほら、おいでよ兄さん。弱いもんいじめが趣味なんだろ? 女の私にビビるとかしけたこと言わないわよねぇ?」

 皇宮での彼女は何だったのかと、唖然とするフェスタローゼの前でハルツグは胸を張り、居丈高に言い放った。

「ほら、ほら! おいでよ、三下ぁ!!」

「……冗談じゃねぇ!」

「あら、つまらない選択」

 男はぱっと身を翻した。しかし逃げられるはずもない。

 目にも止まらぬ早さで伸びたハルツグの手が襟首を掴むと、男の身体が軽々と持ち上げられる。

「一昨日おいでっ!!」

 男はそのまま開きっぱなしのテラスから鋭角な放物線を描き、外の通りへと投げ出されていった。

「よにん!」と言い放ったハルツグに店内中の賞賛が熱狂的に浴びせられた。


「気は済んだ?」

 懐かしい物言いに驚いて顔を上げる。

「全然! もう少し色々なものを砕いてもよかったけど。主にプライドとかプライドとか!」

「……散々に砕いたでしょうよ」

「ラムダまで……」

「おぅ、五体満足の姫様だ」

 ラムダは膝をつき、おもむろにぎゅうとフェスタローゼを抱きしめる。

「よかったぁ。やっと会えた」

「待った! あんた私よりも先に!?」

「早いもん勝ち」

「え?え? ちょっと!」


 見知った二人との突然の再会と急展開の状況に理解が追いつかない。

 だが、何を一番に優先すべきなのか。それを間違えるフェスタローゼではなかった。ラムダに抱きつかれたまま、むくれるハルツグの袖口にぐっとすがりつく。


 ハルツグがいれば、白緑法で怪我を癒やしてもらえる。


「お願いハルツグ! あなたの力を貸して!!」

「……姫、様?」

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