第10話 兆し ①
大泣きに泣いた翌日、少し気恥ずかしさが残るキカは女将の手伝いにかこつけて、宿で使うインクを買いに広場近くの露店に来ていた。
店主が品物を用意してくれている間、店先に所狭しと並んだ雑貨を眺めながら待つ。雑貨と言っても、そこで扱っているのはいわゆる“筆物”が中心で、生活雑貨がメインだったキカ達とはまた違った品揃えに興味もそそられる。
この先どうするか。ピッケが亡くなった今、キカ1人で旅の雑貨商を続けていくことはできない。だが、こうして雑貨を目の前にすれば、やはり気になってしまう。
「へぇ~。ペン先って言っても色々あるんだなぁ」
「何だ、坊主。筆物は珍しいか」
つい洩らした独り言に店主が気さくに返して来た。
「んー、そうだね。あんまり縁がなかったかも」
「じゃあ取り敢えず形から入るってことで、一式買っていってくれよ」
「何だよ、それ!」
自然に口を突いて出た笑い声に自分でも少し驚きを感じた。驚きを感じつつも、悪い気分ではないとキカは改めて思う。
若干、上向きになって来た気持ちのままに商品を眺めるキカの目が、店主のすぐ前に陳列してある胸飾りに吸い寄せられた。
それは小鳥の形を模した木彫りの胸飾りだった。栗色の艶々とした小鳥の体に小花が彫られた中々に精緻な作りだ。この露店の中では高価な品なのだろう。一段高くした台の上に置かれている。
小洒落たもん置いてるなぁ、と思う片隅に、アウルドゥルク領で装飾品を眺めていたフェスタローゼの横顔が浮かんだ。
あの時彼女が見ていた胸飾りもまた、同じ様に小鳥をモチーフにしたものだった。
「お待たせ。全部で銅貨2枚だよ」
店主の声に我に返り、「あいよ」と女将から預かった銅貨を渡す。
「ちょっと重いぞ」
銅貨と交換に渡された袋は確かにずしりと重かった。
「毎度あり!」
威勢のいい掛け声を送られたものの、何となく胸飾りが気になってしまう。するとそれに目ざとく気付いた店主が声を掛けて来た。
「何だ、気になる物でもあるか」
「んー……この胸飾り。いいな、と思って」
「あぁ、これか。これはな香木から作った胸飾りでな。値段はちょい張るがいい品だぞ。胸に付けてると仄かにいい香りがするんだ」
「へぇ」
一歩、身を乗り出したキカだが、店主は気の毒そうに眉を下げた。
「でも坊主にはちと高いな。銅貨6枚だ」
「銅貨6枚……」
インクを片手に持ちかえて、腰に結びつけた財布を探ってみる。ピッケが死んだ時に身に着けていたその財布には、仕入れをするためのお金がそのまま入っていた。
銀貨数枚と銅貨が幾許か。
キカは銀貨を掴みとって店主に差し出す。
「これ1個ちょうだい」
「ほぉ! じゃあ、好きな物1個選んでくれよ」
「えーと……じゃあこれ」
「はいよ!」
店主がいそいそと胸飾りを包み始める。キカはふつふつと湧きあがって来る高揚感に気持ちよく浸りながら、露店の周囲を眺めた。
人通りは余り多くない。
夕方の買い物にはまだ早く、通りは露店を冷やかしながら歩く人が数人いる程度だ。
そんな中で小路の中から顔を出してこちらを見ている若い男と目が合った。
やべっ、と慌てて目を逸らす。
そこに「待たせたな!」と店主の明るい声が響いた。
「かわいくしといたぜ」と渡された袋には赤いリボンがちょんとついている。
「え、別にいいのに」
「何言ってんだ。色男さんよ! 品物は贈りゃあいいってもんじゃないんだよ」
「そんなんじゃない、姉ちゃんにだよ!」
咄嗟に出た言い訳にいよいよ店主の笑みが増す。
「ま、どちらでもいいってことよ。はい、お釣り」
気恥ずかしさに口をヘの字にして銅貨を受け取る。受け取りながら、先程の小路にさっと目を走らすと依然と男はそこに佇んでいた。
「毎度あり!」という声に送られて踵を返す。
キカはそっと背後を窺った。案の定、小路の男が後をついて来る。だらしなく着こなした服の全てが男の意図を雄弁に物語っている。
――しまったな。銀貨を渡すのを見られたか。
内心、舌打ちしてキカは少し小走りになる。
このまま宿に戻って居場所を特定されるのも厄介だ。まいてから帰ろう。
幸いこの街は幼い頃から何度も来ている。小路に入り込んでも迷わない自信があった。
狭く入り組んだ小路を右に左に駆け足で抜けて行く。舗装されていない小路に砂埃が舞い散る。しばらくそうやってまいている内に、背後に迫っていた足音が次第、次第に遠のいていくのを感じた。
もう大丈夫だろうか、とキカは足を止めて息を整える。深呼吸を繰り返しながら後ろを確認して、前を見る。
「随分と羽振りが良さそうじゃないか、なぁ? お坊ちゃまよ」
脇の小路からばっと飛び出してきた男達がキカを取り囲んだ。服の差異こそあれ、だらしなく着崩しているという点は先程の男と同じだ。
――仲間がいたのか!
そろり、と後ずさる方向からも足音が迫って来る。両側は高い壁に囲まれ、前に4人と後ろに1人。完全な挟み撃ちだ。
「ちょーっとでいいからさ、恵んでくれよ、おい!」
襟元を掴まれて思いっきり壁に打ち付けられる。握りしめていた袋が破れて、インク瓶が転がって行く。
「やめろ! 触るな!!」
キカは腰に結んでいる財布に伸びて来た手を払いのけて、思いっきり正面の男に体当たりをかました。
一瞬の隙を突いて飛び出そうとするも、別の男に襟首を掴まれて引き戻される。ぐいっと首に食い込んだ襟のせいで思わず咳き込んだところに、容赦のない一発を鳩尾に喰らった。
「ぐぁっ」と声にならない声を上げて、身を折ったキカの背に強烈な肘打ちが叩きこまれる。
地面に倒れ伏したキカの目に、男達の汚い靴の先が点々と見えていた。
◆◇◆
昼下がりの一時。フェスタローゼは宿屋の部屋で1人、黙々と手仕事を進めていた。
少しでもキカのためにと、宿屋のカウンターに置いてもらった刺繍入りハンカチが思いの外好評で、予想以上の臨時収入となっている。
キカの今後の足しになる、と思うと布に刺す一針、一針に熱もこもって来る。そうやって集中していると、突然に扉を激しく強打された。
びっくりして扉を見ると外から「大変! 大変だよ!!」という女将の声がする。
切羽詰まった声に、慌てて扉に駆け寄り鍵を外して扉を開けた。
「ローザ!!」
開けた途端に女将が縋り付いて来る。彼女の顔色は真っ青に青ざめていた。
「どうしたの!?」
「大変だよ、キカが、あの子が!!」
「え?! キカがどうしたの?!」
女将はごくりと唾を飲み下した。
「……路地裏でキカが倒れていたって。全身酷い怪我で、教院に担ぎ込まれたって!」
すうっと全身が冷えた。フェスタローゼはまじまじと女将を見つめた。
「キカは……キカは無事なの?」と震える唇でようやく確認する。すうっと冷えた体の奥から細かな震えが襲って来た。
「命に別状はないけど、意識がないらしいのよ」
「そんな……」
「そんでもってこの間の事故の怪我人で教院がまだ満杯らしくってさ。応急処置だけはしとくから引き取りに来てほしいって言って来てるんだよ」
「分かったわ」
「あぁ、あぁ、待って。待って!!」
外套を取ろうと身を翻したフェスタローゼを女将の大声がが引きとめた。
「教院にはあたし達が行くからさ。ローザは万屋で替えの包帯を2、3個買っておいておくれ!」
「えぇ!」
「万屋の場所は分かるかい?」
「分かるわ! 宿を右にずっと行った角でしょ? 通りに面してる」
「そうそう! そこだよ。頼んだよ!!」
矢継ぎ早に言葉を交わしあって、女将はあたふたと部屋を出て行った。残されたフェスタローゼも外套を手に部屋を飛び出した。
走りながら慌ただしく外套を羽織る。
冬の午後の鋭利な空気の中を駆けて行く頭の中はごちゃまぜだ。
何で、どうして、という単語ばかりが頭の中を巡って、思考がまとまらない。
キカが積極的に誰かと喧嘩するとは思えない。なのにどうして?
「どうして。どうして今なの」知らず知らずに言葉が流れ出た。
やっと前を向き始めた矢先に、どうして。
心中吹き荒ぶ嵐を抱えたまま、通りを駆け抜けて万屋に飛び込む。
カウンター前にいた店主が、「どうしたね?!」と問い掛ける程の勢いだった。
「お嬢さん、顔が真っ青だよ。大丈夫かい?」
50絡みの恰幅のいい店主が、はぁはぁと肩で息をするフェスタローゼを心配そうに覗き込んだ。
フェスタローゼはそれには答えずに、切れ切れに「あの……包帯、ください。……3個……」
「包帯? 薬じゃなくて? ちょっと待ってな」
店主は運びかけていたビールをそのままドン、とカウンターに置くと背後にある棚の方に振り返った。フェスタローゼは胸の前で手を揉みしだきながらそわそわと待つ。
その時、一際高い笑い声がどっと背後で上がった。
卓を叩く騒々しい音に、がちゃがちゃとした笑い声が入り混じっている。
ちらりと様子を見ると、万屋のカウンター右手に設けてあるちょっとした呑み処で若い男達4、5人がジョッキを片手に大騒ぎしていた。
「仕事の後の一杯は染みるなぁ、おい!」
「頑張って働いちゃったもんなぁ!!」
どぅはは!、と上がる不快な哄笑に周囲の客達も迷惑そうな顔を隠さない。しかし彼等は冷たい視線も何のその、と言った風情で膝や手を叩いて盛り上がっている。
関わりあいになりたい手合いではない。フェスタローゼはカウンターに視線を戻した。それでも彼らの無駄に大きな声が耳に入って来る。
「あぁ、でも今日はマジでぼろかったな」
「おぅ。マジでな」
「まさかあんなガキんちょがこんなにタンマリ持ってるなんてな」
「なぁ~! これも僕達の日頃の行いの良さでしゅかねぇ!?」
何となく話の内容が引っかかった。眉をひそめて振り返ると、男達の1人が高々と財布を掲げて、空中でくるくると回しているのが目に入った。
「銀貨4枚だぜ、4枚!」
信じられない思いで目を見開く。
男が掲げている財布はピッケが仕入れの金を入れていた物と全く同じ。いや、そのものだった。口を縛る組紐も、革のくたびれ方も、道中何度も見ていたから間違いない。
「でもまあ、あんなガキが抱え込んでいるよりも俺達が使ってやった方がいいってもんよ!」
「にしても、あのガキ傑作だったなぁ。やめてぇ、やめてぇってな!!」
男達は腹を抱えて笑っている。
ドクン、と鼓動が跳ね上がった。
心配の余りに揉みしだいていた手をゆっくり、ゆっくりと下げる。血の気が引いていくのとは裏腹に、両手の拳に力が籠る。
「おい、親父ぃ!! 酒まだか、おいっ!!」
「早くしろよな?!」
けたたましく叫ぶ男達の声が遠く聞こえる。
「うるせぇ! こっちが先だっ!!」と言い返す店主にフェスタローゼは静かに話し掛けた。
「……私、手伝うわ。このジョッキでしょ?」
「あ、ああ。そうだが、でも……」
店主の返事を待たずにジョッキを二つ、ぐっと握り込んで振り返る。
厳しく眉根を寄せて近付くフェスタローゼに男達の間から野卑な口笛が飛んだ。
「すっげぇ、イイ女じゃねぇか?! ええ?」
「俺達と一緒に呑もうぜ!」
「膝来いよ、膝!!」
男達の卓の少し手前で足を止める。
フェスタローゼはジョッキの中身を思いっきり、男達に向かってぶちまけた。
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