第9話 明日の向く先

 亡くなったピッケの遺骸は女将の尽力もあって、無事に地元の教院で荼毘に付された。

 唯一の家族が細くたなびく煙となって精道に戻っていく様をキカと2人で無言のままに見送り、7日が経過した。


「それでは失礼致します」

 フェスタローゼ達の宿の部屋を訪れたイサール商会からの使者は、その場にいる3人に深々と頭を下げると、厳かに退室していった。コッコッと微かな足音が階段に向けて去って行く。


「まったく……」

 女将は腹の底から溜息を押し出して、逞しい腕を組んだ。眉を寄せて口を固く引き結んだ顔には、やりきれないという気持ちがありありと浮かんでいる。

 しかしそれもほんの数瞬のこと。彼女はすぐにそんな影を引っ込めて、小卓の前で縮こまっているキカに温かく話し掛けた。

「よくこらえたね。偉いよ、キカ」

「……あの人に当たってもしょうがないじゃん」

 小卓にはイサール商会からの見舞い金が入った袋がぽつんと置かれている。キカはその袋を見据えたまま言い添えた。

「そんなことをしても戻って来ないんだから」

 残酷に言い切った低い声に胸を衝かれる。

「キカ」と手を伸ばすも彼はスルリとその手を避けて立ち上がり、うーんっと背中を伸ばした。


「真面目な話しばかりでカチコチだよ! なぁ、修理して欲しい籠があるって言ってたよな?」

「あ……あぁ。納屋にまとめてしまってある。けど」

「じゃ、俺直して来る!」

「今しなくてもいいよ、キカ」

「いいって、いいって」

 ひらひらと手を振りながらキカは部屋から出て行こうとするも、途中で振り返ると小卓の袋を「それさ」と指差した。

「そのお金も女将が預かっておいてよ」

「そりゃあ構わないけどさ」と女将は当惑顔で返す。

「金額は今ちゃんと見ておきな。その辺はきっちりけじめつけとかないと」

「じゃあローザ見といて。それでいいだろ」

「え? でも」

 本人の方が、と言い掛けた目の前でバタンと扉が閉まった。


「もう、本人じゃないとダメなのに」と女将が困り顔でぼやく。

「キカに対して払われたお金だものね」

 フェスタローゼは袋を引き寄せて中を改め始めた。

「……あたしらの前で位、無理して笑わなくたっていいのに。その内、ポッキリ折れやしないか心配だよ」

「……そう、ね」

 それはフェスタローゼも危惧している。

 憔悴して部屋に閉じこもるのも心配だが、今のキカの状態もまた心配である。悲嘆を隠し続けて、元気に振る舞うことがどれだけ彼の心を疲弊させているか。


 懸念の心が2人の口を重くした。静まり返った部屋に、銀貨の詰まれる音だけがこっこっと響く。

 両腕を組んで出来上がって行く銀貨の山を黙ったまま見つめていた女将が、つと、「あのさ」と口を開いた。

「こんな時に酷なことを言うけどさ」

 人差し指でかりこり首筋を掻きながら女将は言う。本当はあたしだってこんなこたぁ言いたくない。そんな本音が透けて見える物言いだ。

「あんたはどうするの? まさかずっと一緒というわけにも行かないだろ」

 

 お金を勘定しながらまた黙りこんでしまう。

 南都に連れて行くと言ってくれたピッケは死んでしまった。フェスタローゼはフェスタローゼで、今後のことを考えなくてはいけない。それは重々理解している。

「銀貨40枚あるわ」

 すぐには返答できなくて、とりあえず枚数を報告する。

 銀貨40枚は帝国におけるひと月の平均月収くらいだ。不当に低いとは思わないが、手厚いとも言えない。

「銀貨40枚? 相変わらず吝嗇だね、あいつらは!」

「キカの今後を思うともう少し欲しかったわね」

「でも、まぁ。出るだけマシってもんかね。じゃあ、後で預かり証持って来るから」

「お願いします」と頭を下げる。

「あいよ!」

「あの、分かっているのよ」

 積み上げた銀貨を袋に戻しながら切り出した。

「いつまでも一緒にいられないのは。でも、もう少し。せめてキカの今後が決まるまでは」

「んー。気持ちは分かるけど……」

 それはどうだろうか。女将の顔には懸念がはっきりと出ている。だが彼女はそれ以上は言わなかった。

「まぁ、何かあったら声掛けて。ここは南都に行く通り道だからさ、女の子1人位ならどこかが引き受けてくれるよ」

 豊かな胸をドンと叩いた彼女にフェスタローゼは笑いながら頷いた。そっとしておいてくれる彼女の気遣いがありがたかった。


◆◇◆


 納屋の中。積み上げた籠を傍らにキカは黙々と作業をしている。

 手は勤勉に動いていてもキカの瞳に光はない。ただひたすらに一心に手を動かす。

 何も考えない。何も感じない。何も、何も。

 じいちゃんとか、今後とか、……ローザのこととか。今は何も。

 食いしばった歯の隙間から息が洩れる。手が止まった。

 彼はがくりと肩を落として縮こまる。

「……じいちゃん……」

 心細く呟いた。鼻の奥にツンと涙が広がる。


「キカいる? キカー」と不意にフェスタローゼの声が響いた。

 滲んだ涙を慌てて拭い、熱中していて気づかない体を装う。軽い足音が近付いて来て、納屋を覗く気配がする。

「あ、いた」という声にキカは目も上げずに「何?」とだけ返した。


「暗くない? 外でやればいいのに」

「いいよここで。集中できるから」

「ふぅん」

 フェスタローゼが納屋に入って来て、キカの傍らにしゃがみ込む。

「イサール商会の見舞金。銀貨40枚だったよ。女将さんに渡したから。預かり証は机の抽斗に入れといた」

「分かった」

 銀貨40枚。その枚数がキカの心に深く突き刺さる。

 ピッケの命は換金されてしまった。キカを抱き上げて笑った顔も、さみしい時に撫でてくれた手も、幼いキカを包み込んでくれた膝も。

 全て丸めて銀貨40枚。はい、どうぞ!ってなもんだ。

 笑える、本当に。げらげらと笑ってしまいたい。腹を抱えてひたすらに転げまわって笑ってやりたい。

「キカ」

 フェスタローゼが呼び掛けて来る。

 返事ができない。声を出したら、張りつめていた全てが洩れてしまう。うつむいて作業を続けていると、ひょいと籠が取り上げられた。

「何すんだ!」 

 かっとして叫ぶ。

 その刹那するりとフェスタローゼの手が伸びて来てキカをぎゅうと抱きしめた。


「なっ……何?」

 突然のことに驚いて声が詰まった。

 仄かに香る甘い匂いに包まれて、こんな時なのに不覚にもどきどきと胸が高鳴る。訳もなくそれが許せなくて、キカはフェスタローゼの腕を振りほどこうとじたばた抵抗した。しかし、彼女は更にぐうと力を込めて抱き締めて来る。


「何だよ! やめろよ、ローザ!」

 キカをしっかりと抱いたまま、フェスタローゼは首を振る。

「俺ならさ、大丈夫だから! 心配し過ぎなんだよ」

 とにかく早く放して欲しくてわざと明るい声を出す。

「行商は……続けられるか分からないけど。あ、でも俺、今年で成人するからさ、もしかしたらじいちゃんの許可証引き継げるかもしれないし! それまでここで下働きさせてもらってもいいし!」


 喋り始めると今度は言葉が溢れて溢れて止まらなくなる。

 キカはフェスタローゼの体を押し返しながら、いつも以上の早口で矢継ぎ早に捲し立てた。

「じいちゃんはさ、あんな風に言ったけど。ローザは気にしなくていいんだよ。南都で知り合いが待っているんだろ? 早く行った方がいいよ。俺もその方が安心できるし! そうだ、あの女将なら丁度いい隊商を紹介してくれるよ。相談してみようぜ、な?」

 それでも一向に放す気配のない彼女にキカの焦りはピークに達した。

 1ヶ月ちょっとしか一緒にいないが、フェスタローゼの気質は分かっているつもりだ。彼女は優しい。どうかと思う程に優しい。

 フェスタローゼは共にいられない事を悩み、キカの行く末を案じているのだ。

 その気持ちは痛い程に分かる。

「なぁ、気にすんなよ、ローザ。可哀そうとか元気出してとか、言わなくてもいいんだし、言えなくてもいいんだよ。それをお前が引け目に思うこともねぇんだよ。俺は本当に大丈夫だから。2人だったのが1人になっただけだから」


――1人になっただけ。


 空っぽの心で反響した。キカは目を見開いた。


――そうか。俺もう1人なんだ。じいちゃんいねぇんだ。

 

 事実がゆっくりと、しかし確実に心に染み込んで来る。

「俺、お、れは」

 言葉がつっかえる。胸がぐうっと塞がって喉がきゅっと締まる。

「1人……」

 1人でも大丈夫。そう言うつもりだった。でも言葉は出なかった。代わりに目全体からぼろぼろっと大粒の涙がこぼれた。

「俺、俺……」

 へへっと笑おうとする。何てな、と笑い飛ばしたい。泣きたくなんかないのに、涙が次から次へと溢れて来る。


「何で、何でだよ……。何で俺1人なんだよ……!」

 涙と共に伏せていた言葉が口を突いて出る。この7日間、眠れぬ夜に毛布を握り締めて呟いていた言葉が奔流となって溢れ出た。

「母ちゃんも、父ちゃんもいきなりいなくなって……じいちゃんだけだったのに。じいちゃんだけが一緒にいてくれたのに。……俺、どうしたらいいんだよ? どうやって生きていけばいいの? なぁ? なぁ?!」

 返事はない。返事はないがフェスタローゼはキカをしっかりと抱きしめて、背中をさすってくれる。背中を往復するその優しさにキカの悲しみが解けて行く。

「じいちゃん! 俺、怖いよ、じいちゃん!」

 もう限界だった。気持ちの全てが決壊した。


「うわぁぁぁぁん!!」

 激しい泣き声が響き渡る。

 意地も見栄も全てを捨ててキカはひたすらに泣いた。ピッケを亡くしてからずっと胸の底に凝っていた感情を曝け出して、目が溶けてなくなるのではという程に泣き続けた。泣きじゃくる彼をフェスタローゼの温かさがずっと包み込んでいた。

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