第5話 アウルドゥルク領にて

 “しょっぺぇ”アンヴィル領の次に踏み入れたアウルドゥルク侯爵領は、聞きしに勝る“甘露”だった。

 

 アウルドゥルク領は手入れの行き届いた街道といい、民草の呑気で明るい様子といい、荒涼とした雰囲気のアンヴィル領とは全てが真逆だった。

 ゆったりと日々を過ごしている人々の満ちた集落を仕入れと販売を繰り返しながら巡ること約10日。

 隣の領地との境界近くのカンジカの町に至る頃には、ピッケの腰にぶら下がった巾着はしっかりと銅貨を飲み込んで、頼もしい重量感になっていた。


「おし、今日は景気づけだ! ちぃっとばかし贅沢するぞ」


 ポン、と景気よく手を打ったピッケに連れられて、フェスタローゼとキカはカンジカの広場に繰り出した。

 

 農耕の女神・モナの神像を中心とした広場は豊かな色彩に溢れた天幕で埋め尽くされている。行き交う人々の間を縫い、軒先を掠めて通って行くと、肉を焼く香ばしい匂いや大鍋でたっぷりと煮られている甘酒のふくよかな香りがふわりと鼻先をくすぐっていく。


 重たげな冬の雲が低く垂れ込めた生憎の天気であっても、広場は中々の人出だ。女神像を中心に放射状に広がって行くどの通りも天幕と人とが溢れていた。


「本当に賑わっているわねぇ。特にお祭りとかではないのでしょう?」


 閑散としていたアンヴィル領とは対照的に過ぎる様子に面食らってしまう。これで中枢都市ではなく、境界近くのちょっと大き目な町程度の所なのだから、アウルドゥルク侯爵の領地経営の手腕はかなりのものである。


「何か迷子になっちゃいそう」

 そう言って、傍らを行くキカの腕に何気なく掴まる。

「ちょっ……止めろよな!」

「だって人が多いもの。あたふたしている内に置いて行かれそう」

「ローザは迷子札がいるなぁ」

「そういやぁ、森の中でも迷子になってた」

「あぁ」


 キカとピッケに出会ったのは昨年の12月半ばのことだ。銀髪の男に襲撃された森の中での出会いだった。お互いに警戒心剥きだしで相対したあの夜から1か月半。

 まさかこんな風に親しく連れ立つようになるとは思いもしなかった。笑いさざめきながら人混みの中を行く3人は、どこからどう見ても祖父と孫2人の家族連れだ。


「色んな匂いがして来てお腹が空くわ」

「だよなぁ!」

「ここいらでも十分美味いがもうちょっと行くと、なぁ? キカ」

「なぁ、じいちゃん!」

 ピッケが意味深な視線をキカに送った。それを受けてキカも得意気に頷く。

「あら、2人して何?」

 キカとピッケは顔を見合わせてから、にやりと意地悪く笑った。

「ま、黙ってついておいでよ」


◆◇◆


「ホラ、これ!!」

 

 満面の笑みで突き出された串をフェスタローゼはまじまじと見つめた。

 とろみのある茶色のタレがたっぷりとかかった肉の塊が3つ豪快に並んでいる。少し焦げ目のついた肉は見るからに香ばしそうで、くぅぅと喉の鳴る美味そうな見た目だ。

 

 初めこそ直接かぶりつくという、串焼きの食べ方に戸惑いと羞恥を感じたものの今となっては慣れっこである。

 串を持って、天幕脇の色褪せたベンチで仲良く3人で一斉にかぶりつく。ぶつり、とした確かな噛み応えと共に馥郁としたタレの香りが鼻に抜ける。

 一口頬張って、フェスタローゼは隣に座るキカを見た。口いっぱいに頬張って目を見張る彼女の様に、キカはしてやったりとばかりに満面の笑みになる。


「単なる肉だと思ったろ?」

 もちもちと咀嚼しながら何度も首を縦に振る。絶妙に甘辛いタレと絡む肉をようやく飲み込んで、フェスタローゼは感嘆の声を上げた。

「ごはん? 中にごはんがあるの?」

「そ! 肉巻きおにぎりだよ」と返して、キカは勢いよくがぶり、と頬張った。

「おにぎりって何?」

 不思議そうに訊き返したフェスタローゼに手際よく串を焼いている主人が、額の汗を拭きながら気さくに答えた。

「何だ、姉ちゃん! おにぎりも知らねぇのか。 この辺の人間じゃぁねぇな」

「え、ええ。玉都から」

「玉都かぁ」

 主人は、へん、とばかりに鼻を鳴らした。

「あっちの奴らは小麦ばっかりだからな」

「ごはんもあるにはあるけど……おにぎりは知らないわ」

「まぁ、ローザは知らないだろうな」と、訳知り顔でキカが言い添える。ペロリと二つ平らげた彼は最後の肉巻きと格闘中だ。


「おにぎりってのはさ」と横合いから口を出したのは、主人の横でせっせとごはんを握っているおかみだ。

 彼女はふっくらと分厚い手の平を差し出して「ほら、こうしてごはんを握るんだよ。だから『おにぎり』って言うのさ」

「なるほど。ごはんを握るからおにぎりなのね」

「そうそう。握るって言ってもねカンカンに握りゃあいいってもんじゃないの。こうして空気を含みながらね」

「うるっせえなぁ、お前は! そんな勢いで喋ったら姉ちゃんが食べられないだろうよ」

 

 身振りを交えて立て板に水とばかりに喋りまくるおかみを主人がピシャリと遮った。おかみは「あら、やだ」と目を丸くしてからペロリと可愛く舌を出す。


「つい熱が入っちゃって。冷めちゃうから早く食べてね」

「ったくよぉ。手が早いのはいいが口までもが達者過ぎていけねぇ」

「何だ、何だ。御馳走様だな」

 そう言って、ピッケは腹を両手でさすった。

「肉巻きも熱いが、お前さん達の仲も熱々ってな」

「本当ね」

「よせやい!」

 あはは、と巻き起こる声を背景に、もう一度肉巻きを頬張る。豊かに香る肉とタレの香ばしさを楽しみながら、行き交う人々を眺める。

 

 メディク領の惨状を聞き、アンヴィル領の荒廃を目にした後なだけに、人々が笑い、語らいながら歩いていく風景を見るだけで心躍る。そしてこの風景を維持しているアウルドゥルク侯爵の手腕に改めて興味を覚えた。


――もっと学びたい。アウルドゥルク侯爵からも他の大務達からも。そのためには。 


 咀嚼していた口が止まる。頬張ったまま、自分の胸の内に問い掛ける。


 そのためには。どうしたい?


 答えは出なかった。形を成すよりも早く、キカの伸びやかな声でフェスタローゼの思索の糸は切れた。


「なぁ、ローザ! 食えないなら食ってやろうか?」

「ん? んん? ……ダメ」

「ちぇー」

 頬を膨らます彼に、ピッケが苦笑いで、ほいっと銅貨2枚を投げた。

「何だよキカはしゃあねぇな。食いたいならもう1本買って来い」

「うっしゃぁぁ! 親父、もう1本追加!」

「毎度ありー!!」

 曇天の陰鬱な雲を吹き飛ばす勢いで主人とおかみが仲良く唱和した。


「美味かったぁ」とキカが幸せそうに、けふりと息をつく。

「2本も食えば満足だろうよ」

「1本でもお腹いっぱいだわ」

 

 お腹も気持ちも満たされた心地よさでぷらぷらと通りを行く。肉巻き串を食べて満腹なのに視線はついつい甘味の天幕を彷徨う。先を行く二人も、あれやこれやと天幕を指差しながら、どの甘味にしようかと話し合っている。


「お腹いっぱいでも目移りするわね」

「本当にそれな」

「いいぞ、今日は。アウルドゥルク領も最後だからな。しっかり食え!」

「おぅよ!!」

 キカが両手を高々と上げて応じる。

「こういう時は特に威勢がいい」と、呆れて囁くピッケに笑顔を向けながら、ふと通りかかった天幕に目を留めた。台の上に所狭しと並んだ装飾品に思わず「綺麗ねぇ」と足を止める。


 台に並んでいるのは、耳飾りや、胸飾り、腕輪などの種々雑多な装飾品だ。お世辞にもいい細工とは言えず、皇宮で身に着けていた物とは比べ物にならない安物だ。それでも、透き通った石の煌めき、金色、銀色の輝きは目を引く。


「どうよ、お姉さん。お一つ。今はね小鳥の図柄が流行ってるのよ」

 これ、と桜色の爪先で示された胸飾りを見てみる。それは意匠化された小鳥が嘴で花を咥えている小振りな物だった。中々に可愛らしい。

「このね咥えている花によって意味が違って来るの。桃色の花は恋愛、黄色は金運、朱色は幸福ってな感じでね」

「面白いわね。小鳥が望んだ運を持って来てくれるってこと?」

「そうそう」

「ローザ! どこに行ったかと……どうしたの?」

 キカはきょとんと装飾品に目をやる。

 フェスタローゼは、店主の若い女性に「ありがとう」と頭を下げてキカの隣に立った。

 そして肩を並べて歩きながら「綺麗だなぁ、と思ってちょっと見てたの。心配かけてごめんね?」

「いや、いいけど」

 キカがちらりと背後を振り返る。

「……やっぱり、あういうの欲しくなる?」

 

 見てはいけない秘密を覗いてしまったかのような、気不味そうな言い方だ。彼なりに気を遣っているのだ。フェスタローゼは、ふふっと小さく笑みを洩らす。

「欲しいとかじゃなくって、やっぱり並んでいるとついつい見ちゃうのよ」

「ふぅん」

「おーい、置いてくぞ!」とピッケが呼ぶ。

 

 低く垂れ込めた厚い雲を背景に鮮やかな天幕布が翻る。匂い立つ色彩の流れて行くままに「今、行きまーす」と叫び返して、キカと2人。ピッケに駆け寄って行った。

 

 

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