第3話 染み出す歪み

 セイボンを出て、足早に馬車を進めること4日。天候にも恵まれて、フェスタローゼ一行は目指すアウルドゥルク侯爵領まで後、町1つまで近づいていた。

 

 ピッケとの会話以降、フェスタローゼは集落に入るごとに商家や露天商を眺めては物価を観察するようになっていた。

 気をつけて見れば見る程に、アンヴィル領内の品物は本来の価値に対して値段が高過ぎる。そして流通も滞りがち、ということが見えて来た。


 フェスタローゼは手にした羽ペンを顎先につけてしばし首を傾げる。アンヴィル領内の物価についての覚書を書いているのだ。

 しばらくの間、考えた果てに“流通悪し。街道の治安悪化で護衛料が物価に上乗せされている”と書いてから、末尾に“?”と書き足す。


「よし」

 小さく頷いて、綴り帳を読み返す彼女に向かいのキカが怪訝そうに訊いて来た。

「さっきから何書いてんだよ。ニヤニヤして」

「ニヤニヤなんかしてないわよ」

 フェスタローゼは綴り帳を傍らに置いて、つんと強気に顎を上げた。

「してるって」

「してません! さ、ハンカチに刺繍しよ~っと」

「怪しい」


 しつこく言い募るキカにべっと舌を出して、やりかけの刺繍を取り上げた時、ピッケの鋭い声が切りこんで来た。


「キカ、ローザを隠せ」

「え?」


 フェスタローゼはポカンと口を開けたが、キカの行動は素早かった。彼は返事もせずに、さっと立ち上がると馬車の後方に積んである古着の山を素早くどかす。

 そして、意味が分からずにまだ目を丸くしているフェスタローゼの腕を強く引っ張った。

「早くここに隠れて!」

「え? ええ……」


 フェスタローゼは慌ててキカの作ってくれた小さな空間に膝を抱えて座った。キカはチラチラと前方に目をやりながら古着の山を元通りに積んでいく。

「何があっても絶対ここから動くなよ」

 彼の真剣な念押しに圧倒されてフェスタローゼはただ頷き返した。

「絶対だからな!」

 もう一度繰り返してキカは完全にフェスタローゼを覆い隠すと、周囲にある様々な荷物を手早く寄せ集めた。

 そして自分はフェスタローゼの隠れた場所の前にどっかりと座り込んで、何事もなかったかのように作業を再開する。


 キカが作業を再開するのと馬車が歩みを止めるのはほぼ同時だった。


「よぉ、爺さん。いい天気だなぁ」


 不快な笑いを含んだ声がかかる。 

 ピッケは行く手に立ち塞がった男達を厳しい眼差しで見据えた。そして素直に両手を上にあげる。

 

 相手は3人。

 武装していると言えそうなのは中央に立っている大柄な男ただ1人。

 その男だけは着古した粗末な革鎧を身に着けているが、両脇を固める2人は農夫の身なりそのままの、野良着としかいいようのない格好だ。腰に下げている山賊刀で辛うじてならず者と分かる。そんな3人連れだった。

 さしずめ食い詰めた棄民というところだろう。それならば御しやすい。

 

 ピッケは深く息を吸って、ふぅとこれみよがしに溜息をついた。

「天気の話をしたくて止めたわけじゃないじゃろ」

「まぁ、そらそうだ」

 頭領らしい大柄な男はガハハと無駄に笑う。

「荷車ごと置いて行けとは言わん。でもここを通して欲しければちぃーっとばかし通行料がいるぜぇ?」

「ちぃーっとばかしなぁ」と、答えつつ内心で舌打ちをする。


 こういう手合いを避けるためにメディク領を避けたのに、これはとんだ不運である。盗賊を子飼いにして好き放題やらせているツケが領内だけで済むはずがない。必ず周囲の領地にじわりと染み出して来る。


――とにかくこの連中にローザを見せるわけにはいかん。


 強く決意をして、ピッケは腰に付けている巾着の口を解いた。

「儂ぁ、この通りのチンケな雑貨商さ。持っている金だってたかが知れている」

「雑貨商かよ」と手下が悪態を吐く。

「積荷は何を乗っけているんだ」


 そう言いながら、もう1人の手下が腰の山賊刀をガチャガチャとさせながら近付いて来る。彼はひょいと幌を覗き込むと、編みかけの籠を抱えて座り込むキカに気付いた。

「何だ、ガキもいるのか」

 どれどれと言いながら男が荷台に乗り込む。

「孫には手荒なことをせんでくれ」

「俺ぁ、ガキをいたぶる趣味はねぇよ」

 

 言いながら、馬車内をキョロキョロと物色する男をキカが息を詰めて見上げる。そんなキカの目に入ったのはやりかけの刺繍布。慌てて身を隠したせいでフェスタローゼがそのままにしていってしまったのだ。

 キカの全身が総毛立つ。

 彼は男の目を盗んで、そうっと刺繍布に手を伸ばした。しかし、その動きが却って男の注意を引いてしまった。

 男と目が合う。

 キカは中途半端に手を伸ばした姿勢のまま固まった。彼の手の先を見た男が床に落ちている刺繍に吸い寄せられる。


 途端に男はキカを乱暴に押しのけると、彼の背後に積み上がった荷物の山を手当たり次第に崩し始めた。


「やめろ、触るなっ!!」

「うるせぇっ!」

 

 腰に取りついて押し留めようとするキカを振り払って男は荷物を崩し続ける。振り払われたキカは背中から背後の木箱に突っ込んだ。木箱が派手な音を立てて床に転がり、強かにキカを打つ。

 強打した背骨が軋むのも構わずに飛び起きたキカの前で、隠れていたフェスタローゼが引きずり出された。


「おい! すっげぇ上玉が隠れてやがったぞ!!」

 

 男は下卑た笑いに歪む口角から唾を飛ばしながら、フェスタローゼをぐいっと引き立てた。


「こいつぁ、高く売れそうだ!」

 男は抵抗するフェスタローゼの腰をぐいっと引き寄せると、いやらしく太股の辺りを撫で回しながら、「まぁ、売るからには試してみなくちゃならねぇなぁ?!」

「え? ちょっと……!」

 戸惑うフェスタローゼを余所に男はいよいよ劣情を催したのか、がばりと彼女の裾を捲り上げた。雪よりも白く、しなやかな足が露わになる。


「うぉ、すっげぇなぁ!!」


 荷台に走り寄って来たもう1人の手下が下品な歓声を上げた瞬間、キカが弾丸のごとき鋭さでフェスタローゼを抱えていた男に体当たりをかました。

 不意を突かれた男が体勢を崩した隙間に強引に体を捻じ込む。キカはフェスタローゼを自分の背中にかばい絶叫した


「死ねよ、クソがぁぁぁっ!!」

 

 箍が外れた尋常ならざる絶叫に男達が立ち竦む。キカはぎちぎちという音が聞こえるくらいに奥歯を食いしばって男達を睨み付けた。

 フェスタローゼは乱れた裾を直すのも忘れてそんなキカの背中を見上げる。一体この細い背中のどこにあの絶叫を生むだけの力があるのか。


「見つかっちまったもんはしゃあねぇ」


 ピッケはするりと御者台から降りると、棒立ちになっている頭領の脇に立った。そして、その耳元で低く囁きかける。


「あの女は止した方がいいぜ」

「どういうことだ?」

「あんな上玉、滅多にいねぇ。もちろん訳ありに決まってるだろ」

 ピッケは頭領の胸を馴れ馴れしい動作でトンッと小突いた。陰を含んだニヒルな笑いを浮かべる様は、後ろ暗い仕事を請け負い慣れた人間そのままである。

 対して頭領は未練がましく呟く。

「だけどよ……」

 見えない危機よりも、今まさに目の前にいる獲物の魅力の方が上回る。それは衝動で生きる者の性ともいえよう。


 ピッケは太く息を吐いた。

 そしてフェスタローゼから目が離せない頭領の肩を抱き、くるりと後ろを向かせる。

「分かった、分かったよ。でもこれだけは言っておく」

「な、なんだ」

「あれを御所望なのは、さる御方だ」

「さる御方?」

 オウム返しに言った頭領にピッケは訳知り顔で頷く。


「この先の領地っつたら分かるだろ?」

 ピッケの囁きに頭領はしばし中空を睨んでから、「アウルドゥルク侯爵か」

「あそこの放蕩息子は怖~い親父殿の目を盗んじゃあ、領地の方にああいった女をこっそりと集めてるのさ。それこそ仕損じたら儂らもコレもんよ」

 コレもん、と親指で首を掻き切る仕草をする。ピッケの迫真の口振りに頭領の目がたじろぎ始める。


「3人ぽっちを闇に葬るなんざ朝飯前だろうなぁ。しかも選りすぐりの逸品に手を付けるんだ。すんなり死ねる訳ねぇよなぁ」


 頭領はぺろりと舌で唇を濡らした。

 極上の女で楽しむか、命か。彼の中で両者がせめぎ合っている。ここまで持って来たら後一押しだ。

 ピッケはお金を入れているのとは別の包みからそっと宝石を取り出した。

 それを硬直している頭領の手に滑り込ませる。


「悪いこた言わねぇから、これで手ぇ打っときな」


 頭領の目が手の内に押し込まれた宝石に落ちる。その魅惑的な光が散り散りになっていた頭領の意識をまとめ上げた。

 彼はわざとらしく咳払いをすると、ぐっと宝石を握り込みとってつけたかのような空威張りを振りまく。


「しょうがねぇな、爺。これで手を打ってやるよ」

 ピッケはにやりと凄みのある笑顔で、ぽんと相手の腕を叩いた。

「長生きするぜ、頭領さんよ」

 そう言ってから、荷台の手前の方に積んであった酒瓶を無造作に2、3本掴んで、手下に押し付ける。

「それはオマケだ。持ってけ」

「あ、あぁ。すまねぇな」

 先程までの威勢はどこへやら、いっそ卑屈なくらいに愛想笑いを振りまきながら3人は去って行った。

 こそこそと街道脇にある雑木林に入って行く姿を見届けながら、ピッケはペッと唾を吐き捨てた。


「半端者が。一昨日来やがれってんだ」


 フェスタローゼは詰めていた空気を一気に吐き出した。乱れた裾を直し、キカに声を掛ける。


「キカ、助けてくれてありがとう。怪我はない?」


 返事はない。

 フェスタローゼの前に立ちはだかる背中が小刻みに震えている。背中だけではない。

 大きく開いた両腕、指の先、踏みしめた両足。全てが震えている。

 恐怖でもない。助かった安堵でもない。ただ、異様な緊張感がキカの全身で滾っている。


「キカ?」

 

 正面に回ったフェスタローゼは驚きに息を呑んだ。

 眦を裂けそうな程に見開き、剥きだした歯をぎりぎりと噛み締め、噛み締めた歯の間からふーっ、ふーっと荒く息を洩らして。

 キカは固まっていた。


「ちょっと、どいてくれ」

 

 のっそりと荷台に上がって来たピッケが、フェスタローゼを脇に避けてキカの前に立つ。彼はキカの体を包み込むようにそっと抱きしめて、ゆっくりと背中をさすり始めた。


「大丈夫。大丈夫じゃよ、キカ。じぃがおる。ローザも無事じゃ」

 

 ピッケの分厚い肩の上で異様なまでに真っ赤に染まったキカの顔が、がくがくと揺れている。見知ったキカとは余りに違い過ぎるその様に呑まれて、フェスタローゼは言葉もなく、ピッケとキカとを見つめる。


 大丈夫、大丈夫、とまじないのごとく唱えるピッケの声だけが幌の中に空しく響いていた。


 

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