第2話 揺れる勅命

 メディク領を避けて、隣のアンヴィル領に入ること2日。フェスタローゼ達一行は、アンヴィル領の中枢都市セイボンに入った。

 セイボンは規模としてはタスエよりもやや小さめ、街の中心に大規模な市場がある典型的な地方都市だ。


「やっと着いたねぇ」

 荷台からぴょんと降りて、フェスタローゼは思いっきり手足を伸ばした。

 街の中心にある市場から通り二つ分奥にある宿屋は店構えこそ小さいものの、手入れの行き届いた厩舎を備えた快適そうな所であった。


「久し振りの宿だな」

「本当ね。でも馬車の中に慣れちゃって、却って寝付けなかったりして」


 ぱんぱんとスカートの裾を払って、フェスタローゼは御者台の方に振り返った。

「どれから降ろす?」と訊いた彼女にピッケは首を振る。

「いや、ここはいい」

「え? 店開かないの?」

「おうよ。ここから先は当分の間でかい街はないからな。こいつをここでゆっくり休ませてやらにゃあ」

 こいつ、とピッケは荷馬車に繋がれた馬の首をさする。さすられた馬の方は、ふすっと得意気に鼻を鳴らした。


「儂は荷物番に残るから、キカとローザで部屋に泊りな」

「でもピッケ、腰痛持ちじゃない。一緒に部屋に泊りましょうよ」

「いいって事よ」

 ピッケは小さな巾着袋を、ほいっとキカに投げて渡した。


「ローザと2人だからって変な気、起こすなよ」

「起こさねぇよ、ローザなんかに!!」

「あら、まぁ。ひどい」

「すぐそうやって調子に乗る!」

 

 わざとらしく大袈裟に驚いてみせたフェスタローゼに、キカが食ってかかっる。口調は激しいものの、耳まで染まった真っ赤な顔が照れ隠しであるのを全てばらしてしまっている。


「ローザは最近、生意気だぞ!」

「いいから、早く金払って来い」

 

 なおも怒るキカにピッケがしっしと手で追い払う仕草をする。キカは肩を怒らせて、ぷりぷりとしながら帳場に向かって行った。

 

 その後ろ姿を見送りながら、ひとしきり笑った後にフェスタローゼはピッケに訊ねる。

「少し休んだら仕入れに行く? 一緒に行くわよ」

 すると意外なことにピッケは首を振る。即断といっていい早さだった。

「何で?」

「そんな驚くこたぁねぇよ」

 ピッケはころころと笑うと腰に括りつけている煙管を取り出した。見慣れた動作で刻み煙草を丸めながら彼は辺りをはばかるように、少しだけ声を落とした。


「ここいらはな、租税が高けぇんだよ。高けぇ租税がかかっているせいで、他の領地より割高な上に物が悪い。正直、この街は売るのも買うのもしょっぺぇ街さ。馬を休ませるんじゃなきゃ寄る価値もない」

「租税が高いって……どのくらいなの?」

「4割」

「4割?!」


 法外な値に素っ頓狂な声が出た。厩舎で馬の世話をしている人々の視線が、ついとフェスタローゼに集まるくらいの大声だった。

 だが彼女自身はそんな事にはお構いなく、悠然と煙管を吸いつけるピッケに前のめりになって問い質す。


「だって租税の割合は上限2割でしょう? しかも今は、経済状況の悪化から1割に留めおくようにという勅令が出ているはずよ。なのに4割なんて……!」

 

 税金の仕組みと現在の取り組みについては、鴻庫こうく大務のエストソープ上級伯夫君から学び直したばかりだ。

 好々爺のエストソープ上級伯夫君は丸っこい眉を上げ下げしながら、実に分かりやすく教示してくれた。しかし、その教示内容とは余りにかけ離れた現状がフェスタローゼの声音に叱責の熱をこめた。

 

「4割なんざザラだよ、ローザ」


 対するピッケは飄々とした風情で答える。

「でも、そんな法外な」

「まぁ高いわなぁ。でもま、領地によっちゃ7割なんてところもあるからな」

「論外だわ!」

「まぁなぁ」

 ピッケはかりこりとごま塩頭を掻いていたが、改めて煙管を深く吸うと、ほうと美味そうに煙を吐く。そして憤りに頬を赤く染めたフェスタローゼをちらりと見て、どっしりと腕を組んだ。


「ローザ、お前は賢い。読み書き計算もしっかりしているし、まつりごとにも明るい。ちゃんと学問を修めているのがよく分かる」

「何の話?」

 反論しかけた彼女を、ピッケはまぁまぁといなす。

「お前さんは間違いなく、ちゃあんと知識がある。でもその知識は血が通ったもんじゃねぇ。通り一遍の知識だ」

 フェスタローゼは一瞬、息を詰めた。頬の赤みがより一層濃くなる。

「……どういう事?」

「だからさ、机上の空論だってのさ」

「それは!」と勢いよく飛び出した言葉がすぐにしぼむ。

 フェスタローゼはぎゅうと胸元を掴んでごにょごにょと口の中で反論した。

「そう……かもだけど」

 そのまま黙り込んでしまった彼女の腕をピッケは、ぽんと気安く叩く。


「儂は責めてるんじゃねぇ。ただな、現状を見ていって欲しいだけさ」

「……現状?」

「そうさ。お前さんは本来はこんな場所にいる人間じゃねぇ。そうだろ? どこの貴族かとかそんなこたぁどうでもいいがよ。ローザは儂らよりは、この国を変えられる場所に近い所にいるはずだ」

 

 正確にはだ、と言いたくなる気持ちを飲み込んで、フェスタローゼはピッケの言葉に耳を傾ける。


「だからよ、お前さんには儂ら平民がどんな現状で生きているのか見ていって欲しい。ローザ1人じゃ、すぐには変化はしねぇかもしらん。それでも血の通った現実を知っている人間が上の方に増えて行けば、少しづつでも国は変わる。儂はそう思うんだ」


 そう言うとピッケは照れ臭そうに煙管をふかして目元を緩ませた。

「ま、学のねぇジジイの戯言だけどよ」

「そんなこと……ない。ピッケの言っている事はきっと正しい」

「そうかの。ありがとよ」

 ううん、とフェスタローゼは首を振る。

「お礼を言うのは私の方。森の中で私を拾ってくれたのがピッケで本当によかった。私の知らなかったこと沢山教えてくれる」

「ま、年だけは食ってるからの」

 

 のっほほとピッケが笑う。釣られてフェスタローゼも眉間に籠っていた力を抜いた。ついでにぐるんと両腕を大きく回転させて、凝った肺の空気を入れ替える。

 よし!、と心中秘かに喝を入れて、フェスタローゼは改めてピッケに向き直った。


「さっき租税4割はザラだって言っていたけど、皇帝の勅令は事実上無意味ってことなの?」

「意味がねぇ、とまでは行かないがな。基本的に各領地の経営は税金徴収も含めて、それぞれの領主に任されているからの。勅令とは言っても結局は『そうするのが好ましい』っていう程度の力しかねぇ」

「そうなのね。勅令に従うかどうかも含めて領主に一任されているのね」

「そういうこった。勅令通りに租税1割になってるのは各天領地と後は……そうさなぁ。東都周辺のスルンダール各領とかソラミエール各領とかだな」

「スルンダール家もソラミエール家も旧王家で、皇族に近い立場ですものね」

 

 スルンダール、と口にした時、仁王立ちでフェスタローゼをかばったスーシェの背中が甦った。

 イデルとスーシェはどうしているだろうか。2人共フェスタローゼを探してまだタスエ周辺にいるのだろうか。


「でもまだずぅーっとマシさね。今の皇帝の前。混濁帝のコンコンチキの頃よりはなぁ」


 物思いはピッケの苦々しい口調で破られた。

 新たな刻み煙草を詰め込んだ彼は、煙突のごとき勢いで盛大に煙を吐く。

「あんの野郎の頃にゃあ、租税8割が当たり前だったからな。しかもちっとでも見てくれのいい女がいたら、夫役だなんだって引っ立てて行くしよ」

「あぁ……」


 先帝・リスドゥルパンナ。漁色に溺れ、放蕩の限りを尽くした先代皇帝は、その厭わしさから名前で呼ばれることはない。誰もが唾棄するがごとくに言い捨てる。

“混濁帝”と。


「本当にひどかったらしいわね」

 言いつつも、死してなお蛇蝎の如くに嫌われる祖父にチクリと胸が痛む。

 もちろん生まれる前に病没した祖父に対する憐憫ではない。ここまで民に憎まれる皇帝を出したことに対する悔悟だ。


「帝国中の領地で食い詰める奴らが沢山でおってな。街道が棄民で溢れかえっとったわい。あの頃の租税に比べたらまだまだマシだ」

「でもまだメディク領やここみたいな所がいっぱいあるのよね。改革はまだ途上だわ」

「ローザは難しい言い回しをするな。簡単にいやぁ、世の中もっと良くなればええ」

「そうね」

 フェスタローゼは微笑んだ。

 そして「本当にそう」と噛み締める。


「おーい、ローザ! 部屋取ったぞ、早く来いよ!」と厩舎の入り口でキカが叫んだ。フェスタローゼは、ぱっと顔を上げると口の横に手を添えて「今行く!」と返す。


「じゃあ行くわね。腰辛くなったら言ってよ?」

「おうよ」

 気安くそう返してから、ピッケは煙管を口から外して「そういやぁ」と膝を打った。


「租税と言えばな。この先のアウルドゥルク侯爵領も租税1割だな」

「地統大務の?」

「そうそう、あそこはここいらのしょっぺぇ領地とは雲泥だ。売るのも買うのも両方いい」

「それはいいわね。行くのが楽しみだわ」と言った語尾にキカの焦れた調子が重なった。

「ローザ!!」

「うるさいヤツだな。早く行ってやってくれ」

「分かった。じゃあまた後でお茶持って来るわ」


 再び煙管を咥えたピッケが返事代わりに片手を上げるのを見届けて、フェスタローゼは焦れているキカの方へと走り寄って行った。

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