2章 広がる現実
第1話 分かれ道の先に
・登場人物表
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・用語解説
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◆◇◆
タスエを出発してから約半月。年をまたいで帝国暦467年
新年を迎えて華やぐ大小様々な集落で行商を続けながら、フェスタローゼ達は南都への道のりを順調に進んでいた。
目の前で道が二股に分かれている。
フェスタローゼは幌の内側から御者台の方へ半身、身を乗り出してピッケに話し掛けた。
「左に行った方が近道よね?」
左側の道の先あるのは確かメディク伯爵領のはずだ。フェスタローゼの記憶の中から濃い茶色の髪を美しく撫で付けた伯爵の横顔が浮かび上がる。
「そうだなぁ。メディク伯爵領を抜けた方が早いがな」
こっちだ、とピッケは手綱を引き寄せて馬の首を右方向に向けさせた。
「あら、どうして?」
「え?なんで?」
仲良く揃った2つの声にピッケの皺だらけの口元が幸せそうに緩む。
「そうさなぁ」
「3日は変わって来るのになんでこっちなのさ」
籠を編む手を止めずにキカが頬を膨らました。
そんな表情をすると世慣れた小賢しさが引っ込んで、年相応のあどけなさが出て来る。
「それに儲かるわけでもないし」と不服そうに付け足したキカの横に腰を降ろして、フェスタローゼはやりかけだった刺繍を再開した。
馬車の揺れで狂いがちな手元に改めて集中しながら、ふと浮かんだ考えをそのまま口にする。
「もしかしてこちらの領地の方が通行税が安いとか?」
「いいや。むしろメディク伯爵領の方がウンと安い。タダ同然だ」
「だったらさぁ!」
「通行税は安い。それは確かだ」
ただし、と言ってピッケは肩越しにニヤリと笑う。
「無事に領地を通過できたら、だ」
「……どういうことだよ」
不愉快そうに眉を顰めてキカが問う。いつの間にか籠を編む手が止まっていた。
「盗賊が多いのさ」
轍に車輪を取られた馬車がガクンと大きく揺れる。ピッケは「ほっ、ほっ」と独り言を洩らしながらしばらく操縦に集中していた。
「そんなに盗賊が多いの?」とフェスタローゼが訊く。
「ん? あ、あぁ」
生返事をしてから、ピッケは油断なく前方を見据えた。
「メディク伯爵領の評判を知ってさえいれば迂回するんだがな。知らない奴がべらぼうに安い通行税に惹かれて入っていっちゃあ、盗賊に金品巻き上げられるのさ」
「領主は一体何をしてるの?」
「月に1回位は捕まえているよ」
「たったの?!」キカが素っ頓狂な声で叫んだ。
孫息子の素直な反応にピッケは前を向いたまま、喉の奥でくつくつと笑う。
「そうさ。だいたい月1回程度さ。しかも何だかんだ理由をつけて直ぐに釈放される」
「え? それってさ」
フェスタローゼとキカは顔を見合わせた。フェスタローゼの刺繍の手も止まっている。
「それじゃあ、まるで領主が盗賊とグルみたいじゃない」
キカの言葉を引き継いで言う。傍らのキカもうんうんと首を縦に振って同意した。
「まるでというか、まんまだな」
「だってそんな……!」
メディク伯爵はそんな事をするような人じゃない、と言いかけて口を噤む。
代わりに止まっていた刺繍の手を動かしながら、「でも本当なの? その話。領主様自らが盗賊と共謀しているってことでしょ?」
「まぁ……領主って言ってもあそこの伯爵様は国司を置いてるからなぁ。領地経営は全部、国司任せなんじゃないか。自分の領地に来たことがあるかも怪しいもんだ」
「そんなんでいいの?」
「お貴族様の考えるこたぁ知らん。ただ、毎年問題なく租税が上がってくるなら言うことなしって御方なんだろうよ」
「な~んかいい御身分だよな、お貴族様って」
つとフェスタローゼの手が止まる。
彼女は両目を見開いて、唇をそっと噛み締めた。
人当たりが良く、穏やかな人柄で、特に詩に関しての造詣が深いメディク伯爵は、それなりに親しく付き合った人物である。
伯爵家の季節の花に彩られた優雅な庭園で、彼の落ち着いた声で紡がれる古代詩に耳を傾けたこともある。
あの伯爵の治める領地がそんなデタラメな状態になっているとはついぞ聞いたことがない。
――やっぱり私は何も見えていなかった。
「どうした? ローザ。怖い顔して」
キカの言葉に、はっと物思いから覚めて苦笑いを浮かべた。
「針刺しちゃった」と誤魔化して、左手の人差し指をペロっと舐める。
「相変わらずドジだなぁ!」
「本当ね。気をつけなきゃ」
「そんな根詰めてやらんでもえぇぞ」
「平気。大丈夫よ」と御者台のピッケに大声で返して、フェスタローゼは何気なく付け加えた。
「ねぇ、でも。上の方には言わないの? ほら、朱玉府とか」
「しゅ……ぎょくふ? 何だそれ」
「貴族専門の役所のことよ。 貴族の起こした悪いこともここに申し出るの」
「へぇ~! ローザは詳しいのな、貴族の事」
「ちょっと聞いたことがあるだけよ」
「いちいち申し出てもな。メディク領みたいにあからさまなのは珍しいけど、他の領地だって似たようなことやってるしな」
「そうそう。貴族なんてどいつもこいつも同じだよ。俺達、平民のことなんてこれっぽっちも気にかけてやしないよ」
「でも少なくとも陛下は」
「皇帝なんて! もっと俺達のことなんて何とも思ってないよ」
そんなことはない。
言いかけて押し黙る。押し黙ったのは自分の素性に関わるからではない。
反論できない。そう思ったからだ。
贅を凝らした瀟洒な宮殿の一角で令侍にかしづかれながら、絹織の柔らかで華麗な衣装に身を包み、真っ白な美しい指で針をつまんで刺繍に興じていた頃の自分が、どれ程に国民の事を思っていたか。
何とも思っていないなんてことはない。飢饉がある、水害があった、流行病が、と聞けば胸を痛めて、自分にできることはして来たつもりだ。
しかしそれが真実、国民のためになって来たのか。それを思うとキカの一言が深く胸に突き刺さった。
それにメディク領の悪行を聞いたところで、今のフェスタローゼにできることは何一つとしてない。
ノコノコと玉都に戻ったところで、法主の息のかかった大教院に幽閉され、またぞろ異端審問が始まるか、それすらもなくただ謀殺されるか。
こんな立場に追い込まれるまで何も気づいていなかった自らの愚かさがやり切れなくて、フェスタローゼはたまらず溜息をついた。
「それにしてもメディク領は本当にひどい話ね! やりきれないわ」
「まぁなぁ。色々とあるさね」
御者台のピッケは、ほっほっと呑気に笑いつつ、手綱から片手を離してトントンと腰を叩く。
その動作に気付いたキカが、ぱっと立ち上がると幌の中から器用に手を伸ばして、「じいちゃん、ここだろ」とピッケの腰を叩いてやる。
「おぅおぅ。そこじゃ。気持ちいいのぉ」
フェスタローゼは祖父と孫息子の仲睦まじい様子に愛情深く目を細める。そして手元の刺繍にポツンと一針、糸を通した。
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