第9話 魁を継ぐ者
「我が名はシェラスタン。魁星・ナッサンドラの跡を継ぐ者だ」
シェラスタンの声が冷たい石壁に響く。
砂霞はなおも刀の柄に手を掛けたまま、シェラスタンをじっと注視した。
天雲信徒団ではアラミタマ神は精道そのものであり、アラミタマ神の息子であるナッサンドラはその意思を人々に伝えたと言われている。
そして男は自らをそのナッサンドラ神の末裔であると言う。
何を馬鹿な事を、と一笑に付したいところではあるが、目の前の男から感じる気配は常人のそれではない。砂霞は柄に掛けた手により一層の力を込めた。シェラスタンの側にいた4人がそんな砂霞を取り囲む。
「精道神の末裔は何もフォーン帝国の皇族だけではない」
彼は薄らと色づいた唇を歪めて酷薄な笑みを浮かべた。
「そんなご大層な人間が私に何用か」
「
“お前を迎えに来た”
1ヶ月半程前に雪峰から言われた言葉が甦る。砂霞の眉が苦笑いに歪んだ。
「どうにも私を迎えに来たい御仁が多いようだな」
「笑いごとではない」
眉ひとつ動かさない鉄面皮でシェラスタンは砂霞の言葉を斬り捨てる。
「その力を持って
「何を言っている」
シェラスタンの鉄面皮が崩れた。彼の額に戸惑いの皺が寄る。
「お前まさか自覚がないのか」
「自覚……?」
その瞬間、シェラスタンの周りの精道が大きくたわみ、辺りを包み込んだ。石壁の部屋は消え去り、薄青い光の粒子が散る空間に取って代わる。心地よい静寂に自分自身が溶け込んでいく。
このまま消え去っても構わない。そんな気持ちが砂霞を満たし始めた途端、弾きだされるような感覚に、はっと目が覚める。気づけばそこは元の石壁の部屋だった。
「……今のは」
「精道の中だ。口で説明するよりも実際に体感してしまった方が話も早かろう」
「精道の、中?」
「万物を巡る生命の源。この世の根源の世界。そこにいたる事は、只人の身では無理なのだよ」
「何が言いたいか」
シェラスタンの瞳がすぅと細くなる。
「お前はエフィオンだ」
「エフィ……オン?」
「ミタマビトと言えば分かるか」
「戯言を。謀るにしても他に言い様があろう」
「これが戯言かどうか。お前自身の見たものが答えだ」
砂霞は答えに窮して、ぐっと息を詰めた。そんな彼女の様子にシェラスタンは溜息をついて呆れ声を上げる。
「それ程の力を有していながら何の自覚もないとは。一体、どうなっている」
「そんな事は私も知らないし、どうでもいいことだ」
強く、きっぱりと言い切って自分を取り囲む者達とシェラスタンを順番に睨み付ける。
「私は目的があってここに来ている。下らない長話に付き合う気はない。帰らせてもらう」
「お前はまだ若い。今はそれで通るやも知れぬ。しかし強大に過ぎる力はやがてその身を淀ませる。力にはそれを律する術が必要だ」
「だが」
「だいたいお前は」
シェラスタンの言い方が急に砕ける。彼は聞き訳のない子供に対する親の口調で砂霞に語り掛けた。
「エフィオンの寿命が分かっているのか。300年近く続く生を、他のエフィオンの教導なく1人で生き抜けると思っているのか」
「先のことなど知らん。私は亡き主の魂を解放することができればそれでいい」
「……忍ノ御門和佐のことか。正禍であったな」
「正禍を知っているのか」
「もちろん。アラミタマ神は二面性を持つ。ローディン教でいうところの精道神アマワタルと淀神アマオトスだ。これらは同一の神であり、淀神アマオトスは人に宿る。その器となったのだから死は免れない」
「それは分かっている。なればその魂はどうなる。アラミタマ神の元に留め置かれるというのは本当か」
「お前の目的はそれか、愚かな。そこまでの力がありながら何故、只人である主の死に拘るのか」
「愚かかどうかは私が決めること。これ以上は構わないでもらいたい」
シェラスタンを取り巻く精道が熱を帯びる。
「これが最後だ。我らと共に来い」
「断る!」
その刹那、空間の断裂が砂霞を襲った。咄嗟に抜刀した砂霞はそれを力任せに打ち払うも、まるで大木を叩きつけられたような衝撃に、思わずたたらを踏んでしまう。
体勢を崩した砂霞に周りの者達が距離を詰めた。
「それを許し、帝国につかれても困る。我等の仲間とならぬのならば後顧の憂いはここで断つ」
周りを取り囲む者達からも刃が向けられると、砂霞は身を屈めてそれらを躱し、固く冷たい床の上を勢いよく転がって体勢を立て直した。返す刀で追撃を薙ぎ払う。
だが、その隙を突いて再び空間の断裂が走り抜けた。
「面倒な技を使う」
「二度も躱すか。面白い。惜しいことだ」
厄介な事になった。
歯噛みしたい思いで砂霞は刀を構える。どうやら魁星大院に来たのは完全な無駄足になりそうだ。
せり上がる苦い思いを飲み下しながら、とにかく冷静にと自らをなだめつつ状況を確認する。
相手はシェラスタンを入れて5人。砂霞にしてみればシェラスタン以外の者達はさほど脅威ではない。それでも随所で迫る攻撃に苦戦を予感する。ただ、幸運なのは全員を倒す必要はなく、ここから脱出できればよいということだ。
――ならば。
深く踏み込む。
シェラスタンへ向けて渾身の力で以て振り下ろした迫真の一撃はしかし、あっさりと素手で防がれた。
「素手で?!」
思わず声を上げた隙を突いて、シェラスタンの鋭い一閃が叩きこまれる。わずかな動作で躱した砂霞の髪が数本、宙を舞った。
素手ではない。手の先に精道を固めて刀のごとくに使っているのだ。
ち、と舌打ちする。
通常の剣技では到底叶わない。ならばどうすると、一瞬の葛藤が過ぎる砂霞の意識に微かな精道の揺らぎが触れる。
砂霞は咄嗟に、その不安定なままの精道の流れに意識を注ぎ込んだ。
瞬間、精道の流れが空間を断ち切る。
奇しくもそれは、先程シェラスタンが見せた術と全く同じものだった。
「なにっ?!」
予想外のことにシェラスタンの注意が逸れる。その刹那を逃さずに砂霞は驚く団員達の間をすり抜けて、壊れた扉の隙間から回廊へと飛び出した。
のどかな午後の陽射しが揺蕩う中庭を駆け抜けて、取り囲む壁を蹴って、一気に屋根に飛び上がる。
団員達が回廊に慌てて出た時は既に、屋根を駆ける砂霞の姿は彼方の砂粒となっていた。
「逃がすな、追えっ!」
「待て」とシェラスタンの声がかかる。
「しかし」
「良い。想像以上の才だ。今しばらくは猶予をやろう」
回廊に出て来たシェラスタンの口元には微かな笑みが浮かんでいた。彼は砂霞が去った方向を見やると団員達へと視線を戻した。
「是非とも我が団に欲しいもんだ」
「……難しいのではないでしょうか。元の主の死因が正禍では」
「つまらん拘りだ」
軽く首を振って、シェラスタンは深くフードをかぶった。
「だが、忍ノ御門が正禍になったということは、アマオトスが帝国にいる可能性が高い。帝国に行かねばならなくなったな」
「承知致しました。すぐに他の者達を集めます」
「いらぬ。一人の方が却って都合が良い」
「やはり玉都でしょうか」
「だろうな。顕現具合を確認して来る」
4人いる団員達が集って来て、彼らの首魁に敬意を込めて頭を下げる。
「後は頼んだ」
シェラスタンの体が薄青く光る。彼の姿は青い粒子となって周囲の空気に溶け込んで行った。
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