第8話 魁星大院

 和佐の刀と共に紫翠国を出国してから約1ヶ月半が経過した11月シドリアナン下旬。

 砂霞の姿は天雲信徒団タナム=ナッサンディア総本山・魁星かいせい大院にあった。

 雪峰からはローディン教の聖都・カチュアに行けと言われたが、砂霞としては天雲信徒団の総本山で先に“正禍”の情報を確認しておきたかった。


 砂霞は目の前に聳え立つ魁星大院の本廟ほんびょうを見上げた。

 8本の柱に支えられた大ドームが冬の乾いた光を受けて、艶やかな黒色を放っている。主神・アラミタマ神とその息子の、魁星・ナッサンドラ神を祀る廟は4本の優美な尖塔に囲まれて、威風に満ちた姿でこちらを圧倒して来る。

 

 その荘厳さに足を止めて目を奪われたのも束の間。砂霞はすぐに口元を引き締めて、油断なくそっと辺りを見回した。辺りにいるのは、一様に八芒星の胸飾りを垂らした巡礼者ばかりで、彼女に特段の注意を払う者はいない。その事を確認して砂霞は僅かに肩の力を抜いた。


「いなくなったか」と思わず声を洩らす。


 つけられている。

 その事に気付いたのは、王都・曲水を出た頃だった。1人ではない。複数の人間がひっそりと後を付けて来る。

 

 初めは王家の手の者かと思った。だが、王家には用済みになった護衛官をわざわざ追う理由がないことから早々にその説は捨てた。では人攫いの類かとも思ったが、謎の追っ手は襲撃して来る素振りすら見せない。ただひたすらに、実直と言ってもいい熱心さでついて来る。

 

 見えない鬼ごっこは国境を越えてもなお続き、砂霞が魁星大院の門前町について、ふかし饅頭の湯気と、巡礼者を呼び込む宿屋の甲声かんごえをくぐり抜けている間もずっと背後でわだかまっていた。それが魁星大院に到着した途端に気配が失せたのである。


 露骨に怪しい。だが、主を失くして漂泊の身の砂霞を追うことに意味があるとは思えないし、しつこく追われる心当たりもない。


――気にはなるがいなくなった事で良し、としよう。


 そう結論付けて、砂霞は今後のことに思いを馳せる。

 とりあえず魁星大院には着いた。正禍を調べるためにまずは蔵書に当たろうか、それとも識者に当たろうか。どちらにしても大院のどこかで聞いてみるしかない。


 目の前の本廟に入ってみるべく、巡礼者の波に乗って歩き出そうとしたその時。彼女の前についと1人の僧侶が立つ。


 着古した簡素な漆黒の貫頭衣の胸には白で染め抜かれた八芒星。彼は両手をやんわりと腹に当てて、恭しく一礼した。釣られて会釈した砂霞に彼は柔らかく告げる。


香内こうのうつ殿ですね。お待ちしておりました」

「え?」


 戸惑う砂霞に向ける僧侶の顔はあくまで穏やかだ。どういうことか、と固まる砂霞の足元を鮮やかに色づいた赤い葉がくるくると舞って行く。


「えと……あの?」

「どうぞ、こちらへ」

「いや、しかし。どうして私の名を」


 僧侶は砂霞の問いには答えずに、にこやかな笑みを崩すこともなく「さあ」と促して身を翻した。

 答える気はない、黙ってついて来い、ということだろう。

 砂霞の胸がざわりとする。

 脳裏に過ぎったのは、つい先程までしつこく追って来た尾行者達。彼らが姿を消してすぐに現れた僧侶。何らかの関連があるに違いない。


――どうしようか。


 身を翻した僧侶は数歩行った所で足を止めて砂霞を待ち受けている。

 通り過ぎる巡礼者達に軽く頭を下げて、柔和に迎え入れる様は聖職者以外の何者でもない。極、自然に溶け込んでいる。だからこそ余計に不気味だ。

 

 砂霞の手が無意識の内に腰に佩いた刀に触れる。彼女はぎゅっと柄を握った。まるで亡き主に問い掛けるかのように。

 ぎゅうと握ってから、ぱっと手を離す。

 腹は決まった。

 決然と頭を上げて僧侶の方へと近づいて行く。彼は軽く頭を下げてから、口元の笑みを絶やさないままに踵を返した。


 本廟に入るかと思いきや、僧侶は人々の間を巧みにすり抜けてその脇を通り過ぎる。彼について、巨大なドームを間近で眺めながらその背後へと回り込んでいく。

 本廟の後ろは中庭をぐるりと囲んだ長い回廊となっていた。

 

 中庭は長方形に作られた池を中心に整えられたナッサンドラ様式である。池の中心にはシャクナゲが植えられており、その周りを真四角に刈り込まれた低木が取り囲んでいる。

 

 花の時期ならばさぞかし艶やかで彩に満ちた風景になるのだろうが、晩秋にあっては寂寥感さえ感じる風景だ。シャクナゲの瑞々しい緑の葉がその感をより一層強く浮き立たせる。

 しかしそんな風情溢れる中庭の情景も砂霞の目には何の感慨も生まない。なにしろ彼女は通って来た道順を覚えるのに必死だったからだ。


「本当に複雑怪奇だな」

 

 思わず本音が洩れた。

 前を行く僧侶が「え?」と振り返る。


「総本山の迷宮具合は聞いていたが、実際に来てみると想像以上でつい」

「あぁ」と僧侶は微笑む。

 今までの張り付いた笑みではなく、情のこもった本心の笑みだ。


「全ての廟を回廊で繋ぎ、隙間には中庭を作る、を続けて広くなりましたからね。どうしても複雑な構造にはなりますね」

「今でも広がり続けているのか?」

「今は流石に……。見ての通りの山なので」

僧侶はふわりと眼下に広がる山裾を示す。

「これ以上広げようと思ったら、中腹の門前町が消えます」

 冗談とも本気ともつかない言葉をさらりと言ってのけて、彼は「参りましょう」と前を向いた。

 

 そこからも右に曲がり、左に曲がり、時には階段を登って、また下り。木立の間や中庭の向こうに幾つもの廟を眺め、様々な格好をした人々とすれ違う。

 

「こちらでお待ちくださいませ」と、ようやく一つの扉を指された頃は初めて来た砂霞であっても、相当な奥まで入り込んだと分かってしまう程の時間が経過していた。

 想像以上に深い所まで連れて来られた不安で辺りをぐるりと見回す。


「どうぞ」

 慇懃に、だが有無を言わさない力を込めて扉を示す僧侶の脇を抜けて部屋に入る。 砂霞が入ると同時に僧侶は深く一礼して扉を閉めた。

 試しに扉の取っ手を下に降ろしてみたが、びくとも動かない。外から鍵を掛けられたのだろう。

 予想していたとはいえ、思わず小さく舌打ちをする。誰だが知らないが随分と陰険なことだ。

 

 砂霞は諦めの吐息をついて部屋の中を見回した。余り大きくはない部屋だ。

 壁は石剥きだしの武骨な造りで、八芒星を織り出した色褪せたタペストリーがかかっている以外はこれといった装飾はない。入って左側には壁に寄せて置かれた卓子があり、その上には逆さになった椅子が4脚置かれていた。

 他に部屋の中にあるのは作りつけの暖炉のみで、その調度品のなさからすると倉庫までとは行かないが、普段は使われていない部屋なのは一目瞭然だ。


「まったく。どうなっている」


 不満を口に出して砂霞は壁に向かって置かれている卓子に歩み寄った。歩き通しでここまで来たのだ。せめて座りたい。

 逆さに置かれた椅子の足につと手を掛けようとした瞬間。背後で動く複数の気配を感じた。

 反射的に柄に手をかけて勢いよく振り向く。


「ほぉ。いい反応だ。これは確かに見込みがある」


 振りむいた先には、漆黒の長衣を纏い、目深にフードをかぶった人物が5人立っていた。声は5人の内でも真ん中に立つ一際背の高い男が発したものらしい。


 扉を開ける音は一切しなかった。それにも拘わらず5人は壁から染み出してでも来たかのようにそこに立っている。常人のなせる業ではない。


 問う声が図らずも上擦った。

「誰だ、貴様らは!」

 

 真ん中の男がゆっくりと進み出て来る。 

 砂霞は柄に手をかけたままじり、と一歩下がった。柄を握る手にじっとりと汗が滲む。心臓が妙にバクバクと波打ち、激しい心音が耳の奥で警告を発する。


――何だ、この男は。歩いて来るだけで圧倒的な威圧感が伝わって来る……!


「お前が紫翠国の砂霞とやらか」

「そうだ」油断なく構えたまま返答する。

「そのように警戒せずともよい」


 男はフードを取った。さらりと零れる銀髪に思わず目が行く。

 陽射しを受けて微かに煌めく銀髪の下にあるのは、精緻な彫刻と見紛うばかりに整った端正な顔立ちであった。整い過ぎて人間味が感じられない。そんな気さえする。

 彼はスミレ色の複雑な色合いを成す瞳で砂霞を見た。その眼差しは鋭く、逸らせない圧力がある。

 男はぴたりと砂霞を見据えたまま、静かに言った。


「我が名はシェラスタン。魁星・ナッサンドラの跡を継ぐ者だ」


 

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