第3話 覗く鍋敷き

 森の中で雑貨商のピッケと孫のキカに出会ってから8日ばかり経過した。

 今、滞在しているのは街道からやや離れた所にある村落だ。20戸程が寄り固まっている以外は青い小麦畑が一面に広がる小さな村である。


 最初の行商先に入るまでは素性がばれてしまうのでは、と内心秘かに緊張していた。しかし1ヶ所目、2か所目と回る内にフェスタローゼはいらぬ心配だったと理解する。

 

 素性がどうこう以前にそもそも平民は皇族の顔を全く知らない。だからばれようもない。それが分かってからの3ヶ所目ともなると、気持ちにも余裕が出て来るというものだ。 


  フェスタローゼはゆったりとした仕草で客が崩していった鍋敷きの山を整えて、ふうわりと腰を降ろした。彼女の一連の動作を見ていたキカが呆れとも、感嘆ともつかない口調で呟く。


「何かさ、ローザって動作がふわふわしてるよな」

「え? どういうこと……かしら?」

 ですの?と、いつも通りに言いそうになり変な間が空く。キカはニッと歯並を見せて笑った。

「喋り方、大分まともになったなぁ」

「そう?」

「うん。最初はえらく丁寧に喋るもんで日が暮れるかと思ったけど」

「日は暮れま……ないわ」

「今のは減点だな!」

 あはは、と陽気な笑い声を残して彼は背後にある馬車の中へと入って行く。残されたフェスタローゼは膝についた埃を払って、人気のない広場を見渡した。


 最初の内はほんの数分でも一人にされると焦燥感でじりじりとしていたが、今となっては多少なら店番が出来るようになって来た。尤も、ピッケ達の方でもなるべくフェスタローゼを1人にしないように気を遣ってくれているが。


 キカが戻って来る。その手にあるのはなめしたダイネツルだ。荒縄で縛ってあるそれをポンと地面に放って彼は「ふぅ」と手を払った。


「それどうするの?」

「ん~とね、籠を作り置きしておこうと思って」

 

 齢14。奇しくもエシュルバルドと同じ年の彼だが、地面に胡坐をかいて籠を編み上げる様はいっぱしの職人である。荒れた手先が手妻のようにスルスルと動き、濃茶の蔓を美しく編み上げて行く。


「見事なものね。素晴らしいわ」

「まぁ、7つの頃からやってるからな」

「そんなに小さな頃から?」

「俺達には普通だよ。ひたすらに遊んでいられるのはオシメしてる間だけ」

「そう」


 呟いて、キカの傍らに座り込む。彼は少し身じろぎして、「何?」と急にぶっきらぼうな口を利く。


「私もやってみたいわ」

「へ? なんで?」

「やれたらいいなぁ、と思って。教えてくれる?」

「え~……そうだなぁ。いきなり籠は難しいから……。鍋敷きなんかがいいかもな」

「こんな感じの?」

 売り物の鍋敷きをひょいと見せるとキカは、そうそうと頷いた。


「じゃあ、これ。9本取って。そんで5本と4本に分けて。5本の方を下にして十字に合わせる」

 フェスタローゼにダイネツルを渡すとキカはしゅっ、しゅっと手早く自分の分も取り出した。

「ほんで新しい1本で十字を固定する。きつめにな」

 フェスタローゼはキカの手元を見ながらぎこちない手つきで編んでみる。

「そしたら縦芯2本の下に潜らす。次の2本は上に通す。これを繰り返して」

「……簡単そうにやるのね」

「ローザとは年季が違うもん」

 キカは恨めしくなるくらいの速さで編み進めて行く。考えずとも勝手に指が編んでいく。そんな手付きだ。


「キカ先生」

 不意にフェスタローゼが呼ぶ。

「なんだよ」

「こんな有様ですが」

 

 フェスタローゼが鍋敷きをかざした。

 かざした鍋敷きの間からフェスタローゼの碧眼が覗いている。その様にキカは一瞬絶句し、すぐにコロコロと笑い出した。


「ゆるゆるじゃねぇか」

「きつめにやりましたわよ」

「ちゃんときつくやってんなら片目なんか覗かねぇよ!」

「えー……」

 フェスタローゼはしょぼんとして、なりそこない鍋敷きを見つめる。

「まぁ、続ければ上手くなるって。でもさ、お前タスエまでだろ? タスエに後2日位で着くんだから別にできなくたっていいじゃねぇか」

「それはそうだけど……」

 

 少しでも役に立ちたかった。

 そう言い掛けたが、「お! いらっしゃい。何にする?」というキカの言葉に掻き消される。

 

 フェスタローゼは片目鍋敷きをさっと脇に置いて立ち上がった。馬車前の簡単な売り物台の上を吟味しているのは、片田舎にしては随分と洒落た格好の女性だった。

 どっしりとした腰回りに片手を当てて、真剣な眼差しで商品を見つめる彼女にキカが親し気に軽口をたたく。

「アンヌ姐さん、今日もばっちりきまってんね」

「あら。言うようになったわね、はなたれ小僧が」

「今日は何探してるの?」

「そうだねぇ。店で使ってる籠に穴が空いちまってね。籠が欲しいのと、あんたさ。あれ、あれはないの? エルースの実。まだあるかと思ったらすっからぴんだったよ」

「エルースの実は干したのでいいよね?」

「そう、それでいい。後は……あら。このオッゴいい艶具合じゃないか」

「ちょうど食べ頃さ。剥いてそのままもいいけど、軽く蒸しても甘味が増していいよ」

「へぇ。美味しそうじゃない。じゃ、この籠一盛りもらうよ」

「毎度!」


 フェスタローゼはニコニコと笑みを浮かべたまま、キカの隣で黙って立っている。 

 人前に立つことは慣れて来ても、この目まぐるしい会話についていく自信がない。会話の速度1つ取っても、皇宮と外とでは全く違う。皇宮でこんなハイスピードの掛け合いをしている人など見たこともない。


 アンヌはあれや、これやとキカを縦横無尽に走らせて様々な物をたっぷりと買い上げた。

「しめて銅貨5枚だね」

「やだ、随分と高いわね!もうちょっとまからない?」

阿漕あこぎだなぁ、姐さん。オッゴもエルースの実も大分おまけしたよ」

「銅貨4枚と銅片3枚でどうだい?」

「銅片2枚もまけろって? 無理だよ~俺の夕飯がなくなっちまうよ!」

「あんたみたいなひょろこい子、そんなに夕飯いらないでしょうよ。銅貨4枚と銅片3枚でいいだろ? いつもタンマリ買ってあげてるんだから」

「そんなのじいちゃんに怒られちまう」

「ピッケさん、どこに行ってるのさ」

「村長の所に荷物届けに行ったよ」

「じゃあ、すぐに戻って来るね。いいよ、ピッケさんに直接聞くから。待とうじゃないの」

「まじかぁ」


 何やら雲行きが怪しい。キカの対応がまずかったとは思わないが相手が悪かった。  

 このままではまずい。

 何か言わなければと口を開いたものの、咄嗟に出たのは「美しい肩掛けね」という、少々的外れなものだった。


「それはどうも」

 アンヌのイライラと足を踏み鳴らす様に怖気づきそうな心を叱咤しつつ、フェスタローゼは続けた。

「その肩掛け、ドスマイナ織りでしょう? いい品だわ」

「おやまぁ。あんた分かるのかい」

 アンヌが目を丸くして訊いて来る。

 フェスタローゼが頷くと、彼女は「へーえ!!」と甲高い声を上げた。


「只の行商人にしちゃあ、見る目があるじゃないの。そうさ、これは正真正銘のドスマイナ織りだよ。わざわざ玉都から取り寄せたのよ」

「……何? その、ドスマイネ織りって」

「帝国の東部地域にあるドスマイネ領で作られている織物よ。ものすごく細かい文様で織り上げられているの。最近は相聞歌に因んだ柄が評判いいのよ」

「あんた博識だねぇ」

「いいえ」


 そう言ってフェスタローゼはにっこりと最上の笑顔を浮かべる。

「アンヌさんこそ、相聞歌の対になった男女が向かい合うように羽織っていらっしゃる。ちゃんと着方を心得ている方に使ってもらえてこそのドスマイネ織りだわ。本当に素晴らしい感覚をお持ちなのね」

「あら、まぁ。やだよ! こんな別嬪さんに褒められちゃ」

 満更でもない様子でアンナは嬉しそうにポンポンとフェスタローゼの肩をたたいた。

「仕方ないねぇ! 今日の所はお姉さんに免じて言い値で払うよ。銅貨5枚だね?」

「はいっ!」

「この坊主ったら露骨に元気になってまぁ。お姉さんに感謝しなよ」

 アンヌは巾着から銅貨を出して、キカの両手にバラバラと置く。

「持って行こうか?」というキカの申し出を断って、アンヌは逞しい両腕で大量の荷物を抱えて去って行った。


「ありがとうございましたぁ!!」

 

 広場にキカとフェスタローゼの声が明るく響く。

 アンヌの姿が見えなくなるのを待って、キカとフェスタローゼはお互いの拳骨を軽く打ち合わせて小さくガッツポーズをした。


「すげぇなぁ、ローザ!」

 キカが興奮して叫ぶ。

「あの人さ、いっぱい買ってくれるのはいいんだけど、いっつも無茶苦茶な値切りして来るんだよ!」

「そうみたいね」

「断るとああやってしつこく粘るし。こっちの言い値で払ったのなんか初めてじゃないかな?」

 キカは、すげぇなぁ、と更に言いつつ腕を組んだ。その目線が地面に置きっぱなしの片目鍋敷きに注がれる。


「すげぇけど、蔓細工はてんでダメだな。ローザは」

「……精進します」

「いいよ、今日はとことん教えてやるよ」

「いいの?」

「いいって事よ! 今日中は俺をキカ先生と呼ぶがいい」

 ふんと薄い胸を張ったキカにフェスタローゼがくすくすと笑う。キカも直に全開の笑顔になる。人気のない静かな広場に2人の笑い声が明るく、暖かに響いた。

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