第2話 森の中の出会い

 フェスタローゼは空になった椀に目を落とした。

 地面に置かれたランタンの僅かな明りが、使い古した椀の底に走る木目を浮き立たせている。


 深い闇に沈んだ森の中はしんと静まり返り、時折木立を巡る風がわずかに枝を揺らす以外に音はない。まさしく落とした針の音が聞こえそうな静寂がフェスタローゼと老人、少年の周囲を取り囲んでいた。


「あの……ごちそうさま……でした」


 おずおずと口を開いた彼女に少年は「おぅ」と返事をして、ちらりと老人を見る。白髪交じりの髪を短く刈り込んだ老人は、うつむいたまま煙管の火皿にちまちまと刻み煙草を詰めている。

 

 フェスタローゼは元の色が分からないくらいに擦り切れた毛布に改めてくるまった。凍える鼻の先を毛布にあてがうと埃混じりのすえた匂いが鼻奥にツンと突き刺さった。


「あんたぁ」


 びくりと肩を震わせて老人を見る。老人は深く美味そうに煙管を吸うと、吐き出す煙と共に問い掛けて来た。


「足の具合はどうだね?」

「大分……いいですわ」

 

 用心して答えながら丁寧に包帯が巻かれた左足首をそっと触る。包帯を通してもなお、腫れ上がった部位が熱を帯びているのが分かる。

 この足では走ることは愚か、歩くことさえもままならないだろう。


「この分なら大丈夫そうです。ありがとうございます」

 

 それでも強いて笑みを浮かべたフェスタローゼに「俺が見つけたんだぜ!」と、少年が勢い込んで主張した。


「本当びっくりしたよ! 水汲みに行ったら木の根元で倒れてる奴がいて。死んでるのかとも思ったけど一応じいちゃんを呼びに行ってさ」

「無理すんじゃないよ、嬢ちゃん」 

 興奮して喋る少年の言葉を老人の塩辛声がぴしゃりと遮った。

「その足じゃあ、まともに歩けるわけがない」

 

 フェスタローゼの顔から笑顔が抜け落ちる。彼女は老人から少し身を引いて左足首をかばう姿勢になった。


 フェスタローゼは強張った顔で老人を見つめる。彼は沈黙のままにぷかりぷかりと4、5服吸いつけてから、地面に直接置いた灰吹に慣れた手つきでポンと灰を落とした。そして刻み煙草を再びつまみあげて丸めて行く。

 

 剣呑な雰囲気が流れる中、2人を素早く見渡した少年が老人を慌ててたしなめた。 


「じいちゃん、駄目だって! そんな怖い顔で言ったら。姉ちゃんが怖がってるよ」

「怖い? 怖いかの?」

「怖い!」

 

 まばらに髭の生えた顎をさすりながら訊く老人に少年は深く頷く。そして警戒心露わなフェスタローゼに向かって、必死に椀を振りつつ弁解した。


「姉ちゃん、俺達取って食ったりしないから!」

 

 朗らかに少年は言うものの、フェスタローゼは毛布をぎゅうと握りしめていよいよ身を引いていく。


「えぇと……うーん」

 

 もどかしげにその場で足踏みする少年の顔に突然パッと光明が灯った。

 彼はおもむろに左手を真っ直ぐ上に伸ばして、「俺、俺の名前はキカ! そんでもってこっちがじいちゃんのピッケ! 俺達2人で旅商いの雑貨商やってるんだ」

「……雑貨商?」

「そう!」

 キカは大きく何度も首を縦に振る。

「俺達、生活に関係してるものなら何でも売ってる。ホラ、鍋とか袋物とか、後この籠も」

 

 籠も、と足元にあった小振りな籠を拾い上げる。彼は誇らしげにそれをフェスタローゼに掲げてみせた。

「この籠は俺が作っているんだぜ」

「あなたが?」

「すげぇだろ!」

 キカはひょいと器用に籠を抱え直して、ほいとフェスタローゼに手渡す。彼女はそれを丁寧な仕草で受け取り物珍しそうに眺めた。

「すごいわね。見事な腕前ですわ」

「だっろ~」

 

 気安く言って胸を張るキカにフェスタローゼはわずかに微笑んだ。

 絶妙に掠れた声がエシュルバルドと重なる。彼と比べるとこの少年の方が幾分あどけない印象を受けるが、似たような年齢かもしれない。


「……そうさなぁ。どうしたもんかな」


 盛大な独り言と共にピッケがごま塩頭をかりこりと掻いた。途端に饒舌だったキカがふと口をつぐんだ。そんな2人を眺めながら、フェスタローゼは考える。


 2人共、今の所は信頼に足る人物のように見える。犯罪臭がしないというか、フェスタローゼを傷付けるような種類の人間には見えない。ひとまずは安心できそうではある。


 イデル、スーシェとはぐれて今日で二日目だ。

 一日目は夜通し森の中を無我夢中で逃げ回った。だが結局は迷ってしまい二日目は当てもなくただ彷徨う羽目になった。

 その挙げ句に足を滑らして小さな崖から転落した所までは覚えている。強かに頭を打ちつけて、気づいたら馬車の中に寝かされていた。


 闇雲に逃げ惑った2日間。あの不気味な襲撃者はあれきり姿を現していない。 

 そのことからして彼を退けることはできたのだろう。だとしたら何故イデルもスーシェも来ないのか。


 深く溜息をつく。

 それが合図になったのか、煙を吐きながら自らのごま塩頭を撫で回していたピッケの手が止まった。彼はフェスタローゼと同じように溜息をつく。


「こんな森奥深くでおめぇさんみたいな若い女が1人。只事じゃねぇのは確かだ」

 あの、と言いかけたフェスタローゼをピッケは止めた。そして力なく首を振る。

「事情は言わんでもいい。儂らは関わりたくない」

「じいちゃん!」

 キカが抗議の声を上げた。ピッケは孫の抗議を聞き流す。

「だからと言って、動けないと分かっている人間を置いて行くのも忍びねぇ」


 煙管を深く吸いこんで、ほぅと煙を吐く。ピッケは黙ったまま目を見開いているフェスタローゼに問い掛けた。


「あんたはどうしたい?」

「私……」

 言いかけてフェスタローゼは口をつぐむ。包まった毛布をぎゅうと掴み、彼女はしばし考え込む。頼りなく光るランタンと相対した挙句、フェスタローゼは訥々とつとつと話し始めた。


「……助けてもらい、怪我の手当までしてもらいました。温かいスープまでいただいて。ここまでしてもらって本当に感謝しておりますし、何のお礼も出来ないのを心苦しく思っております」

 キカを見やり、次いで正面のピッケに目を向ける。

「ですから、これ以上あなた方のご厚意に甘えるわけにも行きません。何とか森を抜けてみようと思います」

「そらぁ、街道はすぐそこだけど……出た所であんた、どうにもならんだろ」

「じいちゃんの言う通りだよ! 姉ちゃん、そんな足じゃ無理だって」

「でも……」


 参ったなぁ、と呟いてピッケは煙管を咥えこむ。火種はとうに消えていた。吸いつけて煙が出ないのに気付くと彼は煙管を放し、難しい顔で地面を睨み付けた。気まずい沈黙が辺りを包み込む。


 ピッケはたっぷり数分は考え込んだ果てに、ぼそりと口を開いた。

「儂らは幾つかの集落を回りながらタスエに向かう。それで良ければ連れて行ってやらんでもない」

「タスエ……」


『タスエからは船で運河を下ります』

 スーシェの言葉が胸に甦る。

 確かに、タスエまで行くことができれば誰かがいるかもしれない。それこそスーシェかイデルが。


「あの……でも……わたくし持ち合わせが全くなくて」

「そんなん見りゃ分かる。まぁ、路銀代わりに儂らの手伝いをしてくれればいいさ。どうする?」


 フェスタローゼは軽く唇を噛み締めて、面を伏せた。考えを巡らす彼女を心配そうにキカが見守る。


「……では、ご厄介になります」


 頷いて、フェスタローゼは深く一礼した。


「よろしくお願い致します」

「良かったぁ!!」


 明け透けにキカが叫んだ。叫んだ拍子にずっと抱えていた椀が手からすっぽ抜けて、後方の暗がりへと飛んで行ってしまった。


「おい!椀飛ばして兎でも狩るつもりか?」

「やっちまった!」


 コロコロと転がって行く椀を慌てて追って行くキカの様が可笑しくて、ピッケとフェスタローゼは声を上げて笑った。


「ま、うるせぇ奴もいるが。1つよろしくな」

「こちらこそ」

 改めて頭を下げるフェスタローゼにピッケは、そういえばと膝を打った。

「名前を訊いてなかったな。あんた、何ていうんだい」

「あぁ、わたくしは」


 反射的に“フェスタローゼ”と言いかけて、思いとどまる。一瞬だけ逡巡してから、フェスタローゼはピッケに告げた。


「わたくしはローザと申します」

「ローザか」

 うんうんとピッケが頷く。そこに椀を拾ったキカが戻って来る。

「じいちゃん、兎は狩れなかったけどオストの実拾った!」

 突き出した椀にはこんもりと丸っこく濃い茶色の実が盛ってある。

「これ、焚火で炙るとホクホクして上手いんだ。次の集落は焼きオストを売ろうぜ!」

「儂よりよっぽどか商魂逞しい」

 ピッケがおどけて肩を竦める。フェスタローゼは口元に手を当てて、ふふと笑った。キカが椀を突き出したまま、へへと照れ笑いする。

 深い森のしじまに3人の笑い声が気持ちよくこだました。

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