第14話 さらば玉都
露払いにイデルとレトを。そしてスーシェに手を引かれて回廊をひた走る。
圧倒的な技で教院衛士を蹴散らしながら、レトが並んで戦うイデルに訴えた。
「殺さないように手加減してなおかつ蹴散らすには人数多いですよ。このままじゃ時間がかかり過ぎる」
「しかし我らだけなら精道に入れば済むが、殿下はそうはいかないだろう」
「ん――」
レトは首を捻る。
その間にも手を休めることなく的確に相手を突いて、薙いで、フェスタローゼの行く先を確保していく。
「ではスーシェ。殿下をお抱え遊ばして大空を行くが良い」
「え?!」
どういうこと?と、訊き返す間もなく、「失礼!」の一言と共にひょい、とスーシェの肩に担がれる。フェスタローゼを荷物のごとく肩に抱え上げたスーシェは、一瞬腰を落とすと、凄まじい跳躍力で空に飛びあがった。群れる教院衛士達、対するレトとイデルの姿があっという間に遠ざかる。
「ちょっ! え?! 何これぇぇ!」
尾を引いて遠ざかって行く皇太子の絶叫と華麗に宙を渡って行くスーシェの姿を、遥か下から見届けて、レトが、ははっと軽く笑う。
「彼モテないですよ、絶対。あそこは普通、お姫様抱っこに決まってるでしょ」
「無茶振りしといてお前が言うか」
「いやぁ、スーシェなら出来るでしょう。100年に1人の逸材だ。ま、我らの生で100年と言われてもですが」
「軽口はいい。我らも行くぞ」
「承知」
◆◇◆
フェスタローゼの去った聖堂内は嵐のごとくに吹き荒れていた。
「あーぁ、まぁ。何もステンドグラス割って入って来なくても。せっかく法主聖下の肝いりで無駄な散財をした窓だったのに。あぁ、勿体ない」
ミスティア大教院長の嘆息に、周囲の大教院長達が曖昧に苦笑いをした。当のミスティア大教院長も心底残念がっているというよりは、どこか楽しんでいる風のある口調だ。
「エフィオン共めが……! あれが神々の似姿だと?! 徒に事を大きくする胡乱な連中じゃないかっ」
くっそ、くっそ!と、聖職者らしからぬ悪態をついて、法主は腹立ち紛れに、警務大務のザインベルグを指さした。
「そこっ! そこの警務大務!! 配備はどうなっている?!」
「どうなっていると言われましても」
答えるザインベルグはいつも通りの冷静さだ。
「大教院始め、各教院施設は警務師の管轄ではないので」
「そんなことは分かっておるわっ! 城門を早く閉じろと言ってるのが分からんのか、この若造が!!」
「それは失念しておりました。よろしいですね、義父上?」
義父上、と呼びかけられた地統大務のアウルドゥルク侯は尤もらしく考え込んで、目を閉じた。
「そうだなぁ。城門を閉じるとなると、商人の出入りが規制されて経済活動に支障が出るやもしれぬ。その辺りはどうですかな?
「それは看過出来ませんな」と、経済活動全般を取り仕切る鴻庫大務のエストソープ上級伯夫君が応じる。
彼は福々とした顔を難しげに顰めて、これみよがしに重々しく頷いた。
「皇帝陛下の御膝元たる、この麗しの玉都の経済活動に支障が出るとは由々しき事態。鴻庫師としては了承しかねる」
「鴻庫師に何の関係が……!」とわめきかけた法主の声を礼綱大務のカスターリッツ伯爵夫君の大仰な咳ばらいが掻き消した。
「こんな急に城門を閉められては外国の使節団が締め出されてしまうやもしれません。礼綱師としても承知はできませんな」
「法主の求めに応じて早急に城門を閉じるとなりますと……法律に照らして検討せねばなりませんな」
艶々とした美しい口髭をひねりながら、太理大務のセラフォリア公爵が上品に言い添えた。
表面上は深刻に考え込んでいる風の大務達に対して、軍務大務のウォレダーク伯が戸惑いの体で「各々方」と呼びかけた。
「いかがなされたのか。この緊急時にそのような不真面目な態度とは。法主聖下に失礼ではないか」
「はて? 何じゃ、何にも聞こえんのぉ」
「ヴァルンエスト侯、今度は何も聞こえなくても大丈夫です」
「おぉ、そうか。それは良かった」
老騎士団長と皇内大務は顔を見合わせて朗らかに笑い合った。
「貴殿ら……!!」
禿頭のてっぺんから湯気が上がる勢いで法主が歯噛みする。一触即発の緊迫した空気が流れる中、突然に御簾の奥から皇帝の笑い声が上がった。
余りに楽し気なその様子に怒り心頭だった法主でさえも度肝を抜かれて、はたと御簾を見つめた。皇帝は御簾を見たまま凍り付いている法主に、なおも笑いを含んだ声で訊く。
「それで? この先はどうする気だ、法主よ」
まるで笑い話を訊いているかのようにその先をねだる皇帝に対して、スルンダール上級伯は御簾越しに鋭い視線を投げかけた。
◆◇◆
スーシェがタンッと軽やかに着陸する。場所はアマワタル大教院から程近い、小路の一角だ。
肩に担がれて意に染まぬ空中飛行を体験したフェスタローゼは最早、叫ぶ事すら忘れて呆然自失の体でようやく彼の肩から解放された。
よろけつつ降り立った彼女に、荷馬車と共に待機していたハルツグとアンリエットが駆け寄る。
フェスタローゼは呆然としつつも駆け寄って来た2人に、ぱっと明るい表情を浮かべた。
「ハルツグ! アンリエットも!」
「殿下、よくぞご無事で」
「あなたこそ、ハルツグ。取り残されているのでは、と心配してましたのよ」
「私は大丈夫です。本当にご無事で……安心しましたわ」
立つこともままならないフェスタローゼを抱きかかえるようにして、ハルツグはややうるんだ瞳をしばたたかせる。
もう一度、「本当に良かった」と心からの安堵を吐き出して、彼女は傍らに立つスーシェに目を転じた。
「スルンダール殿……あれはありませんわ。お姫様だっこでしょ、そこは」
「いや、一番確実に支えられる体勢で」
「ダメだね。そんなんじゃ、モテないわよ。スーシェ殿」
「隊長まで」と情けなく言ったスーシェにアンリエットは、ははっと歯切れよい笑い声を上げた。今日の彼女は近衛騎士の鎧ではなく、簡素な袷の上にフード付きの外套を着込んでいる。
「しかし凄いな、空を飛ぶとは。あれはどうやっているんだ?」
「最初は足元に精道を凝縮させて一気に飛行して、上空まで行ったら後は空中の精道を伝って行く感じです」
「何でもありだな、エフィオンというのは」
「さすがにあれは誰もがやれることじゃあないですよ」
「レト殿、イデル殿も」
小路に停めた馬車の脇の地面が青白く光り、レトとイデルの2人が姿を現した。2人共、精道を通ってやって来たのだろう。精道の中を行けるのも、体内の精道率が高いエフィオンならではの能力である。
「殿下、一刻の猶予もありません。馬車にお乗りください」
「……分かりましたわ」
イデルに言われて、ようやく一人で身を起こしたフェスタローゼにハルツグが背後からそっと外套を被せる。
「殿下。とりあえずはこれを。馬車の中に着替えが用意してありますので、適当な所でお召し替え下さいまし」
「ハルツグ」
心細そうに振り返ったフェスタローゼに、ハルツグは優しく微笑みかけた。
「大丈夫です。イデル殿とスルンダール殿がついておいでです。私も後から必ずや」
「本当に?」
「ええ」
ハルツグは手を伸ばし、フェスタローゼをきゅっと抱きしめた。
「しばしのお別れです」
そっと目尻を拭いて離れたハルツグに次いで、アンリエットがフェスタローゼを抱きしめる。彼女は分厚い手の平でポンポンとフェスタローゼの背中を叩いた。
「お帰りをお待ちしております。私の忠誠は殿下と常に共に」
「ありがとう……アンリエットも元気でね」
「殿下、僕もここまでです」
「レト殿」
レトは頷いて、ほろりと呑気な笑みをこぼす。
「まぁ、セレスティアン=シュヴァリエは皇宮からは一時撤退なんで、我らの本部に戻るだけですが。戻る前にエシュルバルド殿下に離脱の挨拶にはお伺いするつもりです。伝言があれば承りますが」
「では……私は無事だと、いつの日か必ず皇宮で再会致しましょう、と伝えておいてください。後は余り無茶をしないようにと」
「皇太子殿下の釘ならエシュルバルド殿下にきっちり利くでしょう。承りました」
「さぁ、殿下」
先に荷台に乗り込んだスーシェの手を借りて、フェスタローゼも荷台に上がった。
イデルはさっさとセレスティアン=シュヴァリエの装備を脱ぎ去ると、毛羽立った粗末な外套を羽織り、御者台に乗り込む。
手綱を捌くぴしり!という乾いた音がして馬車がガクンと走り始めた。フェスタローゼは荷台に手をついて、段々と遠くなって行く3つの人影に手を振る。
共に走りだしそうな風情で手を振るハルツグ、腰に手をやって大きく手を振るアンリエット、そんな二人の後ろから悠然と手を振るレト。3人の姿はあっという間に小路の彼方へと消え去って行った。
「殿下。ここからはいいというまでじっとしていて下さいよ」
「分かったわ」
スーシェの忠告にフェスタローゼは素っ気なく返事して、彼から少し離れた所で腰を降ろし膝を抱えた。今まで当然のように乗っていた皇族専用の贅沢な馬車とは違い、柔らかいシートもなければ背中にあてがうクッションもない。
その境遇の差を思うと、情けなく、暗澹とした気分になって来て、フェスタローゼは抱えた膝に額をこすりつけて小さく縮こまった。
それからしばらくして、軽快に進んでいた荷馬車がゆっくりと減速していく。フェスタローゼは顔をあげて、スーシェの方を見た。彼は緊張した面持ちで深く頷く。
「東門の検閲です。フードをかぶって下さい」
スーシェの言葉に慌ててフードを目深に被り、不自然ではない程度に面を伏せる。少し微睡んでいる感じで行こうと思いつつも、早鐘のごとく乱打する鼓動で息苦しく、思わずひゅっと深く息を吸った。
許可を受けた前の馬車がゆっくりと東門から出て行く。イデルは用心しつつ、馬車を前進させた。門衛が1人、「おし、次!」と声を掛けながら近づいて来る。
「積荷は何だ?」と馬車の中を覗こうとした彼を同僚の門衛が背後から呼び止めた。彼の視線は、荷馬車前方の天蓋部分に付いている南天の実に注がれている。
「いや、その馬車はいい。上から訊いているから」
「え? いや、あぁ。そうか」
門衛はさして興味を持った感じもなく、「行って良し!」と短く言うと、後ろに並んでいる馬車の方に大股で去って行った。
信じられない思いでスーシェを見る。
「……スルンダール上級伯かしら」
「いや、しかし。城門警備は警務師の務め。ザインベルグ一等爵士の計らいでしょうか」
「多分ですが、両方でしょう。スルンダール上級伯がザインベルグ一等爵士に頭を下げて頼み込み、ザインベルグ一等爵士がその意を呑んだ。場合によっては義父のアウルドゥルク侯にも頭を下げているかもしれません」
前方を見据えたままイデルが答えた。スーシェとフェスタローゼはバツの悪さも忘れてお互いの顔を見合わせる。
「あの父が」
「そこまでして私を……」
「このご恩に、皆様の思いに報いなくてはなりません、殿下。一度は逃げ去ろうとも必ずや」
「ええ」
フェスタローゼは真剣な面持ちでしっかりと頷いた。胸の底からじわりじわりと決意の波が押し寄せる。彼女は馬車の後方ににじり寄り、御者台のイデルを振り向いた。
「イデル殿。少しだけ覗いても?」
「……少しだけなら」
「ありがとう」
馬車の後方にかかった幕をそっとめくる。凍てつく冬の冷気が隙間から細い音を鳴らして吹き込んで来た。幕の隙間に顔を寄せて遠去かりゆく玉都を眺める。
夕日を背に浮かび上がる街並みのシルエットが、深い影の中に落ちて行く。
――いつの日か。いつの日か、必ず。
フェスタローゼは外套の胸元を強く握りしめた。
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