第12話 異端審問

 冷たく静まり返った聖堂内に法主の声がこだまする。居並ぶ大教院長達の敵意を肌身に感じながら、フェスタローゼは審問の場へと立たされた。


 ともすると挫けそうになる自らの気持ちを奮い立たせて、ぐいと目線を上に向ける。上げた目線の先、天覧席にかかった御簾からはこの場に及んでさえ、何の声もかからない。皇帝はあくまで皇太子との接触を避けるつもりらしい。


「以上の事を踏まえて、我らフォーン=ローディン真教会は皇帝陛下の名の下に、皇太子フェスタローゼ殿下に淀神崇拝の疑義ありと告発するものである」

 朗々と言い切った法主は正しく得意満面といった顔で書類を机に置いた。

 今日の彼を包むのは、フォーン=ローディン真教会の守り手たる法主の権威だ。両側の壁に嵌め込まれた、天井まで届く高さのステンドグラスから射し込む午後の光が、法主の纏った神聖な役割をより際立たせている。


「皇太子殿下。この告発に対して弁明することはございますか」

「はい」

 フェスタローゼは精一杯声を張って答えた。そして、自らの前に展開する人々をゆくっりと見渡す。


 目の前にいるのは、ローディン教の主だった神々である精道12神を祀る大教院の長達。主神であるアマワタル神を奉じるイルソルス=アマワタル大教院長を兼ねる法主が彼らを束ね、その真ん中に座る。

 半円形のテーブルに着いた彼らの後ろには、円形の聖堂に作りつけられたバルコニー状の天覧席がある。天覧席の両脇、一段低くなった所に座っているのは官制八師の大務達だ。彼らはこの異端審問の立会人である。立会人であるが故に、発言は認められていない。

 

――怖い。ここには私をかばってくれるどんな背中もない。


 フェスタローゼは早鐘のごとく打ち付ける鼓動を叱咤しつつ、切実に訴えた。

「私に掛けられた此度の疑惑は一切身に覚えがありません」

「つまり」

 法主はずいと身を乗り出した。

「殿下としては潔白を主張なさると」

「もちろんですわ」と、深く頷く。

 すると法主は、ほぅほぅと舌なめずりでもしそうな意地悪な笑みを浮かべた。


「ベルチアピート=シドウ大教院で亡くなったサティナが私の令侍であったのは事実です。しかし彼女が淀神崇拝していたなんて私は全く知りませんでした」

「殿下は彼女の淀神崇拝は与り知らぬことと、おっしゃる」

「そうですわ」

「ではそれを証明することは出来ますかな?」

「え」

 戸惑って口をつぐむ。証明と言われても、当のサティナが死んでいる以上そんなこと出来るはずがない。


「どうなさったのですか、殿下。証明できるかどうかをお聞きしているのですが? 私の質問はそんなに難しいことでしょうか」

 どう答えようか、言葉を探して黙る彼女に法主の容赦ない追及が襲いかかった。彼はこれみよがしに人差し指でトントン、とテーブルを叩く。

「はいか、いいえか。それで事足りるでしょう? 違いますか?」

「いえ、あの」

「聞こえませんね。はっきりお答えいただかねば!」

 あの、と呟いてフェスタローゼはうつむいた。

「……いいえ……」と、か細く答える。

「は?」

「証明することはできません。ですが……!」

「出来ない?!」

 フェスタローゼの釈明を法主の素っ頓狂な声が中途で押し潰す。


「お話になりませんな」と頭を振りながら吐き捨てて、法主はぺらっと書類をめくった。

「確かに証明することはできません。ですが、何よりも私自身が自分は淀神崇拝などしていないと承知しております」

「殿下の承知が何の意味を成すと言うのでしょう。私がお聞きしているのは、殿下が淀神崇拝をしていないという客観的な証明ができるか、否かです」

「全く以てくどくどしぃのぉ。爺の胃には応えるわい」

 

 聖堂内に帝国騎士団長、ヴァルンエスト侯爵の間延びした声が上がる。その場にいる全員がぎょっとして老騎士団長に目を向けた。

「お。すまんの、発言してはならなかったか」

 老騎士団長のお茶目な謝罪に、スルンダール上級伯が白々しく首を傾げる。

「大丈夫です。私には何も聞こえておりません」


 揃って首を捻る確信犯2人を法主は、忌々しそうに睨み付けてから、こほんと咳払いをして場の注目を再び自分に向けさせる。


「では、私の方から申し上げましょう。これはサティナ殿の母上であるゴバトルリアン侯爵から得た供述です」

 法主は手元に広がっている書類の内から1枚、ぴらりと取り上げた。


「曰く、『皇太子殿下の令侍として皇宮に上がる以前にあの子が淀神崇拝をしていた形跡は全くありません。ただ、行跡不良ということで宿下がりして来てからは、目つきがおかしくなり、家人に隠れてこそこそと行動することが増えました』 母上は皇太子殿下の元から宿下がりして来てから、様子がおかしくなった、とはっきり言っておいでです。このことについて、殿下は一体どのようにお考えですかな」

「え? どのようにと言われましても」

「何とも思われませんかな? 殿下の元から戻って来てから様子がおかしかった、と言われても?」

「逆に何を思えとおっしゃいますの?」

「ほぉ」

 ふむふむ、と法主は首肯する。そこに1人の大教院長が、はい、と挙手した。聖職者らしからぬ立派な体躯を誇るツェレッティン=ミスティア大教院長だ。


「また貴殿か」

「また私ですがね」

 

 法主は不愉快そうに眉を顰めてミスティア大教院長をねめつけた。

 美と愛の女神ミスティアを奉じる彼は、そんな法主の視線を物ともせずに優美な動作で自らの顎鬚をしごきながら軽口をたたく。


「僭越ながら申し上げれば。ゴバトルリアン侯爵の供述は曖昧に過ぎる。それを論拠にするのはいかがなものか」

「この供述は私自らが直接、ゴバトルリアン侯爵に聴取したものだが」

「失敬だな、君は」とシドウ大教院長が憤慨の声を上げた。彼はわざわざ立ち上がると、ミスティア大教院長に激しく食って掛かる。

「この供述が有用かどうか判断するのは法主聖下の権限である。貴殿の発言は看過出来る物ではないぞ!」

「まぁ、落ち着きたまえ。ベルチアピート=シドウ大教院長」

 法主は憤慨するシドウ大教院長を宥めつつ、一同をさっと見渡した。

「各々方、異論はございますまい」

 居並ぶ他の大教院長達からは何の声も上がらない。法主は満足そうに頷いて、再びフェスタローゼに向き直った。


「私とてゴバトルリアン侯爵の供述だけで殿下を糾弾しているのではありません。ここにいる皆様ならお分かりになるのではないでしょうか。ほんの2ヶ月前程まで滞在してみえた紫翠国の第3王子のことは」

 そこで言葉を切ると、法主は言外に匂わす嫌な言い方で付け加えた。

「皇太子殿下は随分と親しくしておいででしたな」

「私は陛下の命に於いて接待役を仰せつかっただけですわ」

 やましい事を連想させる物言いに少なからずむっとして、フェスタローゼは強く言い返した。法主は肩を竦める。


「紫翠国と言えば、天雲信徒団を国教とする国であるのは広く知られております」

 それに、と前置きした法主の顔に下卑た笑いが広がった。

「殿下とて年頃の女性である。あの見目麗しい王子に心奪われたとしても致し方ないでしょう。恋慕の情が忌まわしい教えを受け入れさせたのではないでしょうか?」

 

 フェスタローゼはぎゅうと胸飾りを強く握った。どくん、と怒りの鼓動が波打つ。

「法主、貴殿は勘違いなさっておいでです」

「私が何の勘違いをしているというのでしょう」

「天雲教、すなわちタナム=ナッサンディアが信仰しているのは淀神アマオトスではありません。精道神と淀神とに神性を分けずに、両方の性質を持ったアラミタマ神としているだけです」

「殿下は天雲教に随分と肩入れなさる」

「タナム=ナッサンディアの教義の一面だけを捉えて淀神崇拝と決めつけるのは間違っていると指摘しているのです!」


 そうではないと、語勢が熱を帯びる。


「ローディン教とタナム=ナッサンディア。教義を超えてお互いを理解し、尊重し合う。それこそが帝国の持つべき寛容の本質ではないのですか!?」

「……語るに落ちましたな、皇太子殿下」

 法主はくるりと後ろを向いて、立会人たる大務達に呼びかけた。


「立会人の方々、お聞きになりましたな! 今の皇太子殿下の発言を淀神崇拝と言わず何と言うのでしょうか?」

「待ってください! この帝国に於いてタナム=ナッサンディアの信仰は許されております。教義を理解したとてすぐに淀神崇拝というのは違います!」

「ご自分のお立場をお忘れか?」

 法主は冷ややかにフェスタローゼを一瞥した。

「しかし」

 なおも言い募ろうとしたフェスタローゼを切り捨てて、法主は高らかに宣言した。

「これ以上の議論は無用! 法主たる私の判断に於いて、皇太子フェスタローゼ殿下を異端と認定する!!」

「そんな!」


 フェスタローゼには構わず、法主は天覧席に向き直った。

「ここにいる皇太子殿下は、次代のフォーン=ローディン真教会の象徴となる立場にありながら、悪しき天雲教の教えに毒されております。このような者が教義の頂点に立つことが許されるでしょうか?! 陛下よりフォーン=ローディン真教会を預かる法主の名において提言致します!」

 法主はちらりとフェスタローゼを見やった。

「皇女フェスタローゼ姫は廃嫡相当! 帝位継承権そのものを剥奪するべきです。陛下ご決断を!」


 法主の勝利宣言ともいえる言葉にフェスタローゼは急に理解した。高らかに言いつつも、拭いきれないどす黒い野心が。

 フェスタローゼの腹の底が急速に冴え冴えと冷えて行く。彼女はすっと背筋を正して澄んだ声で言い放った。


「この異端審問は最初から茶番でしたのね」

 

 今までとは明らかに違う。澄んだ声に漲る威厳に誰もがはっとして皇太子を見る。当の法主も軽く目を見張って彼女に注目した。


「法主が口を極めて貶めようとも。私、皇太子フェスタローゼはその名とこの心に誓って一切のやましいことはございません。私はこのフォーン帝国に背くような恥ずべき行為は一切行ってはおりません! 陛下!」

「わ、悪足掻きとは……! 陛下、ご決断を、このような戯言に耳を貸してはなりません!!」


 フェスタローゼの強い決意を宿した声と、法主の胴間声が入り乱れる。御簾の向こうからこぼれる声はなく、一同の注意が皇帝の決断に集まって来る。

 

 全員が固唾を呑んで、皇帝の言葉を待つ張りつめた空気の中。両脇の壁に嵌ったステンドグラスが突如として粉々に砕け散った。

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