第11話 父と子

 イルソルス=アマワタル大教院の奥深く。フェスタローゼが収監されている塔に続く回廊にハルツグとジョーディの姿があった。

 水差しを手にしたハルツグ、粋の極みを凝らしたジョーディ共におしなべて深く憂慮に沈んだ表情をしている。


 ハルツグは低く抑えた声で素早く訊いた。

「で、どうなの?」

 対するジョーディは言葉もなくただ首を振る。そう、と呟いたハルツグの肩から若干力が抜けた。

「何せ陛下が頑なで。スルンダール上級伯の説得も全く受け付けないと来てるようですよ」

「……厄介ね」

「ある意味致し方ないとしか。殿下のご様子は? 収監されて5日目ですが」

「今のところは気丈に振る舞っておいでよ。体調の方もさしては」

「それはよかった」と微笑んだジョーディの瞳に、からかいが入り混じる。

「武勇伝をお聞きしましたよ。 まぁ、すっとこどっこいとはよう言ったもので」

 彼の言葉にハルツグは、ふん、と勝気に鼻を鳴らした。

「躾のなってない盛った獣を追い払っただけよ。いい気味だわ」

「実に頼もしい」

「そのためについて来ているのですから」


 そう言ってハルツグはちら、とジョーディの背後に目をやった。巡回している教院衛士の影が回廊の果てに見え隠れしている。

「どちらにしろ、このままの状況では……行くしかないわね」

「最終手段ですがね。なるべく回避したいところです」

「覚悟はしておくわ」

 早口にそう言ってから、ハルツグは短く、じゃ、と言い置いて踵を返した。残されたジョーディは軽く頭を掻くと回廊を回れ右して、悠々とした足取りでその場を後にした。


◆◇◆


 官庭にある帝国騎士団皇衛隊2番隊詰所にて、スーシェは皇帝付きエフィオンのイデル、エシュルバルド付きエフィオンのレトと最後の打ち合わせをしていた。

 

 隣り合わせた修練室から同僚達の訓練する声が微かに漏れ聞こえてくる。合間に飛ぶ勇ましい声はアンリエットの檄だろう。皇太子が収監されて警護対象を喪失した2番隊は、ひたすらに訓練するしかない日々だ。


「しかし本当に私でいいのかい? ラムダが拗ねやしないか?」

 場にそぐわない、のんびりとした口調で言ってレトはスーシェに目を向けた。

「私が行くならスーシェをラムダと入れ替えればいいのに。君もその方がいいだろ?」

「それはどういう意味でしょうか、レト殿」

 スーシェは思わず気色ばんで言い返した。スーシェの鋭い返しにも一切動じずに、レトは、だって、と首を傾げる。薄い金髪がサラリと揺れた。


「レトはエシュルバルド殿下の意を汲んで。スーシェは能力的にラムダより有用だからだ」

 続きを言いかけたレトを容赦なくイデルが遮る。彼は2人を交互に見た。

「これはラムダも了承済みだ」

「えぇ……だがな」

 なおもレトが言い募ろうとしたその刹那、イデルがさっと立ち上がった。彼は素早い動作で扉を開けて、短く「誰だ!」と言い放った。


 扉の向こうにいた意外な人物に、レトが「おや」と目をぱちくりとさせる。スーシェは扉の方へ半端に首を向けた姿勢で呟いた。


「……父上」


 皇内大務・スルンダール上級伯はノブに伸ばしかけていた手を引っ込めて、イデルを見、次いでスーシェを見た。


「ハルシード殿か。これは失礼した」


 イデルはスルンダール上級伯を下の名で気安く呼び、彼が入りやすいように扉を大きく開ける。


「すまんな、イデル殿」

 そう言いはしたものの、彼はそれ以上入って来ようとしなかった。目を丸くしている息子に視線を走らせて、イデルに「少し借りても?」と了承を求める。イデルはスーシェを振り返り、すぐに頷いた。

「構わない」

「ありがとう。すぐに終わる」

「承知した」


 スーシェは訝しい気持ちのままに面々を見渡して、のろのろと立ち上がった。そんな息子にかかる父の言葉はにべもない。

「時間が惜しい。さっさと来い」


――そちらが急に来たくせに……!

 

 こみ上げた苛立ちを、ぐっと拳を握ることで逃して、スーシェはスルンダール上級伯について廊下へ出た。

 

 詰所の廊下には誰もいなかった。部屋の中で茫洋と聞こえていた同僚の声がよりはっきりと聞こえる以外にはさしたる音もなく、しんとしている。

 スルンダール上級伯は修練室の前を通り過ぎ、振り返りもせずにずんずんと進んで行くと中庭に通ずる大窓の所で足を止めた。


「何の御用でしょうか、父上」

 言外に、早く戻りたいという不満をありありと示してスーシェは言った。一方のスルンダール上級伯はスーシェにくっきりとした横顔を見せながら、唐突にも思える言葉を吐く。


「昔、一度だけ殿下に『皇帝の資質とは何か』と訊かれたことがある」

「皇太子殿下にですか?」

 おざなりに合いの手を入れたスーシェに返って来たのは予想だにしなかった名前だった。

の皇太子殿下。つまりリスデシャイル殿下だ」

「……!」

 衝撃的な名前に言葉が接げない。スーシェは目を見張ってスルンダール上級伯の横顔を凝視した。そんな息子に父は厳しい視線を寄越してくる。非難と苛立ちとが綯い交ぜになった鋭い視線だった。


「『武立たなければ武立つ者に。才なければ才ある者にまかせればよい。では皇帝の資質とは一体何なのか』とおっしゃってな。珍しく思い悩んだ顔をされていた」

「あのリスデシャイル様が……」

 呟く意識の裏にリスデシャイルの在りし日の笑顔が弾ける。


 明朗快活、才気煥発、博学多才。誰が見ても完璧な“日継ぎの御子”。それがリスデシャイルだった。令侍として10年近く側に侍ったスーシェですら、彼の皇子が“皇帝の資質”に思い悩む姿など見たことはない。


「それは本当のことなのですか」

「あぁ」

「……父上は何と。何と答えたのですか」

「ご自身で答えをお持ちなのでは、と申し上げた」

「どういうことですか」


 スルンダール上級伯は溜息をついて、大窓から見える中庭に目をやる。その視線の先にリスデシャイルがいるかのような気がして目を向けたが、冬枯れの寒々とした景色が広がっているのみだ。

 ややあってスルンダール上級伯は口を開いたものの、それは問いに対する答えではなかった。


「殿下はおっしゃっていた、妹に教えられることが多いと。彼女の物の見方には思いも寄らぬ気付きが溢れていると」

 

 妹、と曖昧に呟く。

 フェスタローゼとフェストーナ。2人の顔を思い浮かべてみるが、この2人のどちらにせよ、リスデシャイルにそこまで言わせる何かがあるようには到底思えない。

 フェスタローゼは気弱に過ぎ、フェストーナは生意気に過ぎる。2人に寄せるスーシェの印象はそんな程度の物だ。


「殿下の贈ったガルベーラの切り花に心を寄せて命を惜しむ様に、皇帝の資質とはああいった慈愛の心なのではないか、と」

「ガルベーラ……」

 スーシェは目を見開き、口をつぐんだ。

「実は自分よりもフェスタローゼ殿下の方が皇帝に適任なのではないか」

 はっきりと名を述べて、スルンダール上級伯はスーシェを見据える。スーシェは口も訊けずにただ、呆然と父を見つめる。



「出来るならば、フェスタローゼ殿下が皇帝となって慈愛の光で民を照らす様を見たい」

 父の声にリスデシャイルの声が重なる。

“でもあの子が皇帝になるということは私の身に何かあった時だから、どちらにしても見れないな”

 苦笑いと共に快活に肩を竦めてみせる様まで見えて来るような感じがした。


「殿下……」

「お前は」


 意識を引き戻される。

 力なく目を上げた息子に、父の峻烈な眼差しが容赦なく注がれた。


「お前はそれでいいのか」

「どうして、今。どうして私にその話を」

「それが分からないなら降りることだ」


 冷たく切り捨てて、スルンダール上級伯は来た道を戻り始めた。スーシェは引きずられるような足取りで父の背を追いつつ、必死に彼の意図とリスデシャイルの言葉を思い巡らす。


 ガルベーラの花を囲んで笑い合う兄妹。穏やかで優しかった日々に。あの笑顔の裏に。殿下は。殿

 

 リスデシャイルとフェスタローゼ。2人の面影がスーシェの中に浮かび、揺らぎ、重なり合って行く。


「ああ、それと」

 イデルとレトの待つ部屋の扉に手をかけてスルンダール上級伯は言い添えた。

「私はお前に心配される程、落ちぶれちゃいない。余計なことばかり気を回すな」


 かちゃり、と扉が開く。

 2人が入って来るのを見たレトが、「やっぱりスーシェ」と声を上げた。


「君、今のまんまならラムダと変わった方がいい。はっきり言って中途半端な気持ちでいられては迷惑だから」

「……いえ」

 スーシェは進み出る。

 その双眸に宿った今までにない光にイデル、レト共に黙り込んだ。


「共に行かせて下さい。お願いします」

 

 真摯に頭を下げたスーシェに、イデルがスルンダール上級伯を見る。彼の視線を受けたスルンダール上級伯は素知らぬ顔でそっぽを向いた。イデルの口元から笑みがこぼれる。


「……ふーん。では、いいんじゃないか?」と頷いたレトにイデルが「異存ないか」と端的に訊く。レトは肩を竦めてみせた。


「イデル殿」

 スルンダール上級伯はイデルに向けて手を差し出す。その手をイデルはがっちりと握った。2人の男は固い握手を交わしながら互いに微笑み合う。


「寂しくなる」と呟いて、親しげにイデルの肩をトントンとたたくと、スルンダール上級伯はさっと身を翻し、部屋を出て行った。


「……スーシェ、どういう顔だそれは」

「いや、だって」

 目を真ん丸にして父の出て行った扉とイデルを見比べるスーシェを余所に、そりゃあね、とレトが両腕をぐーと上に伸ばしながら言った。

「イデルは陛下の生まれた時からずーっと警護についてたから。君の父上が令侍として陛下の元にやってきた頃からの長い付き合いがあるに決まってる」

「まぁな。ハルシード殿が父上に手を引かれて太暁宮にやって来た日のことも覚えているからな。立派になったもんだ」

「もう、じぃじの心境だね。スーシェは孫くらいなもんか」

「やめろ、その言い方」

「……父上のあんな様子は初めて見ました」

 お前たちは、と言ってイデルは腰を降ろした。そして年嵩の者らしい、ある種の無頓着さを以て、「親子の体を成してないからな。お互いのことを知らなさ過ぎる」

 そう言ってから首を捻って付け加える。

「まぁ、少なくともハルシード殿の方は息子の思考パターンを把握しているか」

「鍛え直しに来たからね」

 ふふぅ、と笑って、レトはやれやれと両手を頭の後ろで組んだ。

「私の言ったことなんて余計だったな」

「いえ」

 スーシェの力強い口調に、レトがちらと目を上げる。次いで、彼はイデルに視線を向けた。レトに軽く頷いてから、イデルは厳かに、そして断固とした口調で告げた。


「では取り戻しに参ろうか。我らの皇太子殿下を」

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