第6話 定まらない風見鶏

 フェスタローゼがサティナの訃報を聞いたのは、翌日の昼過ぎのことであった。

 その知らせは太暁府での書類仕事が一段落した所に、温かいお茶と共にやって来た。


「え?」

 

 フェスタローゼは口に運びかけた茶碗をすんでのところで止めて、ニーザを見上げた。

 分別のある彼女がこんな悪趣味な冗談を言うはずもないのは分かりきっている。しかしもたらされた知らせはすぐに理解できるものではなかった。


「えと……サティナが? どういうことですの?」

 

 訊き返した彼女にニーザは噛んで含めるように、ですから、ともう一度丁寧に説明した。

「昨日のベルチアピート=シドウ大教院での襲撃事件の犯人はサティナ殿だったとのことです」

「サティナがお父様を襲撃したということ?」

 ニーザが深刻な面持ちで頷く。

「どうして……」

 

 突然の知らせに、戸惑って茶碗を卓に戻す。フェスタローゼは沈痛な面持ちで優雅に揺れる紅茶の水面を見つめた。


 宿下がりした後のサティナが、実家から失踪したことを聞いたのがルフィナール9月初旬のことだった。それ以降、積極的に心配をしていたわけではないが、時々はふと思い出して今頃どうしているのか、と思いを馳せることはあった。

 久し振りに聞いた消息がまさかの襲撃事件の犯人で、しかもその場で処断されたらしい。それはにわかに信じ難いものがあり、フェスタローゼは大いに困惑した。


 サティナが“ 苛烈な戴冠 ”での、自らの父親を含む皇族の処遇に不満を持っていたのは知っている。それ故に、皇太子襲撃事件を起こしたレオナールに同情的であったことも把握している。

 

 しかしその事が、皇帝襲撃へと繋がって行く経緯がよく分からない。サティナは至る所で悪意の告げ口を囁いて回ることはしても、自ら剣を振って物理的に攻撃しに行くことはしそうにない。あくまで内側でこそこそ動き回るタイプだと思っていた。

 現にフェスタローゼ周辺で巻き起こしたことは、その手のことだった。


――漂泊の時が彼女を変えてしまったのかしら。

 

 どちらにしても気持ちのいい話ではない。サティナは意地悪で、憎悪と言っていい程の悪意を向けて来た人だが、その最期を訊くとやはりどこか心が痛む。


 ふっと軽く溜息をついて、茶碗を取り上げる。

 一口飲み下すと、ふんだんに生姜の入った刺激的な香りが鼻に抜けて喉を柔らかに下って行く。


「決して好きではなかったけど……愚かなことだわ」

「殿下。それがそうは言ってもられない流れが出て来てますのよ」

 感傷的に呟いたフェスタローゼだったが、ニーザの言葉には深い懸念が現れていた。言葉同様に彼女自身の表情も並々ならぬ心配をたたえて、打ち沈んでいる。

「流れって?」

「今回の件に皇太子殿下が絡んでいて、そもそも淀神てんしん崇拝を行っているのは殿下ご自身ではと考える向きがありますの」

 フェスタローゼは文字通り、あんぐりと口を開けた。ニーザの声が聞こえても言っている意味が理解できない。

 

 他でもないこの自分自身が今回の襲撃に関わっていて、なおかつ淀神崇拝までしているなんて、何をどう解釈されたらそうなるのか。火のない所に煙は立たないなんて言うが、こればかりは自然発火の大爆発物と言わざるを得ない。


「どうしてそんな話になってますの?」

「それは私からお話し致しましょう」

 

 驚いて声のした方を見ると、いつの間にか開いた扉の所に皇内大務・スルンダール上級伯が立っており、その後ろではスーシェが苦虫を潰した顔で立ち尽くしている。

 既視感を感じ過ぎるこの光景は、警務大務の執務室と同じものだ、と思い至る。


「案内も待てないとは何ですか、父上! 官制八師では案内を無視するのが流行っているんですか?!」


 スルンダール上級伯は息子の抗議を見事に無視して、つかつかと執務室に入って来た。そしていつもの鉄面皮でフェスタローゼを見下ろす。

 

 皇帝の懐刀として、また皇内大務としても多忙を極める彼が、太暁府まではるばるやって来ることはまずない。しかし彼はやって来た。それは事態が楽観視できるものではないことを示唆している。


「スルンダール上級伯、今の話は本当に出回っていますの? お父様の襲撃に私が関与していてなおかつ、淀神崇拝までしているというのは」

「ええ。教院関係者と一部の貴族からそういった疑惑が出ているのは本当です」

「でも、どうしてそうなりますの? 私はお父様を襲撃しようだなんて思ったこともございませんわ その上、淀神崇拝だなんて」

 フェスタローゼは片手を胸に添えて、「それにサティナは!」と身を乗り出した。


「サティナはフェストーナの間者でしたのよ? 私の評判を貶めて、あの子を皇太子にするために私の元に来ましたのよ? そんな彼女がお父様を襲撃したからって何故、私が関与していたことになりますの? サティナはフェストーナのために動いていた人間ですのに」


 興奮して早口で捲し立てたフェスタローゼに、スルンダール上級伯は素気無く首を振った。

「サティナ殿がフェストーナ殿下の間者であった、というのは推測の域を出ません。真実そうであったとしても両者を繋ぐ物的証拠は皆無で、あるのは状況証拠のみです」

「でも……!」と言いかけたフェスタローゼをスルンダール上級伯が制止する。

「対して、サティナ殿が皇太子殿下の令侍であったこと、皇帝陛下を襲撃しようとしたこと、昨日の現場でアマオトスに庇護を求めたことは確固とした事実です。その事実を繋ぎ合わせて出て来ているのが、殿下の関与と他ならぬ殿下自身が淀神崇拝をしている、という結論なのです」

「そんな……こじつけもいい所だわ」

「まぁ、そうですね」

 スルンダール上級伯はあっさりと頷く。

「しかし、何せ声が大きくて耳目を引きやすい内容です。それに」

「……あの欠陥品ならそれ位してもおかしくない、でしょ?」


 自ら言って、フェスタローゼは自嘲の笑みを洩らす。

 二言目には、“ 欠陥品 ”と言われることに慣れることは決してない。決してないが、またそれかと倦んでいるのも確かだ。

 私、と言い置いてしばらく沈黙する。それからフェスタローゼは屹度、顔を上げてスルンダール上級伯に毅然として告げた。

「私、皇帝陛下に直接弁明に参ります」

 

 それが宜しいでしょう。


 当然、そういう返事が来ると予想していた。スルンダール上級伯は直接の弁明を促しにやって来たのだろうと。

 しかし予想に反して彼は珍しく困った風に咳払いをした。常ならば正面から射竦めて来る眼差しを、ついと反らして、フェスタローゼの背後にある窓の外に目を向ける。

「実は、皇帝陛下は『それには及ばない』とおっしゃっておいでです」

「それには及ばない? どういうことですの?」とニーザが不満そうに訊いた。

「もうそのままの意味としか」

「そんな、その言い方では……」

 どちらとも取れるではないか、と言いかけて、ニーザと視線を合わせる。きっと彼女も同じ思いを宿している。かち合った瞳にはありありと不信の色が浮かんでいた。


「皇太子殿下」


 静かに呼びかけられて顔を上げる。

「謂れのない申し立てに不安になる気持ちは良く分かります。分かりますが、今は我慢の時です。事態はまだ流動的で風向きは定まっておりません。くれぐれも短気を起こさないように。それだけは覚えておいてください」

 スルンダール上級伯はニーザに向けて、「分かりましたね?」と念押しした。

「……委細承知致しましたわ」

 心なしか青ざめた顔でニーザが答えた。フェスタローゼも、内側からじわりと広がり始めた疑心と焦燥を抑え込んで、しっかりと頷く。

「私も分かりましたわ」

「お分かりいただけたのなら結構。突然押しかけて大変失礼致しました」

 スルンダール上級伯は手短にそう言うと、現れた時同様、唐突に身を翻して出て行った。

 ぽつんと残された主従2人は互いの顔を見合わせて、しっかりと頷き合った。


◆◇◆


 皇太子執務室を辞したスルンダール上級伯は、渋面で待ち構えていた息子スーシェをちらりと見やった。

 先程の無視を禍根としているスーシェは、ぶっきらぼうに「何か?」とだけ言う。

 そんな息子の肩に父は気安く手を置いた。スーシェは少し驚いて父を見た。

 

 気難し屋でおよそ父親らしい情愛を示したことのない男が珍しい。奇矯なこともあるもんだ、と訝る彼にスルンダール上級伯は殊の外、真剣な調子で告げた。


「気を抜くな。殿下の周囲により一層気を付けよ」


 言葉の内容そのものよりも、声に籠った真摯な響きに釣り込まれて、思わず素直に首肯する。スルンダール上級伯は口元をわずかに緩ませて、親愛のこもった調子でスーシェの肩をぽんとたたいた。


「お珍しいこともあるもんだ、なぁ?」

 両手を頭の後ろで組む、という何とも緊張感のない姿勢のラムダが呟いた。スーシェは立ち去って行く父の後姿を見送りながら、おざなりに、あぁ、と返す。

 遠くなって行く父の姿が廊下の曲がり角に消えるまで、彼はそのまま見送り続けていた。

 

 

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