第5話 星見の宴(2)

「これはこれは。お美しい姫君2人が揃い踏みですな。何と華やかな」

 

 声のした方向を見る。

 フェストーナの秀麗な眉に嫌悪の皺が浮かび、すぐに消えた。気持ちはフェスタローゼとて同じだ。

 内心の嫌悪を押し隠して立ち上がる。


「これは法主殿」

「御機嫌よう法主殿」


 声を揃えて微笑んだ2人の皇女に、フォーン=ローディン真教会のトップたるファルスフィールド法主は突き出た腹を揺らして、ほほっと笑った。

 

 盛り上がった頬肉が目元を圧迫して、埋もれがちな目がいつも以上に細くなる。ほとんど糸目に見えるその両目で、フェスタローゼとフェストーナを舐め回すように見つめて、法主は満足そうに息をついた。


 途端にフェストーナは「あら、すっかり長居してしまいましたわ」と呟くと取り巻きの令嬢達を促す。


「では私はこれで失礼致しますわ。エシュルバルド殿、今度ゆっくり東都のお話を聞かせてくださいませね」


 御機嫌よう、お姉様、と花も綻ぶ華麗な笑みを残してフェストーナは去って行った。余分なことに「法主殿、ごゆっくりどうぞ」という傍迷惑な一言を添えて、である。


 要領の良い妹には呆れ返ってしまうが、こと目の前の人物に関しては、フェストーナの態度も致し方ない、と思ってしまう。自らの欲望を隠すことなく、じろじろと眺め回して来る男性に好意を抱ける女性はほぼいない。


 どこぞの若い令嬢を引き連れた法主は大分飲んでいるらしく、禿げ上がった頭のてっぺん、たっぷりとした顎肉のしわ1つ1つに至るまで真っ赤に染まっている。

 でっぷりとした体躯を屈める法主を邪険にするわけにも行かず、礼儀上仕方なく左手を差し出した。

 

 法主は分厚い両手でそれを掴み、フェスタローゼの手の甲をねちっこく撫で回し始める。

 すぐにでも手を引込めたくなるが、粟立つ気持ちを抑えて「本日は、お役目ご苦労様です」

「ありがたいお言葉。身に余る光栄でございます」

「皆様はお変わりなく?」

「はい。これも皇帝陛下の御威光の賜物と」

「そう。それは陛下もお喜びになることでしょう」

 

 法主は鼻から盛大に息をつき、ようやくフェスタローゼの左手を解放した。

 蹂躙された感じのする左手をさり気なく右手で拭いつつ、フェスタローゼは傍らのエシュルバルドを法主に紹介する。


「法主殿はエシュルバルドを覚えておいでかしら? この度、皇宮に来ることになりましたのよ」

「もちろん、覚えておりますとも! 随分とご立派になられましたな」

 エシュルバルドは身軽に立ち上がると、1歩前に出てフェスタローゼと法主との間にさり気なく入り込んだ。


「お久し振りですね、法主殿」

「イリアス殿下はご健勝ですかな?」

「ええ。物静かではありますが、元気に過ごしております」

「それは何よりですな」

 

 大らかに何度も頷いて、法主は存外に優雅な仕草で腰を屈める。


「では、私はこれにて失礼させていただきます。皇太子殿下とエシュルバルド殿下にアマワタルの加護のあらん事を」 

 彼はもう一度大袈裟な身振りで一礼してみせると、連れの令嬢に「あちらに参ろうか」と庭の方を指差した。

 年の頃はフェスタローゼよりやや上、20才前後に見える令嬢は、法主の提案に少し困った表情を浮かべたが、ふわりとフェスタローゼに膝を折ると、法主に付いて行った。

「……最後の一言だけは宗教家らしいわ」

 思わず洩れた感想にアンリエットが「全く」と苦笑いする。

「連れの方はアウルドゥルク侯の御息女でしたね」

「あら、そうなの」

 アウルドゥルク侯と言えば、農業全般を管轄する地統師の大務で、現在の宮廷における実力者の1人である。


「確か、3番目か4番目のお子様だったような。先だって、ご婚約を発表されたばかりです」

「どなたと?」

「ハイランジア家のレオナール様です」

「まぁ!レオナール殿と?!」

「そうなんですか!」

 

 外戚の従兄と婚約した女性だったとは。

 エシュルバルドと顔を見合わせてからもう一度、2人が去った方を見る。

 2人は庭へと通じる大窓付近にいた。

 法主がアウルドゥルク侯の令嬢の左手を取り、何事か熱心に話している。令嬢の方は、しきりに首を振り、周囲を見回していたが、やがて法主に抱きかかえられるようにして庭へ出て行った。


「……お姉様」とエシュルバルドが呟く。

「ええ、そうね。少し嫌な感じがするわね」


  ねぇ、とハルツグに声をかける。

「はい、何でございましょうか」

「法主とアウルドゥルク侯の御息女が庭に出て行ったのだけど、様子を見て来て欲しいの。無理矢理連れて行かれたような気がして……」

「承知致しました。では様子を見て参ります」

 頼もしい微笑みを残して、勤勉なる少参丈は滑るように庭の方へと向かって行った。

 

 彼女なら、きっと上手く対処してくれる。

 少なからずほっとして、椅子の背に身を沈めた。隣りではエシュルバルドが、ぷりぷりとしながら、少年らしい率直な怒りを示している。


「困った御仁ですね! あの方は。お姉様の手は撫でくり回すし、不躾に眺め回すし」

「本当に」

 

 答えながらフェスタロ―ゼは紅茶を手に取った。

 じんわりと来る温かみに気分がほぐれるのを実感しつつ紅茶を口に運ぼうとした瞬間、急に「まったくですわ」と声をかけられて、危うくこぼしそうになる。

 

 すんでの所でこらえ切って、紅茶を卓に戻す。

 内心の動揺を見せまいと、素知らぬ顔で脇に控えたサティナに屹度、厳しい視線を向けた。


「あなた……一体、どこにいらしていたのかしら?」

「申し訳ございません。知り合いの方がいらっしゃったので」

「令侍が主の側を無断で離れて挨拶とは随分と自由な振る舞いで。貴殿はご自分のお立場をいささかお忘れのようだが?」


 アンリエットの明らかな叱責にサティナは口を尖らして黙り込む。自らの振る舞いを反省する気など毛頭なさそうだ。


 こんな態度しか取れないのに何故、令侍になりたかったのか。全く以て理解に苦しむ。

 フェスタローゼはそれ以上注意することさえもうんざりとして、「次からは改めてちょうだい」と言い捨てると紅茶を一口、口に含んだ。

 

 疲れているフェスタローゼを気遣ってか、紅茶には砂糖が入れてあった。

 優しい甘さに気持ちが解けて行くのを実感しながら、エシュルバルドとしばらく歓談していると、様子を見に行ったハルツグが戻って来た。


「ハルツグ、あの方大丈夫だった?」

「ええ。私よりも適任な方が先にお助けしていましたわ」

 そう言うとハルツグは、「警務師の准参預殿はとても有能な方ですわね」と付け加えて、くすくすと笑う。

「それに、ちょっとない位にお美しい殿方でしてよ」

「ん……まぁ、大丈夫だったのね」

 

 何らかのロマンスが起きる瞬間でも見たのだろう。ハルツグも意外に乙女な所がある。


「そういえば殿下!」

 ハルツグがぽん、と両手を合わせる。

「庭園で近衛騎士の方々が“月割り”をしてましたわ。ご覧になってはいかがですか?」

「月割り?」

 フェスタローゼはオウム返しに呟いて、首を傾げた。

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