第6話 星見の宴(3)


 外の空気はひんやりと心地よく、微かに湿り気を帯びていた。

「こちらです」と先導されるままに出たテラスの端に歩み寄る。


「皇帝陛下がおみえですね。それに皇后陛下も」

 エシュルバルドの示す方を見ると、テラスのもう一方の端に寄り添って立つ両親の姿があった。

 ほっそりと柳のように美しい母の手がそっと父の腕に添えられている。いつもながらに仲睦まじい様子である。

 

 声をかけるには少し距離がある。

 フェスタローゼはひとまず眼下に群がっている人々に目を移した。

 下の方には20人くらいはいるだろうか。揃いの装備を着込んだ近衛騎士達が、ゆるやかな輪を形成して水で出来た球体を囲んでいる。

 水の球体は約30cm程。脇に立っている宮廷精道士の制服を着た男性が、術法で保っているようだ。


「あそこに浮かんでいる水の球体を月に見立てて割るから、月割りって言うんですよ! いやぁ、久し振りだなぁ!!」

 弾けた笑顔のエシュルバルドは手すりに両手を掛けて、待ち遠しいとばかりに身を乗り出している。

「星見の宴で月を割るのね」

「星を際立たせるためですよ」

 そんな軽口をたたいてアンリエットは「ほら! 1人出て来ましたよ」と水球を指した。

 

 周囲の騎士達に囃されながら進み出て来た騎士が木剣を構える。

 そのまましばらく、どこから当てようか考えあぐねている様子だったが、「やあっ!」という声も勇ましく、水球に斬りかかった。

 しかし掛け声の勇ましさとは裏腹に敢え無く水球にボヨンと跳ね返されて木剣を落としてしまった。

 どっと笑い声が上がる。


「何だ、その情けないへっぴり腰は! そんなのでどうする!!」

 

 一際大きく上がった声にアンリエットが呆れ声で呟いた。

「会場でお見かけしないと思ったら。父上はこんな所で遊んでみえたか」

 

 齢70歳。美しく輝く白髪を後ろへ撫で付けた老騎士団長は部下の落とした木剣を拾い上げて、「全く! 斬ることすらままならないとはな」

 すっと身を起こした彼は存外に背が低い。お世辞にも騎士として恵まれた体格とは言えない。しかし、その小柄な体から発散されるオーラと言ってもいいくらいの気迫が、実際以上に彼の体躯を大きく感じさせる。

 

 小さいながら、みっちみっちに気力が詰まった老人。それが帝国騎士団を率いるヴァルンエスト侯爵だ。


「中々に突破できる者がいないな」

 木剣を片手に次なる挑戦者を探すヴァルンエストの隣でぼやいているのは、皇族最年長のラハルト王子だ。

 こちらはヴァルンエストとは対照的にひょろりと縦に長い。本人は「年を食って背が縮んだ」とよく言っているが、それでもまだフェスタローゼより頭2つ分は背が高い。

 

 ラハルトが団長を務める宮廷精道士団は帝国騎士団の傘下にあるため、この2人の関わりは深い。それを抜きにしてもとかく馬が合うのか、一緒にいる事が多く、「でかいの」、「ちっこいの」とお互いを呼び合っては立場を超えた友情を結んでいる。

 

 今日はその“ でかいの、ちっこいの ”コンビにもう1人加わっていた。

 帝国軍を統べる軍務大務の任にあるウォレンダーク伯爵だ。

 彼はトレードマークとなっている豊かな口髭をひねりながら「ううむ……中々に」ともっともらしく頷いている。


「珍しい取り合わせね」

「いや全く」

 頷くアンリエットの隣で物珍しそうに水球を眺めていたサティナが「あの水球を斬れるかどうかということですの?」と声を上げた。


「水球の中心にある核を斬れるかを競っているのですよ」

 エシュルバルドの言葉にピンと来なかったのか、彼女は首をひねりつつ「容易い事のように思えますけど」

「容易いなんてとんでもない!」

 ハルツグが普段になく強い口調で言い切った。


「あの水球は圧縮された水の塊ですのよ? 水圧が強くかかっているから、内部は激しい水流が渦巻いていますの。だから大抵の人は水圧に負けて全く斬れない。力任せに断ち斬ろうとしようものなら水面が荒れる。精道の流れを読んで、自らの技と力を完全にコントロール出来る者のみが水球を斬れる。そういう競技ですの!」

「精道の流れ……」


 “精道の流れを読む”なんて自分には一生出来ない芸当だ。その事実を改めて思うと、先程のフェストーナとの遣り取りが胸にずしりとのしかかって来る。

 

 眉をひそめたフェスタローゼにいち早く気付いたエシュルバルドが控えめにそっとハルツグを制止する。


「ハルツグ殿」

 

 ハッとしたハルツグが気恥ずかしそうにコホンと咳払いした。

「……失礼致しました。つい……」

「ハルツグ、いいのよ。だって好きなものを見るのはわくわくするものね」

 慌てて言い添える声に、発破をかけるウォレンダーク卿の胴間声が重なった。


「何だ、何だ! 我こそはという者はおらんのか?!」

 

 彼の叱咤に「はいはーい。行きまーす」と間の抜けた声が上がり、1人の騎士が押し出されるようにして出て来た。すると居並ぶ騎士達からどよめきが起こる。

 

 出て来たのは皇衛隊1番隊所属のイデルだった。

 彼は後ろを何度も振り返っては盛んに抗議している。自ら進んで出て来たのではなく、周囲の騎士に押し出されたのだろう。

 

 アンリエットが、ぱんっと勢いよく手を打った。

「イデル殿が出たっ!」 

「あの方強い方ですの?」と、いまいちピンと来ない様子でサティナが言う。

「強いなんてものじゃありませんよ、彼の腕前は! サティナ殿、殿下、ここからは瞬き厳禁ですよ」

「え、ええ……」

 

 とりあえず言われたままにじっと集中して見つめてみる。

 イデルは、「ほぉ。これは見ものだな」という言葉と共にヴァルンエストから木剣を受け取り、水球の前に立った。

 これまでの騎士のように、戸惑ったり気負ったりしていない自然な佇まいである。

 取り囲む騎士達も見逃すまいとして固唾をのんで見守っている。皆の集中がイデルただ1人に降り注ぐ。

 

 すっと木剣を振り上げると、彼は何のためらいもなくスパンッと水球を一刀両断した。

 余りの早さに瞬間、水球に光が走ったようにしか見えなかった。一切の水面の乱れもないままに、ただ核だけが美しく真っ二つになっている。

「おおー!!」

 感嘆の声が自然と巻き起こり拍手が湧き上がる。


「イデル! よくぞやった!」と皇帝の歓喜の声が一際高く突き抜けた。

 そちらを見やると、父が両手を高く上げて熱心に拍手を送っている。少年のような熱意で喜ぶ父を見守る母の眼差しは、どこまでも愛情に満ちた温かいものであった。


「さすが、彼は見事ですね!」

「すごいのですよ。イデル殿は、本当に!」

 興奮して話すエシュルバルドとアンリエットの声に引き戻される。


「すごいわねぇ。光が走ったようにしか見えなかったわ」と言うと、アンリエットは自らの事のように胸を張った。


「イデル殿は並みの手練れではありませんからね。何と言っても彼はエフィオンですから」

「エフィオン? 精道人せいどうびとですか?」

 

 サティナが珍獣を見る目つきで、周囲の賞賛を受けるイデルを見つめた。

 エフィオンとも精道人とも呼ばれる彼等は、通常の人間よりも体内の精道率が高い人種だ。太古の昔にこの真地を造成した神々、エンフィージアの名残とも言われている。


「エフィオンなんて物語の中だけの存在かと」

「あら、もっと身近にいるじゃない」

「え?」

 驚くサティナに、水球を囲む輪から少し離れた所に立っているスーシェと、その隣にいるラムダを指差す。


「スルンダール殿と……あれですか?」

「あれなんて言い方やめてちょうだい。ラムダは私が生まれた時からずっと一緒なのだから」

「あぁ、そうなんですか」

「皇族には生まれた時からエフィオンが護衛につきますからね」

 そう言ってエシュルバルドは自らの背後に付き従うレトと微笑み合った。

「レトもエフィオンだったわね」

「ええ。実は」と答えるレトにサティナが不審感を込めた視線を送る。

 彼女にとっての“エフィオン”は、自らの常識の外にいる生き物だ。不気味な生命体にしか思えないのだろう。


「それにしてもスルンダール殿もエフィオンでしたのね」と言った彼女の言い方には若干の軽蔑の響きがあった。

「旧王家のスルンダールとソラミエールはエフィオンが出やすいとは言われているわね。後は皇族たる我らトゥエルリッタ一族も」

「殿下、ヴァルンエスト殿が」

 

 そっと肘辺りをハルツグにつつかれて前を見る。

 水球の前ではヴァルンエストが「では、私も参ろうかの。イデル殿に負けておれんて!」と、木剣を構えていた。

「父上ったら……もう」

 口では呆れ返っているものの、老父を見つめるアンリエットの目には心配の光がありありと浮かんでいる。

 そんな娘の視線を知る由もなく、ヴァルンエストは深く息を吸い木剣を振り下ろした。

 ぱしゃん、と水がはねて中の核が2つに割れた。

 

 いち早く「斬れましたな!!」とウォレンダーク卿が大袈裟に拍手してみせる。

 しかし、彼の追従は少々早過ぎた。

「いや、無様なものよ。年は取りたくないな」

「衰えたなぁ、そなたも。かように水面を荒らすとは。こちらまで飛沫が飛んで来たわ」

「お恥ずかしい限りで」 

 からかうラハルトの言葉を素直に受け入れて、ヴァルンエストは苦笑混じりに頷いた。


 うーんと唸りながらアンリエットが腕を組む。

「本当に。往時の父上であれば、もっとすっぱりと……」

 熱のこもった口調で彼女は言いかけたが、途中でハルツグの茶化す視線に気づくと言葉を切って、背筋を正した。

 

「何だかんだと言いながら御父上を尊敬しておいでなのね」

 ねぇ?とハルツグに同意を求める。ハルツグは慎ましやかに口元を押えて、うふふと笑った。

「いい事ではないですか」

 真剣な響きでサティナが言った。響きだけではなく表情も真剣そのものだった。


「御父上を尊敬しているのはとても素晴らしい事だと私は思いますわ」

 

 強く言い切った口調にさしものアンリエットも気圧されたらしく、「えぇ、まぁ、そうね」と戸惑い半分で返してから、「ありがとう」とついでのように付け足した。

 

 サティナはその言葉には応えずに水球を取り囲む騎士達を見つめている。

 気難しく、わがまま放題。厄介なだけと思っていた令侍の意外な一面に新鮮な驚きを覚えて、つんと澄ました彼女の横顔を見つめる。

 主の視線に気づいたサティナがいつも通りの冷たい調子で返して来た。

「何か?」

 御父上の事を尊敬しているのね、と言おうとした。だが、サティナの父と自分の父を巡るいきさつが頭を過ぎる。

「いいえ、何でもないわ」

 そう答えてフェスタローゼは前方に目を向けた。

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