第10話 拾う手

 勢いよく下げた頭にさらりと返答が降りかかった。


「いいですよ」


 即答過ぎて理解が追い付かない。

 砂霞は頭を下げたままの姿勢で、顔だけジョーディに向けた。


「え?」


 間の抜けた声が出る。

 拍子抜けの余り、狼狽える砂霞を見てジョーディは快活に笑った。嫌味なくらいに白い歯並が少し覗く。


「だから、いいですよ」

「しかし……内容も聞かずに」

「さすがに皇帝陛下の寝首を掻いて来い、なんて言うのは無理だが」

 身を起こした砂霞に彼は肩を竦めて不穏当なことを言う。ジョーディらしい大法螺振りに自然と笑みがこぼれた。


「まったく。あなたという方は」

 

 語る声にも浮き立つ本心が洩れる。ジョーディは器用に片眉だけを上げて取り澄ましてみせた。


「それで、私に依頼したいこととは何だい?」

「あの、これなのだが」

 砂霞は袂から一通の封筒を取り出して、彼に差し出した。

「ほお? 手紙か」

 ジョーディは封筒を受け取り、表、裏と翻して眺める。

「これを皇太子殿下に、ということだね?」

「いや、あの……」

 

 それはそうだが、口の中でもごもごと言って、砂霞はジョーディからすいっと目を逸らした。そして、組んだ両手を閉じたり開いたりしながら、しばらく言葉を濁していたが、観念してのろのろと口を開いた。 


「それは、まぁ、合っている」

「貴殿にしては随分と歯切れの悪い」


 自分はこの男にそんなに何事にも躊躇わない女と思われているのか、という疑問が心を掠める。しかしそれを強いて脇に押しやり、砂霞は彼に身を寄せて一段声を潜めた。


「このことは貴殿の胸の内にとどめておいて欲しい」

 ジョーディはさして驚いた風もなく砂霞の告白を頷き1つで受け入れた。何百、何千と同じフレーズと共に様々な告白を聞いて来た身だ。秘密の告白を聞くことにかけては最早、熟練者である。


「実は」


 砂霞は少し舌で唇を湿らせた。まだ若干の躊躇いが残る。


「その手紙は殿下の部屋のくずかごに捨ててあったものだ」

「ほぉ?」

「丸めて捨ててあったのを私が清書した。捨ててあったそのままのものではない」

 封筒に目を落としたジョーディに慌てて弁解する。


「でも貴殿らしくもない。殿下の捨てたものを敢えて拾い上げるお節介なんて」

 

 砂霞はすぐには答えられなかった。

 目を伏せて両手をまたこねくり始める。

 彼女はずっと悩んでいるのだ。

 これでいいのか。出過ぎた真似ではないか、と手紙を託す段階に来てもまだ自問を繰り返している。


「余計なお世話とは分かっている。でも」

 でも、と、もう1回弱々しく呟く。

 

 紙をさっと握り潰して気まずそうに「しまった。書き損じてしまったな」と苦笑いした主の表情が甦る。

 眉を下げて、微かに口元を緩ませて。和佐はいつでもそうやって全ての不遇を受け入れて来た。


「貴殿はもうお聞き及びかとは思うが、殿下の本国でのお立場は恵まれているとは言えない」

「それは母君が外国人だから?」

「恐らくは。それに身元も良く分からない方だったので。難破した商船で流れ着いた方だとはお聞きしている。それ以外のことは良くは。ご本人も昔のことは語らない方だった」

「そうか。つまりは身元も良く分からない、どこの馬の骨とも知れない女の産んだ王子とあっては、か」

「ただでさえ閉鎖性の高い国柄だ。このまま国に戻っても待っているのは飼い殺しか出家か。いづれにしても……」

「いづれにしても不遇、ということか」

 言いにくい所をずばりとジョーディは言ってのけた。砂霞は苦悩を眉に深く刻んで頷く。


「きっと殿下は皇太子殿下のお立場を慮って捨てたのだと思う。帝国の同盟国の敵国となった今、接触を持つようなことがあっては迷惑をかけるのでは、と。でも私は、人生一度位はご自分の我を通してもいいのではないか、思いを届けてもいいのではないかと思っている」

 砂霞はジョーディの手の内にある封筒に目をやった。

「それにその手紙は捨ててはいけない類の物のような気がしてならない。下らない直感だとは思うのだが」

「なるほどね」


 渡りの結びで垣間見た2人のダンスがジョーディの胸に迫る。

 栗色の髪をなびかせる異国の王子と開きかけた蕾のような皇太子。夢幻の隙間に咲き誇る2人のダンスは情緒的で初々しく。お伽噺の一幕を見る思いであった。

 “ 恋 ”という名すらつかないままに流されていった2人の結末に自らの手で一抹の光明を与えられるものなら、それも一興やもしれない。


「承知致した。引き受けよう」

 ジョーディは先程より真摯な気持ちで強く言い切った。

「いいの……だろうか」

 苦悩の表情のままに砂霞が顔を上げる。気弱に呟いた彼女の腕を親しみを込めてぽんぽんと叩いた。


「自分の直感を信じたまえ。貴殿がそう思うなら必要なことなのだよ」

「……そうか」

 ぽつりと言って砂霞は顔を上げた。

 打ち沈んだ彼女の瞳に少しづつ力が戻って来る。砂霞は「そうだな」と自らを鼓舞して、首肯する。


「ジョーディ殿。その手紙を皇太子殿下にお渡しいただきたい。宜しくお願い申し上げる」

「しかと承った」

 明るく言い切った砂霞にジョーディがすっと手を差し出す。


「貴殿らの旅路にカルラ神のご加護を」

「貴殿もお元気で」

 

 いつもの人を食った笑みを見上げて、差し出された手をぎゅっと握り締める。

 その手は今日も美しく爪が光り、掴んだ手の平は柔らかい。でも気障ったらしいだけの男と侮って握ったあの日とは違う。

 

 飾り立てた上っ面の内に、たぎる熱意を秘めたこの男に信頼を寄せている自分がいる。このまま二度と会えないのを惜しむ気持ちがある。

 砂霞はそんな自分の心に驚きつつも溢れる思いを込めて言った。


「この国で貴殿に会えて良かった」

「それは愛の告白と受け取っても?」

「断じて違う」

「にべもない」

 ははっと明け透けに笑う彼に釣られて、砂霞もふふっと声を洩らした。


「では砂霞殿。預かり物は必ずやお届けしよう」

 砂霞は深々と頭を下げた。

 ジョーディは典雅に一礼すると、しなやかな足取りで行きかけたが途中で気まぐれに振り返った。


「ところで君。君は“ 影 ”ではないよね?」

「影?」


 何のことやら分からず、眉をひそめる。

 彼は「分からないならいい」と手を振って、再び慇懃に腰を屈めると今度こそ立ち去って行った。

 扉の向こうに消えていく洗練された背を見届けてふぅと一息つく。そして砂霞は軽やかな表情で作業に戻るべく踵を返した。

 

 

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