第8話 あの日のダンス
四季宮・流雲館は音楽と踊りに満ち溢れていた。
宮廷楽士団が奏でるは3/4拍子の軽快なリズム。
床を蹴って、1、2、3。踊りの輪の中心でフェスタローゼは和佐と共に軽やかにステップをきめた。
無事に成功した嬉しさに満開の笑みが思わずこぼれた。見上げた和佐の肩越しにシェハキム石の大型シャンデリアが豪奢に煌めく。
「和佐様、いい調子ですわよ」
ふわりと回転し、和佐に腰を抱き取られる。彼はまだ何となく緊張した面持ちのままで不安そうに言った。
「こんなに真ん中で踊るなんて聞いてません」
「あら、申し上げ忘れてましたかしら」
「……確信犯ですね」
胸の高さで互い違いに手を組み、和佐は左、フェスタローゼは右へステップを踏む。そしてフェスタローゼの腰の後ろで手をつなぎ、音楽に乗って2回、3回と緩やかな円を描いて回転する。
「それにしても凄い人数が一斉に踊りますね」
和佐がフェスタローゼの後方に視線を漂わせた。彼の眼前に広がるのは三重、四重に広がる踊りの輪。たなびく秋の雲のごとく風雅にひらめく裳裾の洪水だ。
「宮廷三大舞踏会の一角ですもの。これが “ 渡りの結び ” ですわ」
「踊りで結ぶ女神ルフィーネの縁ですか」
「ええ」
くるりと背を向けて前方にステップを踏む和佐の肩越しに左手を差し出す。和佐にリードされるままにターンを決めて彼の正面に回り込んだ。
フェスタローゼの腰を右手でぐっと和佐が寄せる。
見上げる先。
側近くに鳶色の瞳が迫った。その目に揺蕩う光に吸い寄せられる。
フェスタローゼの額にふと和佐の吐息がかかった瞬間、舞曲は終わりを告げた。
「……残念」
すぐ目の前で微笑む和佐にはっとしてフェスタローゼは身を引いた。かーっと熱を持ち始めたうなじを撫でながら、目を逸らす。
穏やかで気の優しい和佐が垣間見せた、“男性” の部分が照れくさくて直視できない。
フェスタローゼは三々五々散って行く人々の流れに目をやりながら、必要以上な快活さで言った。
「ちゃんと踊れましたわね。和佐様」
「皇太子殿下の特訓の賜物です」
「いかがでした? 東都発祥のソーティアは」
和佐は栗色の髪を軽く振ると、眉を下げて苦笑いになる。
「中々に苦戦しましたよ。あの跳ねるステップは難物ですね」
「ソーティアは跳ねるっていう意味ですからね。それで次はどの舞踊になさいます?」
「もう十分な気分ですが」
「まあ! 駄目ですわ。これからですのよ」
「お姉様、御機嫌よう。随分と楽しんでいらっしゃること」
鈴を転がすような愛らしい声が刺々しく割り込んで来る。声のした方を見るとそこには華やかな笑顔を湛えた妹姫・フェストーナが立っていた。彼女の斜め後ろで乳母のマスティア伯爵夫人が腰を屈める。
しかし顔を伏せる瞬間に底意地悪く閃いた敵意をフェスタローゼは見逃さなかった。
厄介な2人だ。出来ればからみたくなかった。
姉のそんな気持ちはフェストーナも十二分に察しているだろう。それでも彼女は可愛らしく小首をかしげて、表面上は姉を慕う妹を演じる。
「私、安心致しましたわ。詐欺師に付け込まれてさぞ気落ちなされているのではと案じておりましたから。元気な姿を拝見いたしまして本当、胸をなでおろす心地です」
“ 詐欺師 ”と甲高く上がった彼女の声に周囲の貴族がちらりとこちらを振り返る。
まただ。
心中苦く呟く。
またこの妹は、姉をだしにして自分の株をあげようとしている。
フェストーナの心根に潜む悪意を前に思わず右手で胸飾りを握りしめそうになる。だがすんでの所でそれをとどめて代わりに和佐の腕に添えている左手にぐっと力をこめた。左手を通して感じる彼の温かみに勇気づけられて心に余裕が生まれる。
フェスタローゼは、深く息を吸い妹に負けじと満面の笑みを浮かべた。
「いつも気にかけてくれてありがとう。フェストーナ」
フェストーナがわずかにたじろいだ。
彼女にとって想定外の反応だったのは明らかだ。いつもと同じ、むすっと黙り込む展開になると安易に踏んでいたのだろう。
「でも、もう大丈夫ですわ」
フェスタローゼは、懸命に笑顔を張り付けつつ、正面からフェストーナを見据えた。
「この国の皇太子は私ですから。その自覚をしかと心に刻んで精進して参りますわ」
どうだ!という思いを込めて叩きつけたフェスタローゼの言葉に、フェストーナの顔が色を失う。いつもの如才のなさも予想外の反撃に脆く崩れ去り、彼女は無駄に口を開けて、そして閉じた。しばらく言葉を探しあぐねる様子で押し黙り、ようやく口を開いた時には常日頃の猫なで声ではなくなっていた。
「それは……結構な事で」
「ありがとう。あなたのおかげよ、フェストーナ」
かすれた声で言った妹にフェスタローゼはにこやかに返す。
嘘は言っていない。今の前向きな気概はフェストーナがもたらした結果である。彼女が望んだ結果とは真逆のものではあるが。
「……お役に立てて何よりですわ」
ぎりっと奥歯を噛み締めてフェストーナはほとんど呻くようにして答えた。そして、おざなりに膝を折ると、ぷいと顔を背ける。
臍を噛んで去って行く主の後をマスティア伯爵夫人が慌てて追って行った。
「殿下」和佐がそっと囁く。
目を上げると彼はいたずらっ子の目つきをしていた。
「一矢報いましたね」
「ええ」
2人は目を合わせて会心の笑みを洩らした。
心を共に、喜びを分かち合う快さに胸がいっぱいになる。そんなフェスタローゼに背後から老騎士団長の声がかかった。
「殿下。実に頼もしいことで」
振り返るとそこには、外交関係を司る礼綱大務のカスターリッツ伯爵夫君を伴ったヴァルンエスト侯が立っていた。彼は砕けた様子でお茶目にガッツポーズを取る。
「もう、ヴァルンエスト侯たら」
ヴァルンエスト侯はからからと気持ちの良い豪胆な笑い声を上げた。凛と立つフェスタローゼを感慨深そうに見つめて、「重畳、重畳」と頷く様は孫の成長を見守る祖父そのものである。身近に祖父を持たぬフェスタローゼにとってはこのヴァルンエスト侯が一番それに近い存在なのだ。
常に温かい眼差しを注ぎ続けて来てくれた老騎士にフェスタローゼは微笑みと共に手を差し伸べた。
「久し振りに1曲いかが?」
「いやぁ、和佐殿下を押しのけては申し訳ないので。老骨はせいぜい壁の花に身をやつしましょう。なぁ、カスターリッツ卿」
「私は言う程老骨ではありませんが」
「裏切りおったな」
「事実を申し上げたまで、です」
無表情に答えて、カスターリッツ卿はくすりと秘めやかに口元を緩める。
「言いよるわ!」
ヴァルンエスト侯が大仰に眉を上げたのが可笑しくて、一座を和やかな笑いが包んだ。和やかな雰囲気に連れられて来たかのように、宮廷楽士団の演奏が再開される。
「ほれ!若人はどんどん踊りなされ。夜はまだまだこれからですぞ!」
「いや、私は」
尻込みしかけた和佐の背をヴァルンエスト侯は容赦なくぐいっと押し出した。
「挑戦あるのみです!」
「大変な方に目をつけられたこと」
くすくすと笑って、フェスタローゼは片手を和佐へ差し出した。
「1曲いかが?」
和佐は苦笑いで身を屈める。
「喜んで。皇太子殿下」
ヴァルンエスト侯とカスターリッツ卿に送り出されて踊りの輪に加わった。夢のように優雅に解けて行く人々の波を抜けて中心に立つ。
フェスタローゼは栗色に輝く美しい髪の王子を見上げた。情愛を込めて差し出した彼女の両手をしっかりと和佐が握る。
視線を絡め合い、滑らかに踊り始めた2人は気づかなかった。
2人を微笑ましく見守るヴァルンエスト侯の隣。カスターリッツ礼綱大務に歩み寄る人物。
その人物はさり気なく彼の脇に立ち、何事か耳打ちした。カスターリッツ卿は重々しく頷いて、ちらりと和佐に視線を走らす。
彼はヴァルンエスト侯に一礼すると、眉根を寄せた厳しい表情で足早に会場を出て行った。
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