第7話 好事家過ぎる姫君
「造船技術の供与、ですの?」
覚束ないままに訊き返す。
室内装飾、調度品、衣装などなど。
人の手によるありとあらゆる技にヴァルシィネが精通しているのは割りと有名な話である。しかし、その中に造船技術まで含まれるとは知らなかった。
覚束ない皇太子に代わって、ヴァルシィネの言葉に食いついたのは知識に貪欲なエシュルバルドだ。
彼は興味深いとばかりに、前のめりになった。
「紫翠国の造船技術は目を見張るものがあるそうですね! えと……ガレオン船、でしたか?」
「ガレオン船?」
「漕ぎ手を必要としない船だそうですよ」
教えてくれたエシュルバルドに、「櫂もなしでどうやって進みますの?」と、素朴な疑問をぶつける。
帝国の主流は漕ぎ手を大量に乗せて動かす、ガレー船、ガレアス船だ。漕ぎ手なく進む船など、中々想像がつかない。
「風の力と潮の流れで進みますのよ」
ヴァルシィネが簡潔に答えてくれたが、いまいちぴんと来ない。
風力と潮力で進むと言われても、それだけで船が進むのか甚だ疑わしい。
「我が紫翠国の周辺海域は波が高く、風が強いのです。その場合は櫂で漕ぐよりも遥かに高速で移動する事が可能です。そもそも波の高い我が国の海では、ガレー船のような平たくて高さのない船は波をかぶってしまって航行できないのです」
聞くほどに疑問符が増えて行くフェスタロ―ゼを見兼ねて和佐が丁寧に解説してくれる。ようやく得心が行き、フェスタロ―ゼの瞳が晴れる。
「なるほど。紫翠国周辺はこの地域より風が強くて潮流も速いのですね。確かに帝国の周辺は遠浅で穏やかな海ですわよね。その場合はガレー船の方が向いているということかしら?」
「そうですね」とエシュルバルドが頷いた。本当に彼は何でも良く勉強している。
「帝国でガレー船が主流なのは地理的な問題もありますが、この国が物流の終着点である、ということもあると思いますわ。外洋に長距離航行する必要がないというのは大きいですわね」
後はそうですわね、と前置きしてヴァルシィネは見事に色づけられた爪を口元に当てて考え込む。
「ガレオン船の強みは漕ぎ手がいらない分だけ積荷をより多く積めること、それに何と言っても大砲がより積めることにありますのよ」
「つまり大幅な戦力増強が出来ると?」
「どこまで技術供与をしていただけるかによりますけど」
ヴァルシィネは挑む目つきになって和佐に笑いかける。
「そこは私の腕と殿下の腹積もり次第ということで」
「お手柔らかにお願いします」
「どうしましょうかしら? 結局、前回は煙に巻かれて終わったような気がしますわ」
「前回?」
和佐が不思議そうに訊き返した。その声音にこもった困惑に違和感を覚えて彼を見る。しかし、その違和感は形を成す前にエシュルバルドの明るい声で掻き消された。
「和佐殿下、気をつけてくださいね」
エシュルバルドが気安く和佐に身を寄せて、わざと声を潜める。
「技術と職人のことになると、この御方は目の色が変わりますからね」
「何も取って食べたりしませんことよ」
「食べはしないけど、
「あら!ひどい偏見ですわ」
フェスタローゼは笑いながら、先程よりはくつろいだ気分でヴァルシィネを眺めた。
登場こそ奇矯な振る舞いで困惑させられたが、話してみた彼女は思ったほどに気難しくない。むしろ目を輝かせて語る様は見ていて好感がもてる。派手な外見から勝手に忌避感を抱いていたのは自分の方だった。これは、いい方のオチがつきそうだ。
和やかな笑いが一通りおさまって来た頃、エシュルバルドが、そういえばと少年らしいあどけない感じで手をポンと合わせる。
「ヴァルシィネ殿は月琴は御存知ですか?」
「え? 月琴? 何ですの」
彼女の目が聞き慣れない単語にきらりと光った。
「月のような丸っこい胴が特徴の紫翠国伝統の弦楽器です。こちらの砂霞殿が名手でして、実に妙なる技なのです」
ヴァルシィネが文字通り食いつきそうな勢いで砂霞を見る。余りの勢いに和佐の後ろに控えていた彼女が、じりと後退する程だ。
「月琴とやらは今、お持ち?」
「いえ、あの。持って来てはおりません。当方、武官ですので常には」
そう、と1つ頷いて、ヴァルシィネは和佐に訊いた。
「和佐殿下。いつに致しましょう」
「え?」
「さすがに本日は無理そうですわね。いつでしたら月琴をお聞かせ願えますでしょうか?」
「いや……。当分は体が空きそうになくて」
言葉を濁して、和佐がフェスタローゼを見やった。
自分の口からは言い辛いと思う和佐を可笑しく思いつつ、フェスタローゼが言葉を継いだ。
「当分は駄目ですのよ。中旬の“ 渡りの結び ”までは」
「渡りの結び? ルフィーネ神の祝祭ですわね。では舞踏会にご出席なさいますのね?」
「和佐様は今、私とダンスの猛特訓中ですの」
「殿下は巧みな踊り手でいらっしゃいますものね。殿下に直接ご指導いただけるなんて幸運ですわ」
「その幸運を生かせるように精進致します」
「いいなぁ。私も是非、お姉様と踊りたいものです」と頬を膨らませてエシュルバルドが拗ねた口調で言った。
和佐と“ 渡りの結び ”の舞踏会に出ると言ってから、彼は少々お冠なのである。
「エシュルバルドはまず、成人する所からですわね」
「それはそうですけども。まぁ今回は壁の花となってお2人を見守っております」
「私が殿下の足を踏まないように、お祈りお願い致します」
「しょうがないですね。お姉様のおみ足のためにお祈り申し上げます」
「では、和佐殿下。渡りの結びが終わりましたら近い内に」とヴァルシイネが和佐に念押しした。
「分かりました」
「絶対、絶対ですわよ?」
「和佐殿下、ちゃんとお聞かせしないとまた押しかけて来られますよ」
すっかり機嫌を直したエシュルバルドが茶目っ気たぷりに、和佐に囁く。
「必ずやお聞かせ致しますのでそれはご勘弁いただきたい。その際には、皇太子殿下とエシュルバルド殿下も是非どうぞ」
「宜しいのですか?」
「ええ、是非」
「それは嬉しいですわ! 管絃宮では結局、聞き損ねてしまいましたもの」
「管絃宮といえば、殿下お聞きになりまして?」
ふとヴァルシィネの声が影をはらむ。
それには気付かずに、フェスタロ―ゼはうきうきとした気持ちのままに「何をですの?」と訊き返した。
「サティナ殿が実家より姿を消したそうですわ」
「え……?」
思いも寄らない不意打ちに言葉が続かない。
エシュルバルドの顔が強張り、和佐も厳しく眉をひそめた。
ニーザは露骨に顔を顰めて、「ヴァルシィネ殿。発言には気をつけていただきたいですわ」と強めの叱責を彼女に浴びせた。
「あら。殿下には伏せていらっしゃったのね。それは失礼致しました」
「……まったく」
「どういう事なの、ニーザ。サティナが実家から姿を消したって」
「折を見てお話するつもりはありましたのよ」
横目で、平然とお茶を飲むヴァルシィネを睨んでから、ニーザは肩を落とした。
「実は私達も詳しいことは知らされておりませんの。ただ、失踪して行く方知れずになっているため、殿下の周囲に気を配るようにとしか」
「そう……」
何が、というわけではないが嫌な感じがする。
一体、何故、何があって彼女は失踪したのか。
「でも果たしてサティナ殿のような方が逃げ出してどうするのかしら。市井で生きていける方ではないでしょう」
「そうでしょうね」と頷いた和佐に、同意して首を縦に振ったものの、不可解さが胸の内に広がって行く。
「サティナ殿を逃がすために手引きした者がいるのでしょうか」
エシュルバルドが不安そうに呟いた。
「彼女を? 何のために? ご本人はひとかどの人物のつもりだったでしょうけど、はっきり言って取るに足らない人物ですわ」
ヴァルシィネの見解は恐ろしい程に残酷だ。
残酷ではあるが、サティナに対する真っ当な評価である。
肥大化した自己顕示欲と、己の才覚に対する過大評価。これがサティナという人物を的確に表す言葉ではある。
「だからこそ、彼女に利用価値を見出した者がいるのやもしれません」
不穏当なことを無邪気に言ってのけた従弟を、フェスタローゼは驚きを以て見やった。彼は年不相応な鋭い事を言い出す時がある。
「あなた、怖いようなことを言うのね」
「そうですか? しかし直に見つかるのではないでしょうか。ヴァルシィネ殿のおっしゃった通り、市井で生きていける方ではないのは確実です」
エシュルバルドはそう言いはしたものの、それが場を取り繕うための希望的観測なのは火を見るより明らかだった。
まだ終わりじゃない。皇太子の地位を狙っている者達はまだ諦めてはいないのだ。
暗い影が差し込み始めた一座に、呑気な鐘の音が鳴り響く。
「あ、時間ですね。では参りましょうか、ヴァルシィネ殿」
「そうですわね」
和佐に続いて、さっと立ち上がったヴァルシィネだったが裾が椅子の脚に絡まり、ストンともう1回座り込んでしまった。
「あらあら、お待ちくださいな」
ハルツグが駆け寄って来て、膝をつく。脚に絡まった裾を解いてもらっている間に、ぽつりとヴァルシィネが呟いた。
「殿下。あの方、和佐殿下でお間違いありませんわよね?」
「え?」
質問の意図が分からず、離れた所でこちらを見ている彼とヴァルシィネとを見比べる。
「気のせいかしらね。前回お会いした時はもっと活発な方だったような気がして」
「そう……ですの?」
「取れましたわ、ヴァルシィネ殿」
「ありがとう」
ヴァルシィネはにっこりと艶やかに笑うと、勢いよく立ち上がった。
「さぁ、殿下! 今日こそは紫翠国の造船技術の肝をお伺い致しますわよ」
元気に声を張り上げて、スーシェの姉君は庭園を去って行った。
「正しく嵐のような方でしたね」
「ええ、本当に。スーシェとは似ても似つかない感じね」
エシュルバルドと目を合わせて笑い合う。
穏やかな親しさが溢れるこの場においても、フェスタローゼの胸のどこかに真っ黒い不安がぽつりと1点。消せない染みとなって居座るのであった。
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