第6話 早過ぎる姫君

 皇城ミラリスバンツの玉座の間。

 皇帝リスディファマスの傍らに立ったフェスタローゼは、新しく警務大務となったザインベルグ一等爵士と初めて対面した。


 臆することなく皇帝の前に立った彼は、居並ぶ大務達より明らかに若い。

 彼は今、やや目を伏せて、令侍の手によって自らの胸につけられている章を見つめている。

 官制八師におけるしきと地位を、紐の組み方、色、長さで表わす徽章。

 大務を表わす金糸が組み込まれた5色の徽章が、ザインベルグの胸で堂々とした存在感を放つ。


 新たな警務大務。

 アルフレッド=マシェインタ=ザインベルグは昂然と顔を上げて前を見据えた。

 彼の前に洋々とした未来が開けた瞬間である。


◆◇◆


「新しい警務大務はどんな方だったのですか、お姉様」

 エシュルバルドの問い掛けに、フェスタローゼはつまんでいた焼き菓子を一旦、皿に戻して首をかしげた。


 夏の名残が一日ごとに消えていくルフィナール9月初旬。

 太暁宮の庭でお茶を楽しむのは、お馴染みとなって久しい面子、フェスタローゼ、エシュルバルド、和佐の3人だ。


 しばらく考えた後にフェスタローゼが導き出した答えは、「若い方だったわ」という、何とも頼りないものであった。

「それだけですか」

 エシュルバルドが不満げに口を尖らす。

「ハルツグの言っていた通り、ちょっとない位にお美しい方だったわ」

「今の所、見た目しか出て来てませんよ」


 そう言われても、と弁解しながらもう一度、ザインベルグ一等爵士の印象を懸命に思い出してみる。


 5色の徽章を胸に、強い意志を宿した瞳が皇帝に向けられて、次いでフェスタローゼに注がれる。怜悧な眼差しに晒されるのが何となく怖くて、思わず目を伏せた。


「有能な方だとは思いますわ。ただちょっと雰囲気が怖くて」

「若いとおっしゃっていましたが、幾つ位の方なのですか」

「30代だとか」

「30代ですか。それは若い。相当に優秀な方なのでしょうね」

 目を丸くして和佐が言った。

「若いと言えば若いですわ。でも、もっと若くして就任した方もみえますのよ」

「皇内大務のスルンダール上級伯と太理大務のセラフォリア公爵が20代での就任とお聞きしたことがあります」

 指折り数えたエシュルバルドに優しく同意する。

「あのお二方はお父様の即位と共に就任されましたからね」

「スルンダール上級伯の能力なら20代であってもおかしくはないですね。もう御一方のセラフォリア公爵は生憎とお会いしたことがないのですが」

「セラフォリア公爵もとても有能な方ですわ」

「ええ!」

 勢い込んでエシュルバルドが身を乗り出した。

 急な力の入り用に、和佐が少し目を見張って直ぐに笑顔になる。

「完全な身内贔屓ですわ」と、一言添えると、彼の笑顔がますます広がった。


「セラフォリア公爵の御正室は、エシュルバルドの御父上の妹君ですのよ」

「でも皇帝陛下の妹君でもあるわけですからお姉様にとっても叔母上です」

「それはそうですけど、イリアス殿下とご生母が同じ妹君ですからね。異母兄の我が父よりは……」

 言葉が中途半端に途切れる。

 庭の片隅で複数の人間が入り混じる声が、わっと上がったからだ。


「何事でしょうか」

 和佐の後ろに控える砂霞はそう言って、さり気なく和佐の側近くに立った。

 わっと上がった異変の声が徐々に近付いて来る。

 その時、一際高くスーシェの声が響いた。

「姉上!本当に勘弁してください!」


 首を伸ばして見てみる。他の2人も首を巡らして声のした方を見ている。

 視線の先ではスーシェを含む5、6人の近衛騎士に取り囲まれて、1人の女性が立っていた。

 近衛騎士達は一応取り囲んではいるものの、どう扱ったものかと遠慮がちな態度で、囲んだ円も緩やかに乱れている。その中心でスーシェがずんずん進んで来ようとしている女性を必死に押しとどめていた。


「ですから駄目ですって!」

「だってこちらに見えるのでしょう?」

 スーシェの狼狽振りとは対照的な落ち着き払った声だ。

「だからそういう問題ではなくて」

「もう、ごちゃごちゃうるさいわね。……あら、よく見たらスーシェじゃない。えと、半年振り?」

「あぁ……」

 ハルツグとニーザから揃って嘆息が洩れる。

 ニーザは、「困った方ね」と大きく溜息をついてから、よし!と気合を入れて、もめている一団に向かって行った。


「何を騒いでいらっしゃいますの?殿下の御前ですよ。ヴァルシィネ殿」

「ヴァルシィネ殿?!」

 和佐がはっとして砂霞を見た。

「もうそんな時刻か?」

「いいえ。まだ一刻余りあるかと」

 訝しげに返して砂霞はニーザと対立するヴァルシィネを見やった。

 同じように和佐も2人を見やり、それからバツが悪そうにフェスタローゼに言った。

「申し訳ございません、殿下。私のせいかもしれません」

「何がですの?」

「実はこの後、打ち合わせが入っておりまして。それがあの」

 あの、と遠慮がちにヴァルシィネを示す。

「え? でもどうしてこちらに?」

 言い終わらない内にヴァルシィネの、あくまで落ち着き払った声が覆いかぶさって来た。

「こちらに紫翠国の和佐殿下がおみえでしょう?」

「……あぁ、やはり」

 和佐が困り顔で呟いた。


「和佐殿下はこちらにおみえですが、どうやってここに? 招待状を出した覚えはございませんわよ」

「招待状なんていただいた覚えは私もありませんわ」

 そして当然とばかりに胸を張って悪びれもせずに言い切った。


「もう打ち合わせが楽しみ過ぎて、いても立ってもいられなくて参上致しましたら、皇太子殿下の所とお聞き致しましたので、こちらへ参上致しましたのよ」

「姉上! いい加減にしてください。皇太子殿下の御前で何たる振る舞い。それでも皇内師大師卿ですか!!」

「ええ、そうよ」

「あのですね……!」

 なおも言いかけたスーシェに慌てて、「いいのよ、スーシェ」と声をかける。

 このままでは本格的に喧嘩に発展しそうである。


「ヴァルシィネ殿、宜しかったらあなたもご一緒にどうぞ」

「あら、宜しいのですか」

 ぱっと顔を輝かせて、ヴァルシィネはすぐに頷いた。

 遠慮してみせる、という過程は全く選択肢に入らないタイプらしい。

「ハルツグ、席を用意して差し上げて」

「承知致しました」


 苦り切った表情のニーザに、ここはこらえてと、首を振る。

 和佐と打ち合わせに来た相手を叩きだしたとあっては、彼の面子を潰してしまう。たとえ、傍若無尽を超える振る舞いの令嬢だとしてもだ。


「恩情に感謝申し上げます、皇太子殿下。スルンダール上級伯が嫡子、ヴァルシィネ=フォーティネイア=スルンダールと申します。我が弟がお世話になっております」

 裾をちょっとつまみ、雅に膝を折ったヴァルシィネをフェスタローゼは複雑な気持ちで見つめた。


 黒目がちの瞳は人をそらさない魅力に溢れた光できらめき、上品な深みのある紅を引いた唇は形よく、優美なカーブを描いている。

 美しい顔立ちなのはさることながら、全身から発するオーラと言ってもいい活発さが見る人を引き付ける。

 どこにいても目立つ、華やかさの権化のような人物。それがヴァルシィネ嬢だ。

 社交の場で度々見かける事はあったものの、直接関わりを持ったことはない。


「全く、姉上は行動にもう少し自覚を持ってください!」

「久し振りに会った姉にかける言葉がそれなの?」

「私だって久し振りに会った家族に小言なんて言いたくないですよ」

「じゃあ言わなきゃいいじゃない」

 しゃあしゃあと言ってのけた後、彼女は憤るスーシェをまじまじと見つめて、「あら、背伸びた?」

「会う度に成長しているような年齢ではありません!」


 2人のやり取りにこらえきれずにエシュルバルドが笑い出した。

「ごめんなさい、つい。スーシェ殿も姉君の前では弟に戻るのですね」

 

 スーシェが気不味そうにぐっと言葉に詰まる。

 一方のヴァルシィネはそんな彼をすげなくちっちっと手で追い払った。


「ほら、持ち場に戻りなさいな。近衛騎士殿」

「言われなくても戻ります。人騒がせな誰かのおかげでとんだ迷惑を被りましたよ」

「それは悪うございました」

「父上にきっちり大目玉を食らってくださいよ」

「そんなの」

 

 ヴァルシィネは勝気につん、と顎を突き出した。子供じみた動作がじゃじゃ馬振りを一気に押し出してくる。


「帰りに自ら出頭して食らって来るわ」

「……食らうんですね。そこはちゃんと」

 エシュルバルドが苦笑いで突っ込んだ。

 ヴァルシィネは当然、と涼しい顔で頷く。

「ちゃんと罰は受けますわ」

「悪い事とは思っているのですわね」


 あら、とヴァルシィネは目を見張り、はたとフェスタローゼを見つめた。

「自分のしていることの無法は充分承知しておりますわ。殿下は私にどんな印象をお持ちなのかしら」


  どんな印象をお持ち?と問われて咄嗟に返せる人間は少ない。

 それが悪い印象であるならなおのこと。正面切っての問い掛けに、フェスタローゼは言葉に窮して黙り込んだ。


「困らせてしまいましたわね」

 存外優しい声音で話しかけてヴァルシィネは微笑んだ。

「私の悪い癖ですわ。スーシェに怒られてしまう」

「……今日はどんな用事でしたの?」

 少なからずホッとして訊いてみる。

 ヴァルシィネの顔がぱっと明るく華やいだ。


「紫翠国の造船技術供与に関する取り決めを話し合う予定ですのよ!」

 楽しくてたまらない、という気持ちが溢れだす彼女とは反対に、フェスタローゼは小首を傾げた。


「造船技術の供与、ですの?」

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