第5話 学びのひととき (2)

「精道って真地に存在する全てに宿っているのよね。じゃあ何でわざわざ、“ 精道 ”植物って言い方をするの?」

 

 フェスタローゼの素朴な疑問に、「それはですね」と、答えたのはハルツグだ。

 彼女は令侍として優れているだけでなく、癒しに特化した精道法の一種、白緑はくろ法の優れた使い手でもある。


「通常の植物と違って、精道植物は精道に干渉することができるからです。それは他の精道率の高いもの、動物ならば霊獣、人間ならばエフィオン。全てに言えることです」

「精道鉱石なんかもありますわよね。ほら、シェハキム石とか精道銀とか」

「なるほどねぇ」

 フェスタローゼは筆記帳を手繰り寄せて、ハルツグの言葉をさらさらと書きつけた。


 そして筆の尻を顎先に当てつつ、自らの書いた文字を眺めながら、「精道って水脈みたいに真地を巡っているイメージがあるのだけど実際はどうなのかしら」

「おおむね合っておりますよ。精道を目にすることは稀ですが、一般的には真地全体を流れとして巡っていると言われてますわ」

「確か、聖都カチュアには精道が見える場所がありますわよね」

「ええ。ニーザ様がおっしゃっているのは精道溜まりですわね。目にすることの出来る精道としては一番規模の大きいものですわ」

「でも何で見えるの?やっぱり聖都だから?」

「聖都だから見えるというよりは、元々あの一帯は精道が寄り集まっている所なんです。アマワタル神が最初に顕現されたのもあの辺りということですから、古来よりカチュア付近は精道が集まっているが故に不安定なのでしょうね」

「つまり」


 こんがらがって来た頭の中を整理したくて眉を寄せて宙を睨む。

「聖都だから見えるのではなく、精道が複雑に入り組んでいて不安定な所だからアマワタル神が顕現されて、顕現されたがためにカチュアが聖都になったってこと?」

「そういうことです」

「カチュア付近は時々トレンタマイアが出没するって聞きますし。精道が複雑に絡まり合っている分、“ 淀み ”もできやすいのでしょうね」

 聖都とはいえ恐ろしいこと、と言い足してニーザはふうっと溜息をついた。

「淀みの化け物、トレンタマイア……ね」

 呟きながら茶碗を手に取る。口にした茶は大分、生温くなっていた。


「よく淀みは危険って言うじゃない? あれは一体何が危険なの? 窒息するとか?」

「窒息は致しませんけど」ちらりとハルツグは笑った。笑った拍子に、粒よく並んだ歯が少し覗く。綺麗な口元だ。

「人間の体で説明すれば、人の体には“ 因子 ”がございます。いわば、命の核ですわね。そして、精道には因子を正常に保つ作用があるとされています。しかし淀みに侵されると淀みが精道に取って代わり、因子が損傷して、その度合いがひどいと死に至ります。俗にいう“ 淀禍てんか ”ですわ」

「淀みに触れると因子が損傷してしまうのね? だから淀みは危ないのね」

 ハルツグは頷き、再び柔らかく微笑んだ。


「その点、皇族。つまりトゥエルリッタ家の方々には恩寵がございます。アマワタル神の血を継ぐため、トゥエルリッタ家の方は淀禍に強いと言われていますわ」

「それを生かしたのが皇薬ですのよ。淀禍の治療薬の最高級品で、功ある者に授けられる“ 皇家の恩寵 ”ですわね」

「あぁ、あれね」

 フェスタローゼは不快そうに顔をしかめた。

 何せ痛いから嫌なのだ。

 “ 皇薬 ”の仕上げにいるのは皇族の血液。せいぜい2,3滴ではあっても提供させられるこっちの身にもなって欲しい。


「淀みが危険な理由は分かったけど、そもそもどうして淀みって出来るのかしら?」

「まぁ、今日は知識欲が旺盛ですわね。結構なことですわ」とニーザが嬉しそうに声を上げた。

「だって色々知りたいもの」と答えながら一心不乱に筆を走らす。

「急がなくても大丈夫ですわよ」

 ハルツグはわずかに身を乗り出して、フェスタローゼが書き終えるのを見届けてから口を開いた。


「精道の淀みは川の流れを思い浮かべていただければ分かりやすいかと思います。川を見ると流れている所ばかりではなく、流れがなくて滞留している所がございますでしょう?精道の淀みも原理としては同じです」

「世が乱れて人心が荒れても淀みを引き起こすとも言われてますわ。ですから殿下は精道神アマワタルの末裔としても、淀神てんしんアマオトスを利することがなきように、世の太平を保ち、人心を安らかにしなくてはなりませんよ」

「……とんだオチが来たわ」

「さすがはニーザ様」


 取り替えましょうね、と言いながらハルツグは生温くなった茶を下げた。

 慣れた手つきで給仕をするハルツグの手元を見つつ、そういえばサティナは給仕も下手だったわ、と思い出す。


 実家に戻された彼女がどうなったかは分からない。素直に言えば、知りたくもない。しかしサティナが太暁宮からいなくなって、フェスタローゼの周囲がいい流れになっているのは確かだ。

 彼女が一枚噛んでいた騒動も結果としては1歩前へと進むきっかけになった。頼れる乳母のニーザも復帰して、いよいよ万全の体制になって来たのはフェスタローゼ自身も実感している。


 それに和佐様もいるし……。


 自然に湧き出て来た自分の言葉に急に恥ずかしくなり、フェスタローゼはハルツグが淹れ直したお茶を慌てて一口飲んだ。


「そんなに喉が渇いていらっしゃったの?」


 フェスタローゼの心の動きを見透かすように、人の悪い笑みになるニーザを恨めしく睨む。

 出来過ぎる乳母というのも本当に考え物だ。


「淀みといえば、私達のローディン教だと精道神アマワタルと淀神アマオトスという風に神性を分けているけど、ナッサンディア教では違うのよね」


 気恥ずかしさをごまかすために話を元に戻す。

 ハルツグは茶器を片づけていた手を止めて、頷いた。

「天雲教はアマワタル神とアマオトス神とは捉えてないですわね。陰陽、清濁併せ持った1柱の神、アラミタマとしてますわ」

「だから淀みを使った精道法があるのね」

「帝国では禁術ですけどね」にべもなく言って、ニーザは微かに不愉快そうな表情になる。

「この国において天雲教を信奉すること自体は禁忌ではありませんけど、天雲法の行使は重大な禁忌ですわ」


 そう言って彼女は懸念のこもった眼差しでフェスタローゼを見つめる。

 出来物だが心配性でもある乳母は、天雲教を奉ずる紫翠国の王子と親密になって来ている皇太子を不安に思っているのだ。

 王子が2度フェスタローゼを助けて、あまつさえその2回目で負傷までしたという経緯がなければ、近づけたくはない、と考えているのはフェスタローゼ自身も薄々察してはいる。


 和佐様はちゃんとその辺りの分別のある方だわ。

 

 ニーザは心配し過ぎなのよ、という言葉は呑み込み、「そうね。天雲法は淀みを根源とした精道法ですものね」と、素直に同意した。


「でもニーザ。和佐様達の前で天雲教なんて言っては駄目よ。それはローディン教側からつけた蔑称なのだから。正式名はタナム=ナッサンディア大いなるナッサンドラよ」

「心得ております」

「それならいいのよ」

「まぁ、おっしゃる様になりましたわね」

 ニーザが大袈裟に眉を上げて、やれやれと息をつく。ハルツグはしとやかに口元を手で押えて控えめに微笑んだ。


「私が不在の間に随分と頼もしくおなりで。喜ばしいこと」

 喜憂相半ばするといった顔つきで言ってから、ニーザは傍らに立つハルツグに目を向けた。


「精道のことはまたハルツグ殿にご教示願いましょう。分かりやすくて非常に良かったわ」

「いえ!そんな……!滅相もございません。御勘弁くださいまし。宮廷精道士団からちゃんとした方をお呼びした方が間違いございませんわ!」

「あら、そーお?」

 大慌てで手も首も振るハルツグに、ニーザは意味あり気に語尾を伸ばして小首をかしげる。

 きらきらと輝く双眸はまるで少女のようなあどけなさと残酷さを湛えている。


「とても適任だと思いますのに。下手な宮廷精道士よりもあなたの方がより深い知識をお持ちな感じがしますのに」

「いえ!あの、本当にご容赦くださいまし!」

「そぉ? では先生が決まるまでのつなぎでお願いできないかしら?」


 こう言われては頑なに固辞することもできまい。

 ハルツグは言葉に詰まり、しばらくしてから白旗を上げた。


「つなぎという事でしたら、お引き受け致します」

「ありがとう」

 子憎たらしい程に落ち着き払った様子でニーザは茶碗を手に取る。

 望む結果を引き出した彼女は正しく“ クリームを得た猫 ”だ。


「あぁ、美味しいわ」と、呟いてコトリと茶碗を置くと、優秀なる乳母殿は両手を勢いよく合わせて、にっこりと満開の笑顔になった。

「さぁ、殿下。これからは忙しくなりますわよ」

 嫌な予感しかしない。

「へ、へぇ……」と内心怯えつつ微笑んだ。

 自分でも唇の端が引きつっているのがよく分かる。

「学び直しですものね!歴史に地理に経済に……宗教も必要ですわね。後はやはり立花に香聞こうもんなども学び直して損はないですわ」


 指折り数えながらニーザは不気味なくらいに明け透けな笑顔を向けて来た。

「殿下!共に頑張りましょうね!」

「……はい」


 ハルツグに次いで白旗を上げたフェスタローゼにニーザの容赦ない叱咤が飛ぶ。

「声が小さいですわよ? 殿下」

「はい! 喜んで!」

「気持ちの良いお返事。結構ですわ」


 ニーザから目を逸らしてハルツグを見上げる。彼女は肩を竦めて、わずかに首を振った。到底、ニーザには逆らえない。


 逆らえない者同士の2人は目を合わせて、只、苦笑いするしかないのであった。

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