第4話 学びのひととき (1)
「さて!」と前置きしてニーザは背筋を伸ばした。
「ここまでは帝国における貴族制度を説明して参りましたが、一度おさらい致しましょうか。では質問致しますわよ。帝国におきましては貴族は2種類の位置づけがなされます。その2種類とは何ですか?」
問われて、筆記帳に目を落とす。
「えと……家門と爵位ですわ」
「では殿下。家門と爵位の違いは?」
「家門は出自によって分類されるもので固定化されている。爵位は皇帝陛下より賜るもので、功成れば上がることもある……ということかしら」
ニーザは大きく、うんうんと首を縦に振った。
「完璧ですわ。付け足すとしたら、家門は婚姻や養子縁組によってのみ変わることができるということですわね。次は家門の種類についてお訊き致しますわよ。家門の種類は全てで幾つありますか? また、最上位の家門とそれに属する方々は?」
「家門の種類は全部で5種類。最上位は
「正解です。では2番目と3番目は?」
「2番目は
そこまで言って、ニーザに目をやりふふっと笑う。
「つまりはニーザのお家よね?」
「当家は七氏族そのものというより、七氏族の1つに当たるヴァルンエスト家の傍流ですわ」
「ニーザのお父様がヴァルンエスト侯の弟君ですのよね?」
「ええ。子供の頃にタレイア伯爵家に養子に出されましたのよ。……話が逸れましたわね。じゃあ、残り2つ。4番目と5番目の家門はどうですか?」
「4番目は……
「大正解ですわ」
大らかに頷くニーザにほっとして、椅子の背に身を預けた。
そして、筆記帳をペラペラと繰りながら、「上位3家門までは家門名は1種類だけど、下位の2つ。
「ええ。下位2家門は数が多いですからね。語尾にアントがつくのが
「……頭がくらくらして来たわ」
ぺっと筆を無造作に投げて、両腕をだらりと体の両脇に垂らす。見かねたニーザがテーブルの上に身を乗り出してトントンと筆記帳をたたいた。
「ほら、殿下。まだまだ終わりじゃございませんわよ」
「えぇ――。疲れたわ……」
「殿下。ニーザ様」
ハルツグがカラカラとワゴンを押しながらやって来た。
ワゴンの上にあるのは大振りなポットを始めとした茶器一式と菓子器に行儀よく並んだ茶菓子だ。
「お茶をお淹れ致しましたので少し休憩なさっては?」
「そうですわね。では休憩致しましょうか」
そう言ってから、ニーザは溜息をついてちくりと付け足す。
「殿下の集中力も途切れているようですからね」
「……面目ないです」
「でもよく頑張っていらっしゃいますわ、殿下は」
ポットからコポコポと安らかな音が立つ。
爽やかな茶の香りがふんわりと辺りに広がり、鼻孔の奥をくすぐった。
「国について勉強し直すのは大変有意義なことだと私も思いますわ。知識を再確認していけば自ずと気持ちも前を向いて行くものですし」
「本当に。それは実感できるるわ」
ニーザの言葉に深く共感して噛み締める。
学んではいたものの、曖昧になっていたり、おざなりになっていたり。茫洋としていた知識を改めて1つ1つ手に取って見つめ直すのは、疲れるもののやり甲斐も手応えもある。
様々なことに委縮して、悶々とくすぶっていた頃よりも余程、充足した気分なのは自分自身でもはっきりと自覚できる。
「では、日々邁進していらっしゃる殿下にご褒美ですわ」
どうぞ、とハルツグが置いてくれた陶器の茶碗に満たされているのは薄桃色に澄んだ美しいお茶だった。
「あら、美味しい。爽やかだけど深みのあるいいお味ね」
毒見もかねて先に口にしていたニーザがほぅと茶碗を見つめている。
「あまり見かけないお茶ね」
不思議そうな面持ちでもう一口飲んだニーザにハルツグが答えた。
「精道植物のベニセムアから出来たお茶ですのよ。体内の精道に作用して疲労回復をより促進させる効能がありますの」
「あなたは変わった物を仕入れて来るわねぇ」
「内緒の伝手がございますのよ」
「あら。気になる言い方ですこと」
2人の掛け合いを聞き流しながらお茶を口にする。
微かな酸味が口中に広がり、後味も爽やかだ。確かに美味しい。
「何だか不思議」
薄桃色に揺れる表面を眺めつつ、呟いた。
「不思議、とおっしゃいますと?」
訊いて来たニーザに微笑みかけて、再び手元の茶碗に目を落とす。
「私でもこのお茶を飲むと疲れが取れた感覚があるのよ。精道法が使えないのにそういう感覚があるのっておかしくないかしら?」
「精道は万物に流れるエネルギーです。真地に存在しているもので精道のない物はございませんのよ」
「そうね」
一口飲む。
程よい温かみが喉を下り、胃に落ちて、体の隅々に渡って行く。
「私、自分の体内には精道が通っていないって考えがやっぱりどこかにあるわ。体内に精道がないから、繋がることが出来なくて精道法が使えないのじゃないかって」
「そんなこと決してありませんわ。殿下」
確信に満ちた声でニーザが言い切った。
その声にこもる強さと朗らかな調子につられて目を上げる。
ニーザの表情に現れているのは、あやそう、言いくるめようという意識ではない。彼女は自分の言ったことを自身でも信じている。そういう頼もしさがある表情だった。
「殿下は知能に問題があるわけでもなく、虚弱体質でもございません。発育に問題があったこともなく、乳母の私から見てもすくすくと健やかにお育ちです。殿下のおっしゃる通りに、体内に精道がないのならば、こんな順調に育つわけがありません。それに精道法が使えないなんて大したことじゃございませんわ。足が遅いとか泳ぐことができないとかいうことと同列のことであって、特殊なことではございませんのよ」
「そう……かしら」
「そうですとも」
自信たっぷりに首肯したニーザに心が解けかけるものの、でも、と反発を感じてフェスタローゼは口を尖らした。
「真実そう思っていたのなら、どうして今まで言ってくれなかったの」
甘い。
言ってしまった自分でさえも甘えん坊の繰り言と分かってしまう程に甘ったれた物言いだ。
しかしニーザはそこには触れずに、からからと気持ちの良い笑い声を上げる。
「事実を受け止めて、前を向こうという今だから申し上げましたのよ」
そしてふっくらと頬を緩めて、愛情のこもった眼差しでフェスタローゼを見つめた。
「周囲の雑音に惑わされてはなりません。私の姫様は一途な頑張り屋さんで、学習意欲の旺盛な素晴らしい御方です。精道法が使えないくらいで、その素晴らしさが欠けるなんてこと有り得ませんわ」
「でも。でも、私は精道神アマワタルの末裔の一員なのに」
「まだ、ぐちぐちと抵抗なさいますの?」
「ぐちぐちって」
「殿下。これ以上言い募っても勝ち目はないかと」
我慢しきれずに、ハルツグがくすくすと笑い始める。
精一杯の抵抗を示すために口を尖らしていたフェスタローゼだが、ついに根負けして、ぷ、と吹き出してしまった。
ひとしきり3人で和やかに笑いあった後、彼女は両手で抱え込んでいた茶碗を受け皿に置いた。
「でもね、私、自分がこんな風だから実は精道にとても興味があるの。精道法を行使することができなくても精道についてはちゃんと学んでいきたいわ」
「ええ、ええ! それはいいと思いますわ。精道を知ることはすなわち真地の理を知ることに通じますからね」
目を輝かせてニーザが同意する。
彼女はハルツグと目を合わせて、皇太子の確かな成長の喜びを分かち合い、心底嬉しそうに頷いた。
そんな2人の様子に
目を伏せた先。茶碗の受け皿に描かれている意匠化された
虹霞はフェスタローゼを表わす“
精道植物の1種である虹霞を一生に渡る象徴とされた皮肉さには、自分でも可笑しくなってしまう。
しかし今、浮かんだのは自分の運の悪さではない。
フェスタローゼはふと湧いた疑問を口にした。
「精道って真地に存在する全てに宿っているのよね。じゃあ何でわざわざ、“ 精道 ”植物って言い方をするの?」
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