第7話 狩りの時間 (2)
「うるさい、うるさい、うるさい、黙れぇぇっ!!」
サティナは語尾を激しく、長く絶叫した。
端正な顔を真っ赤に火照らせて、頭を両手で掻き毟り、正に狂乱だ。吐き気すら覚える凄まじい癇癪だ。
「私はっ! ただお父様のためだけに!! お父様をこの皇宮に戻して差し上げたくてっ! 陛下はあんまりだ。お父様は何も悪くないのに。悪くないのに、まるで物であるかのように臣下に投げ渡すなんて!!」
「つまりは」
ジョーディが足の重心を変えつつ、言葉を差し挟んだ。
「サティナ殿は父上を皇族に戻すから、という甘い蜜に吸い上げられたわけですね」
「それの一体、何が悪いの?! 私は不当に取り上げられたお父様の地位を取り戻したかっただけよ!」
“不当に地位を剥奪された”、“皇族を元に戻すべき”
あの日のレオナールの言葉とそっくり同じ。
20年前の苛烈な戴冠で皇族の地位を失った人々の子供が、揃いも揃って同じ言葉を吐く。
地位を失ったこと、そのこと自体に同情の余地はない、とフェスタローゼは心の中で断じる。きっとその当時は必要な処置だったのだ。
しかし、このように長く影を落とす様を立て続けに見てしまうと、手法に誤りはなかったのか、他のやり様があったのでは、と今更に思えてしまう。
「そのことの何がそんなに悪いのよ!!」
駄目押しで叫び、サティナは急にくるりとフェスタローゼを見た。
皇太子とそれに仕える令侍。そんな立場と関係性を全てかなぐり捨てた今の彼女は、ある種の“無敵の人”だ。
サティナは真っ直ぐにフェスタローゼを指差して、「だいたいお前は!!」と有り得ない暴言を口にした。
「お前はいつでも自分だけが不幸みたいな顔をして! お兄様が、お兄様がってバカの一つ覚えばっかり。ただ2番目だったというだけで皇太子になったお前なんかよりフェストーナ様の方が遥かに皇太子にふさわしい!!」
フェスタローゼは息を詰めて目を見開いた。
言われたことに理解が至らない。ぎゅうっと胸元を握り締める。
フェスタローゼが反撃できないとみるや、サティナはいよいよ勢い付いて、ふんっと憎々し気に鼻先でせせら笑った。そして、あからさまな侮蔑の表情を浮かべる。
「そもそも、栄光あるアマワタル神の血筋に生まれながら、精道法を全く使えないなんて欠陥品もいい所だわ。恥さらしよ、恥さらし! この国の皇帝となる者が初級の精道法すら扱えないなんて諸国のいい笑い者よ!」
「何……!」
エシュルバルドの顔色がさっと青ざめる。
反射的に彼が立ち上がろうとした時、ぱしん!と乾いた音が場に上がった。
ハルツグだ。サティナが打たれた頬を押えてよろける。
「お黙りなさい。サティナ殿」
静かな声だ。
静かなだけにたぎる怒りの際立つ声だ。
声音に潜む威厳と有無を言わさぬ強さを前に、さしものサティナも言い返すことができずに、無言でハルツグを睨み返す。
ハルツグはその視線を弾き返し、冷酷に言い渡した。
「自らの行いを正当なこととするのならば、同じことをもう一度、皇内大務に申し開きしなさいな」
頃合いと察したスーシェとラムダが進み出て来た。
ラムダは床にへたり込んだまま、事の成り行きを無為に眺めていたセルトの腕を引っ張って強引に立たせ、連れて行く。
セルトが目を伏せてそそくさと引き立てられて行く一方、サティナは腕を掴んだスーシェの手を振り払い、「無礼者!」と一喝した。
そして居並ぶ面々、取り分けフェスタローゼとエシュルバルドを長く睨み付けてから、傲然と顔を上げると胸を張って堂々と出て行った。
そこだけを切り取れば、
2人が連行されていき、室内に静けさが戻った。残念なことに平穏ではなく、気まずさ漂う静けさだ。
誰もが後味の悪い表情でまんじりともせずに、互いの出方を探っている。咳払いさえためらわれる空気の中で、一番最初に発言したのはハルツグだった。
ハルツグはエシュルバルドの前に立ち、頭を下げる。
「殿下。出過ぎた真似を致しました。平にご容赦を」
「いや、すまない。私の代わりに」
ハルツグは沈痛な面持ちで首を振る。
エシュルバルドはそんな彼女に頷いてみせてから、傍らに座るフェスタローゼに目をやった。
「お姉様」
フェスタローゼの細い肩がびくりと震えて、虚ろな瞳が彼に向けられる。
「私の方こそ出過ぎた真似を致しました。ごめんなさい」
「いえ、エシュルバルド殿下は悪くありません。殿下を巻き込んだのは私です」
「え?」
予想外の言葉にフェスタローゼは和佐を見た。
「私がエシュルバルド殿下に皇太子殿下をお救いするのにご助力いただきたい、とお願いしたのです」
フェスタローゼはしばらく和佐を見つめた後、隣に座るエシュルバルドに目を向けた。彼女の視線を受けて、エシュルバルドが一途に頷く。
「2人とも分かっていたの?」
語尾が震えた。盛り上がって来た涙に視界がぼやける。
「全てが嘘だと?」
こぼれた涙が一筋ゆるゆると頬を伝って行く。
エシュルバルドは辛そうに目を伏せて、「……残念ながら」とだけ答えた。
瞬きをすると更にはらはらと涙がこぼれ落ちる。
慌てて左手の甲で拭うも、溢れ出した涙はもう止まらない。
苦い後悔と甘い自分への憤りが胸の中で燃え立つ。
その話を聞かされた時、役に立てると思った。セルトを援助して無事に令嬢を取り戻せたら、至らない自分でも兄の様に胸を張って皇太子の責務を果たせる。そう思った。
しかし現実は違った。
無駄に過ぎて行く時間に、かさむ費用。
自分の中に芽生える不審感から目を背けて、次こそは明日こそはと焦燥感に駆られる日々が続くだけだった。そして今日のこの結末。
何と情けないことか。
愚かで浅はかな欠陥品。
どこまで行っても自分は所詮、皇帝の器なんぞにはなれない人間なのだ。
「皇太子殿下」
和佐がつと立ち上がった。
彼は袂を優美に払い、皇太子の前に膝をつく。
フェスタローゼが涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、和佐は優しく目を細めて口元を柔らかく綻ばせる。
「焦燥は時に目を曇らせて惑わせます。今回はそこに付け込まれたのです」
「……ごめんなさい」
「責めているのではありません」
和佐はゆったりと首を振った。
彼の動作に連れて、栗色の髪がはらりはらりと揺れる。
「それ程に殿下はご自分の責務に真摯にあろうとしたのでしょう。そのこと自体はいささかも間違っておりません。ただ殿下はお一人で抱え込み過ぎてしまった。そこがいけなかったと私は思います」
和佐の口調には諭すと言うよりも寄り添って来る温かさがある。フェスタローゼはいつしか彼の言葉に引き込まれていた。
「殿下にはいつでも心砕いて寄り添って下さるエシュルバルド殿下やハルツグ殿がいらっしゃいます。もっと周りの方々を巻き込んで事に当たればいいのです。頼ればいいのですよ」
「お姉様」
エシュルバルドがフェスタローゼの手にそっと自らの手を重ねた。彼の手の温かさが肌を通してじんわりと染み込んでくる。
「お姉様。1人で抱え込まないで、少しは私にも分けて下さい。未熟者ではありますがお話を聞くことはいつでもできます」
言葉にならず、しゃくり上げながら大きく上下にうんうんと頭を大きく振る。
和佐は手を伸ばし、すっと涙を拭ってくれた。
「兄君と同じ皇太子にならずとも良いのです。兄君に優れた点があったようにフェスタローゼ様にはフェスタローゼ様の良い点があります。周囲の方々と手を取り合って、殿下なりの皇太子となれば良いのです」
「……はい」
フェスタローゼはごしごしと手荒に涙を拭ってから和佐に目を向け、ぎこちないながらもようやく微笑んだ。
「相棒殿。君の主はかけがえのない御方だな。聞いている私までが胸いっぱいになってしまったよ」
「相棒?」
ハンカチで涙を拭いつつ、ジョーディと“相棒”と呼びかけられた砂霞とを見比べた。この2人はいつの間にそんな関係性になっていたのか。まるで接点がなさそうだが。
「ジョーディ殿と砂霞殿とが2人で事のあらましを調べてくれたのですよ だから相棒らしいです」
「砂霞殿は実に素晴らしい相棒でしたよ。あの熱演ぶりは皆様にもご覧いただきたかった」
「……あぁ」
エシュルバルドが1人くすくすと笑い始める。その様子に砂霞が目を剥いてジョーディの方へと詰め寄った。
「……ジョーディ殿、まさか!!」
「殿下、困りますよ。御内密にと申し上げましたのに」
「ごめんなさい。我慢できませんでした」
エシュルバルドは可愛らしくペロリと舌先を出した。
「何でしょう、砂霞の熱演とは。私も気になります」
「私も」
砂霞の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。
冷静沈着を絵に描いたような普段の彼女からは考えられない狼狽ぶりだ。素の彼女というのは存外、かわいらしい女性なのかもしれない。
「何ですか、皆様。意地の悪い。からかい過ぎはいけませんわよ」
「いやぁ、少参丈殿に叱られてはこれ以上詳しく申せませんが。この度の成果は砂霞殿の熱演による所が大きい、とだけ」
「ジョーディ殿!」
「大概になさいませ、ジョーディ殿」
ハルツグは柔らかくも、ぴしりと彼をたしなめて一同を笑顔で見渡した。
「皆様、お疲れでしょう。お茶の用意がございますわ」
「それはいい。是非いただきましょう! お手伝い致しましょうか?」
「ジョーディ殿に手伝っていただく程、耄碌しておりませんわ。大人しく座っていて下さいな」
「これはまた手厳しい」
ひょうきんに肩を竦めたジョーディの仕草に笑みがこぼれる。
気まぐれにうっすらと目尻に滲み出た涙を拭っていると、和佐と目が合った。
彼は陽だまりのような笑みを灯して頷く。
フェスタローゼはきっぱりと涙を拭って、和佐に晴れやかな笑顔を返した。
◆◇◆
厳しい暑さが続く盛夏を迎えても神域の礼拝所は心地の良い涼しさだ。
8月の月次祭は皇太子フェスタローゼの祝詞を終えて、光の精道法を起動するいつもの手順に差し掛かっていた。
フェスタローゼが横に退いたのを合図に、フェストーナが得意気につんと澄ました顔でいつものように1歩踏み出す。
「フェストーナ」
「ええ」
微笑んで更に進み出ようとする彼女に皇帝は短く言い渡す。
「下がれ、フェストーナ」
「……え?」
予想外の一言にフェストーナの口がポカンと開く。
皇帝は次女の驚愕を余所に、ラハルトの隣に立つエシュルバルドに声を掛けた。
「エシュルバルド。これからはお前がやるように」
「はい!」
元気よく返事をしたエシュルバルドが進み出て来る。
フェスタローゼの隣に立って精道銀の杖を受け取った彼の姿に、フェストーナが猛然と抗議し始める。
「お待ちください、お父様! 何故、皇女たる私を差し置いてエシュルバルド殿が……! 皇太子たるお姉様を補助するのは私の役目ですのに。納得できませんわ!!」
ぶるぶると口元を震わせて怒るフェストーナに皇帝の厳しい一瞥が向けられた。眼差しに含まれた冷たい怒りに、フェストーナの顔がサッと青ざめる。
「わきまえよ、フェストーナ」
有無を言わせぬ強い調子が礼拝堂に響き渡る。
「与えた責務に応えなかったのはお前だ。フェスタローゼの補助にはエシュルバルドこそがふさわしい」
そう言い渡すと皇帝はきっぱりと前を向き、惨めに立ち尽くすフェストーナには見向きもしなかった。
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