第6話 狩りの時間 (1)
断固とした決意をみなぎらせる王子の視線を受けて、セルトは魅入られたように動かない。サティナは肩をいからせている。
エシュルバルドの言う事など意地でも突っぱねてやるという気持ちが、彼女の唇をへの字の形に歪めていた。
声変わり前の高く澄んだ声がぴしりと空間を打つ。
「結論から申せば、あなた方が主張する霊種の融通を受け入れる事はできません」
「何故それを……!」
「2人してあんな大声で言い合っていてはねぇ。君たちの声は丸聞こえだったよ」
そう言ってジョーディはくすりと笑う。
一方のエシュルバルドは厳しい表情のままで先を続ける。
「
「しかしこれは……! 人一人の命がかかってますのよ?! エシュルバルド殿下は囚われた哀れな少女の命など、どうでも良いと……!」
わめきかけたサティナの言葉を静かに押し潰して、エシュルバルドはじろりと彼女を鋭く見やる。
「では問いますが、その哀れな少女を助けるためにあなた方は一体どんな手を打っていたというのですか? お姉様に金の無心をし続ける以外に何かしていたとでも?」
「やっておりましたわ! 彼女の身柄を押えている者とずっと交渉してましたのよ!」
「それはいつ、どこで、どんな手段を使ってですか」
反論し続けるサティナとは対照的に、セルトは目の前の喧騒からは一歩引いて悠然と構えている。
自分の行っていることは何もやましいことはない、と示したくて平静を装っているのだろうが、時折きょろきょろと動く目が内心の焦りを何物よりも雄弁に白状してしまっていた。
「そもそもがですね」
緊迫した場にそぐわない、のんびりとした風情で話し出したのはジョーディだ。
「そこの御婦人はどういった権利があって皇太子殿下の前に、ででんと座っているのか」
彼は意味あり気に言葉を切った。
そして人差し指を軽く口元に当てて、にやりと含み笑いする。
「ねぇ?アンナ=スルズ嬢」
効果は
セルトは目に見えて狼狽し、思わず「お前……!」と淑女らしからぬ単語を口走って、腰を浮かしかけた。
「いやぁ、逃げないでよ。ちゃんと思い出すので答え合わせしようじゃないか。えーと? ミカエラ、ローザ、マノン、フレア。どう? あなたのお名前は沢山あって覚えるのが大変だったよ」
「くそっ!!」
悪態をつくが早く、セルトはさっと立ち上がって庭へと続く大窓に一直線に突進していった。
正しく、“自由への扉”に身を躍らせた彼女だが、大窓の向こうで待っていたのは自由ではなく、ひらひらと手を振るアンリエットの笑顔だった。
「あらやだ、お帰りはこちらからではないですよ」
微笑むアンリエットに、セルトはへなへなとその場にへたり込んでしまう。
「おイタが過ぎたね。皇太子殿下の優しさに付け込んでの資金引き出しとは。流石に今までのおイタとは規模が違い過ぎるのじゃないかな」
「おイタ? あの、アウルドゥルク殿。これはどういう?」
どんどんと展開していく状況についていけなくて、フェスタローゼはジョーディを見、次いで蒼白になって立ち尽くすサティナに問い掛けた。
「サティナ、どういう事なの?」
「私は何も……」
問われたサティナは文字通り、弾かれるように腕を振り上げて大窓の前に座り込んでいるセルトを指差した。
「私も騙されていたのですっ! 全てはあの下郎が!!」
「あんた、何言ってんのさ!」
負けじとセルトも声を張り上げる。
「あんただって1枚噛んでいるじゃないか! 今更自分だけ助かろうなんて!」
「何ですって?!」
「おやめなさい。殿下方の御前でみっともない」
ハルツグがふぅ、と息をついた。
「あなたには何かあるとは思っていましたけどね、サティナ殿」
「ま、初めからサティナ殿は何某かの目的を持って皇太子殿下の令侍になったってことですね。何せ大参丈に袖の下を通してまで入り込んで来たんだから」
その場の視線がサティナに集まる。
彼女はたじろいで2、3歩後ろによろけた。
「いえ、あの……」
目線が当てどなく宙を彷徨う。
ぺろりと舌先で唇を濡らし、サティナは必死に言い訳を探している。
どう言えば切り抜けられるのか、逃げ切ることができるのか。ありもしない逃げ道をみっともなく探している。
「さて、サティナ殿。それとアンナ殿とやら。皇太子殿下を貶めんとしたことに対する貴殿らの申し開きは?」
王子の厳しい視線を受けて、セルトは座り込んだままちょっとだけ肩を竦めた。
犯罪一筋に生きて来ただけに状況判断も早い。これはいわゆる“詰んだ”状況だと理解し、観念しているのだ。
だが、一方のサティナは残念ながら、引き際も正念場もとにかく力押しで強引に突破することだけを学んで生きて来た人だ。
サティナは顔を伏せて、「私、私……」とうめくように呟いた後、突如として暴発した。
「私は悪くない! 何も、何も悪くないっ!!」
甲高く振り切れた大絶叫が部屋の中にこだました。
「絶っ対に悪くない!!」
サティナはその場で激しく地団駄を踏んで、「どうして私が責められるの?!」と声を限りに叫んだ。
「うーわ。すっごい逆ギレ」
素直に心情を吐露したラムダを、スーシェが「おい、やめろ」とたしなめている。
確かにこの状況下では不用意な一言が、どんな惨事をもたらすか分かったものではない。
髪を振り乱し、肩で息をしながらサティナはラムダを睨み付け、そしてエシュルバルドを正面から見据えた。
自分の望んでも手に入らない物を持っている人間は、不正な手段で手にしたに違いないと歪めて捉えるのが彼女だ。その認識はエシュルバルドに投げつけた彼女の言葉にもよく表れていた
「お前の父親は皇帝に取り入ったおかげで東都代宰。随分とご立派なことね。我が父もレオナール殿の父上も不当に地位を追われたのに」
地を這う低い声に肌がぞわりと粟立つ。
フェスタローゼは無意識の内に両腕で自分自身を抱きしめた。一方のエシュルバルドはぐっと顎を引いて、サティナと対峙している。
皇族から零れ落ちたがために、皇族にとどまる者をひたすらに妬み続けている
「そもそも陛下のなさり様は惨すぎる!息子の量刑をその父に決めさせるなんて。何て残酷で無慈悲な!陛下は我らのことをどこまで踏みつけにする気か!!」
「サティナ殿は考え違いをしておられる」
エシュルバルドが冷静に反論した。
背筋を伸ばして決然と胸を張る様からは、サティナの繰り出す恨み言の全てを跳ね返してやる、という強い気概が汲み取れる。
「あなたの父上が皇族から出されたのにはれっきとした理由があります。陛下の実母たる先の皇后陛下が大逆のそしりを受けた時に、叛意ありとする証言書に花印を押した人々の中にあなたの父上は入っております。あの証言書がでたらめばかりの捏造された物だったのはサティナ殿も御存知でしょう」
「そんなものは我が父を追い出すための詭弁だわ! お父様は常々、嵌められた、陥れられたと私におっしゃっていましたもの!」
目に見えるようだ。
サティナの父が娘に切々と訴える。
父は不当に皇族から追い出された、と。
父が犯したとされる罪は皇帝の言いがかりだ、と。
些末なことをあげつらって、皇帝は弟たる自分を貴族に下賜した。
何て嘆かわしい、何て口惜しいことか、なぁサティナよ……!
父の繰り言が見えざる毒となって娘を蝕み、その性格を歪めて、こんな愚かしい策略に加担させたのだ。
サティナの父の20年間は結局皇帝への逆恨みで浪費され、娘の人生を捻じ曲げる結果しか生まなかった。その事の方が余程嘆かわしい。
「サティナ殿の父上がどうおっしゃろうと勝手ですが。世間的には先の皇后陛下に対して行われた
はっきりと言い切って、エシュルバルドはそれに、と続ける。
「レオナール殿の量刑を父上たるオルドス様に決めさせたのは大逆罪をレオナール殿だけで止めるための処置です。大逆罪は犯した本人だけでなく、その一族も殲滅するのが基本です。しかし、皇帝陛下はオルドス様とその家族を殲滅することを良し、とはされなかった。かと言って、何の御咎めもなくハイランジア家を赦す訳にもいかない。それで取られたのが、父に息子の量刑を決めさせるという分かりやすい罰だったのです。それは確かに惨いことです。でも、惨い事だからこそハイランジア家そのものを救うことができる免罪符となるのです。サティナ殿はそのあたりのことはどうお考えなのですか」
エシュルバルドの理路整然とした反論にサティナは一瞬たじろぎ、鼻白んだ顔つきになった。
そのまま怯むかと思ったが、彼女が取ったのは真っ当な反撃ではなく、単なる感情の爆発だった。
「うるさい、うるさい、うるさい、黙れぇぇっ!!」
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