第5話 淀んだ志
本日も玉都の空はまばゆく晴れ上がり、朝から暑い。
時は
陰鬱な雨季がようやく終わりを告げて、季節は夏へと移っている。
サティナの先導で太暁宮の一角へとやって来たセルトの額にも、汗の滴が点々と浮かんでいた。
彼女は上品な手付きで汗を拭い、ハンカチで軽く顔をあおぐ。
「こちらのお部屋は涼しいですわね。生き返る心地ですわ」
「ええ。
「日綿……あぁ、精道植物の。さすが皇宮ともなると調度品の素材も違いますのね」
セルトはにこやかに言ったが、言葉尻にじわりと嫌な空気がまとわりつく。
フェスタローゼは困惑する胸の内を押し隠して、彼女の斜め向かいにおずおずと腰を降ろした。
そこにサティナがよく冷えたお茶を持って来る。
セルト、そしてフェスタローゼの前にお茶を置くと、彼女は取り澄ました表情でセルトの後ろへと立った。その立ち位置からしてサティナが一体どちらの味方なのかは一目瞭然だ。
さて、と前置きしてセルトはまなじりを柔和そうに綻ばせる。
「皇太子殿下。いよいよ大詰めに参りましたわ」
「え? ええ……」
フェスタローゼは言葉を濁して、テーブルのお茶へと視線を下げた。涼やかに汗をかいたガラスの器の中で濃い琥珀色のお茶がきらめいている。
このやり取りはいつまで続くのか。
セルトと関わるようになってから常にわだかまっている不安が今日もムクリと身を起こす。
初めの内は役に立てているという嬉しさで言われるがままに資金提供していた。
だが、いつまで経っても令嬢救出の一報は来ず、ただ資金と時間ばかりが流れて行く。
繰り返される手形発行に最近では太暁府の中からも、フェスタローゼの行状を不安視する声が上がって来ている。秘密の援助は精神的にも状況的にも限界が来ている。
「それで? 今日はいか程ですの」
憂鬱そうに面をふせたまま問い掛けたフェスタローゼに返って来たのは意外過ぎる返事だった。
「いいえ、もう資金提供は結構ですの」
「え?!」
驚いて顔を上げる。
目を合わせたセルトは微笑んで、しっかりと頷いた。
「今度こそ、大詰めですのよ。ようやくあの子を取り戻せます」
「本当に?」
「ええ。これも殿下の援助あってのことですわ。誠にありがとうございました」
「そう、やっと……」
安心して体から力が抜ける。
くたりとソファーに背を預けた彼女にセルトが「ただ困ったことに」と膝を詰める。
「相手との交渉に入ったのはいいのですが、相手があの子の質に霊種を求めて来ていますの」
「霊種を……?」
霊種とは東都シェハシーラにある大霊木“原初の木”から取れる実のことだ。
“原初の木”は癒しの神ヨシアキの化身とされる古代樹で、その実である霊種は非常に癒しの効果が高い。霊種そのものと霊種を使った薬は東都の名産品として、高値で取引されている。
そして東都は玉都アディリス=エレーナを含めた5つの天領地の中で唯一の皇太子領だ。そのため、霊種の管理も皇太子の責務の1つに入っている。
「まぁ、霊種なら好都合ではありませんか。殿下!」とサティナが両手を合わせてはしゃいだ声を上げた。
「霊種ならば殿下の裁量で如何様にもなりますからね」
「それは頼もしい!」
「ちょっとお待ちなさいな!」
2人だけでワッと盛り上がるのを慌ててたしなめて、フェスタローゼは首を振った。
「確かに霊種は東都の特産品だけど、私の一存で動かせる物ではないのよ」
「あら、何をおっしゃっていますの。殿下は東都の領主なんですから多少の融通は利きますでしょう?」
「サティナ、霊種の流通はそんな単純な話ではないのよ」
「では殿下は!」
セルトがテーブル越しに身を乗り出して下から覗きこんで来る。見開いた三白眼でフェスタローゼを見据えて彼女はドスのきいた声を張り上げる。
「あの子が死んでもいいとでも?!」
それだけは。それだけは絶対に駄目だ。
この1ヶ月間不安に耐えながらセルトの要求に応え続けたのはひとえに、不幸にも悪党に留め置かれている令嬢を救うためなのだ。
分かったわ。
そう言おうとした。
しかし唇が「わ」と発音しかけた所で、コンコンとノックの音がした。
単調で平和的な音に思わず言葉を呑み込んで扉を見る。
「どうぞ」と言う前に、「失礼致します」と朗らかな声がしてカチャリと扉が開いた。
扉を開けたのはハルツグだった。
戸口に立つ彼女を見た途端に、サティナの刺々しい非難の声が上がる。
「少参丈殿! セルト様がいらっしゃっている間は入室禁止と申し渡してありますのに! お忘れですの?!」
仮にも上司に当たる人物に投げかけるには余りに剣呑。余りに居丈高な物言いだった。聞いているこちらが嫌な心地になってくる。
当のハルツグは目くじらを立てることもなく「あらそう?」と軽く受け流した。
まるで相手にしていない様子だ。
「お邪魔致して申し訳ございません、殿下。ですがエシュルバルド殿下が取次願いたいとおいでですので」
「エシュルバルドが?」
「もう待ちきれなくて来てますけどね!」
高らかな声が一筋。
日の射す勢いで部屋の中に切りこんで来た。
「あらまぁ、殿下。お待ちいただかないと困りますわ」
口では諌めつつもハルツグが大きく扉を開けて、エシュルバルドが入りやすいように一歩引き下がる。
颯爽と踏みこんで来た従弟の後ろから何故だか砂霞を伴った和佐が入って来て、次いで随分と洒落込んだ青年貴族が1人。そしてラムダとスーシェまでもが入って来た。
バタンとハルツグが扉を閉めて、ラムダとスーシェの2人が退路を断つかのように扉前に陣取る。
一気になだれ込んで来たこの大所帯にセルトは腰を浮かし、サティナは金切り声で叫んだ。
「何ですの、あなた方は?! 失礼ではありませんか!」
「ご機嫌ようサティナ殿。王子の私がお姉様に会いに来ることの何が失礼なのでしょう?」
「さ、先にお客様がいらっしゃっている所にずかずかと!」
「おや、そうでしたか。それは失礼致しました」
悪びれた風もなくさらりと返して、エシュルバルドはちゃっかりフェスタローゼの左隣に座った。
和佐はフェスタローゼとエシュルバルドの座る二人掛けソファの脇、テーブルの奥の方にある椅子に腰かける。その後ろには砂霞が寄り添って立つ。
「あの、どうして和佐様が?」
戸惑いつつ訊くも、返ってきたエシュルバルドの答えもまた、この状況を解明するものではなかった。
「私は未成年の若輩者ですので、保護者のお2人について来ていただきました」
「保護者?」
事の成り行きが全く呑み込めなくて、エシュルバルドと和佐とを交互に見る。
そこに件の青年貴族が進み出て来て、片膝を優美について頭を垂れた。
「お初にお目にかかります、皇太子殿下。御前に立つ許しをいただきたく」
「……許す」
差し出した左手を彼はスマートに拝した。
「私はジョーディ=トソリアント=アウルドゥルクと申します。地統大務を拝命しておりますアウルドゥルク侯爵の第2子にございます」
「アウルドゥルク侯の?」
ますますもって分からない人選だ。
訳の分からなさにくらくらするフェスタローゼに彼は今一度、頭を垂れた。
「以後お見知りおきを」
「挨拶はもういいですか、ジョーディ殿」
ジョーディは立ち上がると、恭しく右手を胸に当ててエシュルバルドに一礼した。完璧な身振りではあるが、少々気障っぽさが鼻につく。
彼はエシュルバルドの傍らに立ち、両手を腰の後ろで組んで品よく背筋を伸ばした。そんな彼を見届けてエシュルバルドが正面に顔を向ける。
朗らかだった横顔が引き締まり、漂っていた少年らしさが内側へと畳み込まれていく。そこにあるのはあどけない少年の横顔ではない。
責任を両肩に担い、事に当たろうとする一人の男性の横顔だ。
エシュルバルドは真っ青になっているセルトと棒立ちのサティナを順番に眺めた。
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