第3話 優男の矜持 (1)
デーン伯爵邸の図書室は“室”と言う言葉に収まりきらない、広大な空間であった。見上げる天井は高く、3階建て相当の高さがある壁一面に所狭しと書物が並ぶ様は壮観を通り越して驚嘆すら感じて来る。
「えぇ、まぁね? 皆様はよく我が家のこのささやかな図書室を玉都一だとかなんとか褒めていただけるのですけどね、えぇ。でもそんな大袈裟のものではございませんのよ。本当に。ただ先祖代々こつこつと本の収集を続けて来ただけですの」
砂霞は延々と喋りまくるデーン伯爵夫人の口元を手妻でも見ているような気分で見つめた。しかも語る内容も、上辺だけの謙遜と伏せた自慢とを取り混ぜた実に賑やかなものだ。
「実に素晴らしい! 連綿と受け継がれてきたデーン家の美徳の賜物がこの荘厳な景色を生んでいる訳ですね?」
デーン伯爵夫人が息をついた瞬間を突いてジョーディがすかさず言葉をはさんだ。砂霞もここぞとばかりに片言の帝国語で割り込む。
「ワガ、あ……るジ? 帝国ノショモツ、非常二キョウミアリマス。この書コ? 見に来タイ、ゼヒ」
「そうだねぇ、この見事な書物群は是非とも殿下にもご覧になっていただきたいね。そこの所はどうでしょうか、デーン伯爵夫人?」
「それはもちろん。喜んで」
「ソウ言エバ、ワタシ聞キマシタ。このアイダの、ジガイ?した役人ガ、コチラの読ショ……会? よく来てたトカ!」
帝国語を流暢に話すことができる砂霞に、ジョーディはあえて片言で話した方がいいと提案した。その方が相手が油断するからというのが、彼の言い分だった。
そんな馬鹿みたいなこと、と初めこそ抵抗があったが5日目ともなるとむしろ楽しくなってきている自分がいたりする。
何しろ片言で話す外国人というだけで、面白いくらいに相手は気を抜いてくれる。どうせ分かるまいと高を括って、ぽろぽろと情報を落としていくのだ。
現にデーン伯爵夫人も砂霞の喋り方に軽く目を見張りはしたものの、その失礼な発言内容を咎めはせずに、気不味そうに目を伏せた。
「えぇ、まぁ。
夫人は一旦そこで言葉を切ると、ぽっちゃりとした指を頬に添えてしばし考え込んだ。ややあってから、ふぅと憂慮の溜息と共にぽつりと心情を洩らす。
「こんな事を申し上げるのは良くないとは分かっているのですけど……未だにあの方があんな大それた計画に関わっていたなんて信じられなくて。物静かで穏やかな方でしたわ。いつもご令嬢と一緒に見えて、仲睦まじそうにしてらしたのに」
「それはつまり何か裏があると?」
「え?」
急に流暢になった砂霞に夫人がぽかんと口を開ける。
その瞬間、ジョーディが「おぉー! これはエウリケが手掛けたという有名な稀覯本ではないですか。やはりお持ちでしたか!」と歓声を上げた。
「あら流石、お目が高い」
夫人の意識が砂霞から逸れる。
小さく舌を出した彼女をジョーディが横目で睨んだ。
「ですが……エウリケにご興味がおありで?」
「いえ、私ではなくこちらの御婦人が。エウリケの描く繊細な心理描写と情緒溢れる表現にどっぷりとはまっておいでなのですよ」
「あら、まぁ! 外国人の方でもエウリケの良さは伝わりますのね!」
「……エト、えぇ! エウリケ、とても、スバラシイ!! ヨンデいて、コンナニ、ココロ震えたノハジメテ。とてもとても、ダイスキ」
「まぁぁ!!」
感極まった夫人が突如として砂霞の両手を握りしめる。
「あなた、『庭師と侯爵』はお読みになりまして?!」
「……ハイ。……は?」
「エウリケの最高傑作と言えばこの作品ですわ。男性同士の道ならぬ恋、いえ2人の間には性別なんて関係ありませんのよ! 身分差さえも乗り越えて結ばれる逞しい肉体の美しい描写! 正に芸術ですわ!!」
夫人に手を握られたままの砂霞が傍らのジョーディに目だけで訴えるも、当のジョーディは人の悪い笑みで肩を竦めた。なおかつ、「もっと行け」と目線で指示を出して来る。
「アノ、アノ、ないしのつかさのオヤコガ、サイゴに来たハいつ?」
立て板に水とばかりに続いていたエウリケ賛美がぱたり、と止む。
「いつだったかしらねぇ」と首を傾げる夫人にはもう、身構えた雰囲気はない。
あの時はみえたかしら?、あの時は?と散々呟いてから、夫人は自信なさ気に
「多分……2ヶ月程前が最後かしらねぇ。毎月必ず見えていたのにどうなさったのかしらって思った覚えが」
「そう……デスカ」
「でもどうしてあなたがそんな事を?」
そう訊き返した夫人の言葉を打ち消すように、ジョーディがすかさず、
「ねぇ、君! 殿下をお待たせしているんじゃないのかい? 同好の士を見つけて嬉しい気持ちは分かるがそろそろお暇しないと」
「あら、まぁ! それは大変ですわ」
「さぁ、行こうか。砂霞殿」
慣れた仕草でジョーディが手を差し伸べる。砂霞は柔らかそうなその手の平に思いっきり爪を立てた。
貴公子然とした完璧な微笑みが一瞬歪むのに少しだけ溜飲を下げつつ、砂霞は夫人に向かって、紫翠式の礼をする。
「デーン伯爵夫人。ホンジツはアリガとうゴザマシタ」
拙く挨拶した彼女にデーン伯爵夫人は真実申し訳なさそうに礼を返してくれる。
「和佐殿下にも是非お越しくださいとお伝えくださいませね。私はそれまでにエウリケの傑作を何冊か見繕っておきますわ」
「ホントウですか?! 楽しみガフエマシタ!」
最後のやけっぱちとばかりに全開で喜んでみせた砂霞に、デーン伯爵夫人はきらきらとした眼差しで応えた。
「君、やってくれたね!痛いじゃないか」
馬車に乗るなりジョーディがめり込んだ爪痕を見せて来た。砂霞は紅を引いた鮮やかな唇をにぃっと横に広げる。
「ワタシ、失レイ?シタか?」
「まったく。淑女なのは外見だけだね」
「なりはこの有様でも当方は武官故。元より淑女ではありません」
“この有様”と両手を広げてみせる。
紫翠国名産、南水染めの大振りな花柄が全体にあしらわれた見事な逸品が馬車の中で咲き誇る。
「いやぁ、見事なものじゃないか。衣装は」
「全く! 貴殿の余計な茶々のせいで男色好きにされてしまったではないか!」
「エウリケは……しっかりとした文学作品だよ。文章表現も実に素晴らしい。まぁ、女性読者が多いのも確かだが。これを機に読んでみてはどうかね」
砂霞は不機嫌にフン、と鼻を鳴らして窓の外に目をやった。
雨季の終わりを迎えた街に、盛夏の陽射しが容赦なくぎらぎらと降り注ぐ。
紫翠国の夏に比べて帝国の夏はかなり蒸し暑い。空気にたっぷりと含まれた湿気のせいで実際の気温よりも高く感じる。
この暑さは堪えるな。
心中ごちて、着物の襟首から風を少し送り込んだ時、馬車が何もない路肩に止まった。
ジョーディが自ら馬車の扉を開けて「待たせたようだね、すまないな。まぁ、乗りたまえよ」と声を掛ける。
彼に呼び入れられて乗り込んで来たのは、恐ろしく整った顔立ちの長身の男だった。
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