3章 引き戻す手

第1話 その手が届く内に

 エシュルバルド王子が紫翠国の風習に興味津々だと聞いてから10日余り。

 会見はエシュルバルドが和佐の元へ出向く形で実行された。


「実に興味深い!」

 何度目かになる感嘆の声を上げて、エシュルバルドが目を輝かせる。

 何度目かになってもなお新鮮な響きを失わない言い方に、和佐の方も自然に笑顔になってしまう。

「砂霞殿の名前で言うと、こうが家族名でうつが階位。えっと、芳苑ほうえんが?」

「砂霞の父の名になります」

「では香内芳苑こうのうつほうえん砂霞で、内の位にある香家の芳苑の子、砂霞となるのですね。とても勉強になります!」

「いえ、あの……」

 思わず身を乗り出す王子に砂霞がだじろぐ。

「おや、さすがの剣の達人も真正面には弱いらしいね」

「もう!からかわないで下さい、殿下!」

「殿下は2人いるけど?」

「和佐殿下の方です!」

 はは、と明け透けにエシュルバルドが笑う。少年らしい伸びやかな笑顔につられて口元がほころんだ。


 彼は非常にやる気に溢れた生徒だ。

 何に対しても身を乗り出して真剣に聞き、的を得た質問を次々として来る。持参した筆記帳はあっという間に彼の細々とした文字で真っ黒となっていった。

 知識欲の高い、全身これ好奇心の塊といった風情の王子はまた、恐ろしく魅力的な人物でもあった。

 常に笑んでいるような茶目っ気のあふれた瞳は、表情豊かに彼の感情を映し出し、こちらの気を逸らさない。話す声は朗らかで、楽しげに語りかけて来る。すぐに相手の懐に飛び込めるその魅力は末恐ろしいというよりも、成長が楽しみだと思えた。


「この父の名は子供全てにつくものなのですか?」

「いえ、それは基本的に男子のみにつくものですが、香内家は跡を継ぐ男子がいないので、今は砂霞がその名を継いでおります」

 “男子がいない”という言葉が、ちくりと心の柔らかい部分に刺さる。出来れば、砂霞の前では口にしたくない事実だ。


「そういえば紫翠国は男系で継いでいくきまりでしたね」

「ええ。帝国は男女別なく長子相続ですよね」

「そう……ですね」

 今までの明快さが一転、歯切れ悪くエシュルバルドは呟いた。それが気になって彼を見る。エシュルバルドは少し沈んだ目をして、自らの筆記帳を眺めていた。今日書いた成果を目で追っているわけではないのは、瞳の動きを見れば明らかだ。


「家を継ぐということは大変なものですね」

“家”とは言っているが、エシュルバルドの胸中に浮かぶ面影が誰であるのか、手に取るように分かる。

「正しく一族の命運を担うわけですからね。その点、私なんぞは3番目なので気楽なものです」

「でもこうして使節団を率いていらっしゃる。立派なことです」

「余り役に立てていない気もしますが」

「そんなこと!」

 急に声のトーンが跳ね上がった。

 本人としても意図したより大きい声だったらしく、エシュルバルドは驚いた顔で、すいません、と小さく謝った。そして労りのこもった眼差しで熱心に言い添える。


「和佐殿下はお姉様を救って下さいました! 役に立っていないなんて絶対にありません」

「殿下は皇太子殿下が本当にお好きなのですね」

 エシュルバルドは言葉を切って、再び手元の筆記帳に目を落とした。

「確かに私は、お姉様を慕っております」


 真摯に向けられた言葉の先を、和佐が深い頷きで促す。


「人はお姉様を、お亡くなりになったリスデシャイル様と比べてあれこれ言います。リスデシャイル様が優秀な方だったのは事実です。あんな事さえなければ立派な君主となられたことでしょう。でも、私はリスデシャイル様の優秀さは万人受けする分かりやすい優秀さでもあると思うのです」

「……ほぉ」

「その点、お姉様は引っ込み思案で中々前に出ていけない性格です。そういう面で言えば、社交的なフェストーナ殿下の方がどうしても目立ちます」

 苦々しさを込めて呟いた彼の口元が、優しく解ける。


「でもお姉様は素晴らしい特質をいくつもお持ちです。地道な努力家でもありますし、何よりも思いやり深い、お優しい方です。それなのに玉都の方々は……!」

 エシュルバルドは膝に乗せていた筆記帳をバンッと机に置いた。

「精道法が使えないという1点のみでお姉様を無能呼ばわりします。聞くだけで腹の立つ!“欠陥品”などと……!」

 頬をうっすらと紅く染めて、フェスタローゼのために本気で憤る彼の様子を見定める。この王子ならばと、和佐の腹は決まった。


「時に殿下、これは少々申し上げにくいことなのですが」

「はい、何でしょう!」


 エシュルバルドは怪訝な顔をしつつも、両手を膝に揃えて礼儀正しく待っている。


「最近の皇太子殿下のご様子を、殿下はどのように感じておられますでしょうか」

 喋りながら、じっとエシュルバルドに注視する。

 エシュルバルドの口が「あ」の形で止まり、やがて真一文字に引き結ばれる。

 彼はおよそ年齢に釣り合わない難しい表情でしばらく考え込んでいた。


「私も憂慮しております」

 ややあって、エシュルバルドはのろのろと頷いた。

「半月程前は、何やら熱に浮かされたような……危うい張り切り様でしたが」

「……今はそわそわと終始、落ち着かない様子でいらっしゃる」


 エシュルバルドの言葉を引き継いだ和佐に、彼の瞳がわずかに見開かれる。エシュルバルドは肩を落として、ゆっくりと同意した。

「和佐殿下もお気づきでしたか。お姉様のご様子も、もちろん心配なのですがあの噂も私は気になっております。太暁府の資金が大量に流失しているという」

「単なる噂……なのですが。確かめようもない」

 そこまで言って、和佐はエシュルバルドを見つめた。彼の視線にエシュルバルドは弱々しく首を振る。


「詳細は私では。ただ、その噂を初めて聞いた折にお姉様にそれとなく確かめてはみました」

「殿下はなんと?」

「……笑っておみえでした。とんでもない噂ね、と。でもきっぱりと否定はなさいませんでした」

「なるほど」

 静まり返った室内に窓枠の鳴る音が響く。

 エシュルバルドは窓の方を振り返り、「降りだしましたね」と誰に言うともなく呟いた。


「由無いことを申しました。ご容赦ください」

 

 雨が窓を斜めに横切って行く様を眺めている内に、波立った胸の内が凪いで来たのだろう。同時に甦って来た冷静さが、他国の王子に皇族の内情を喋ってしまったことの危うさを思い至らせたらしい。

 この話題はここまでだと、和佐に顔を向けた彼は愛嬌ある笑みに包まれていた。


 だが、和佐にとってはそれで十分だった。


「私の方こそ出過ぎたことを。どうぞお忘れください。……そういえば、エシュルバルド殿下は月琴にも興味をお持ちだとか」


 雰囲気を変えるべく水を向けると、彼はたちまちに目を輝かせて勢いよく身を乗り出して来た。

「ええ!何やら丸っこい楽器だとか」

「それならば丁度良い。適任がおります。この砂霞は我が宮廷でも屈指の名手でして。彼女のつま弾く音色は必ずや殿下にもご満足いただけるものかと」

「そうなのですね! あ、ではもしや今からでも……?」

 期待に胸を弾ませる少年皇族に、和佐は残念そうに肩を竦める。

「ですが、生憎と月琴を元いた館の方に置き忘れておりまして」

「そうですか。こちらにはないのですね。是非とも聞いてみたかったので、残念です」

「ではこういうのはいかがでしょうか。後日改めて、砂霞が殿下の元にうかがいその音色をご披露賜るというのでは」

「よろしいのですか?!」

 エシュルバルドがぴょこん、と形容したくなる動作で背筋を伸ばす。

「ええ、もちろん」

「それはありがたいです!」

 喜色満面に溢れる彼に頷いてみせて、和佐は砂霞を振り仰いだ。

「いいね?砂霞」

 砂霞は深く頭を下げて主君への恭順を表わした。

「仰せのままに」


 もう一刻程、驚いたり感心したりと楽しげに過ごして、エシュルバルド王子は帰って行った。

 実に快活な王子であった。そして頼り甲斐のありそうな人物でもある。

 年齢の低さに多少の不安を感じないわけでもないが、あの聡明さならば問題ないだろう。

 

 そう黙考しながら卓の上の書物をまとめようと手に取ろうとして、不意に力が抜けて目元がくらんだ。咄嗟に手をついて身体を支えるも、自身の身体が内側から何か別のものに侵食されいるかのような違和感が否めない。


「……またか。これで何度目になるのか」

「殿下!?」


 咄嗟に砂霞が駆け寄るも和佐はそれを押し留め、床に落ちた書物を拾い上げる。


「すまない。片づけようとしたら手から力が抜けて」

「この間もそのようなことをおっしゃっていましたね。一度、白緑士に診ていただきますか?」

「そんな大袈裟なもんじゃないよ」

「そうですか? 余りに続くようなら診ていただきますよ」

「分かった」

「時に殿下」

 素直に笑んだ和佐に頷きかけて砂霞はつと声を潜めた。


「月琴は常に手元に置いてございますが」

「そうだね」

「ならば、何故あのような嘘を」

「どうして……かな」


 吐息を洩らすごとくに呟いて、和佐は暗くなりかけた窓の外に目をやる。

 降りだした雨は陰惨な暗さと共に窓を打つ。さあっと雨の走る音に降りこめられて、世界は沈黙の中にある。

 窓にぼんやりと写る自らと砂霞を眺めつつ、和佐は思案していた。

 

 自分はひとときの滞在者である。それは重々承知している。

 しかし、それでも。


 脳裏にガルベーラの花籠を愛おしそうに眺めていたフェスタローゼの姿が甦る。

 奇しくもリスデシャイルと和佐は同い年である。

 生まれた国も立場も違う。生前の様子など一切知らない。

 ただ分かるのは、存命であったならば妹をむざむざ見捨てたりはしない人物であったろうということだけだ。

 

 和佐は目を上げて、かけがえのない唯一人の協力者を見つめた。

「ねぇ、砂霞。1つ頼まれてくれないか」

 



※用語が分からない方、確認したい方は下のリンクから用語解説に行けます。

https://kakuyomu.jp/works/16817330649949704724/episodes/16817330658007556572

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