第8話 暴挙の後始末

 静まり返った執務室内にページを繰る乾いた音が一斉に広がった。

 報告書を読み上げるラハルトの声は淀みなく、淡々と事実を積み重ねて行く。


 レオナールによる皇太子襲撃事件から約1ヶ月。

 今日は捜査結果を皇帝に報告する日だ。

 

 ラハルトの報告を聞きながら、フェスタローゼは椅子の上で落ち着きなく身じろぎをした。


 大務達の集う席は何度出席しても慣れない。

 一国を担う彼らの発する威圧感を前に、場違いな者がうっかり紛れ込んでしまったという感覚が未だに抜けきらない。

 

 フェスタローゼは他に聞こえないように、密かに息をついて改めて報告書に注視した。

 不思議なもので、こうして文字化された事件を眺めていると、自分が実際に体験したこととは別な事件を追っている気分になる。


――これが客観視ということ? でもちょっと違う気もする。

 

 フェスタローゼにとって事件は、土埃にまみれた惨めな姿で深くうなだれていたレオナールの姿に集約される。

 

 そこに至る経緯。そこから導き出される結果。

 それらを聞かされても、あの日のレオナールの姿と1本の線で繋がる気がしない。

 しかしこの感覚はあくまでフェスタローゼ個人の感覚であって、他者と共有できる類のものではない。戯言も程々に、だ。

 意識をラハルトに戻した時には報告は最終ページに達していた。

 

 本日の彼の立場は“宮廷精道士団長”ではなく“朱玉府長官”の方である。

 レオナールの指摘通り現在の皇族は極端に少なく、成人皇族も限られているため、こうして役職を兼任するしかないのだ。


「以上です」

 

 皇族最年長の王子は右手を腰に添えて正面に座る皇帝へ視線を向けた。皇帝リスディファマスは難しい表情をして報告書を繰っている。

 中々口を開かない皇帝に代わって発言したのは、皇内大務・スルンダール上級伯爵。スーシェの父だ。


「結論としてはレオナール殿の独断ということですね? 他に協力者がいたわけではないと」

 冷徹な強さを宿した両の目がラハルトに向けられる。何事にも動じず、何物にも左右されない鋼鉄の眼差しだ。


「方々に声をかけてはいたようだが、誘いに乗った者はおらん」

「そうでしょうな。こんな杜撰な計画」

 警務大務・メサーユンデール侯爵が報告書をピンと指で弾きながら言った。

「こんな計画に乗る奇特な者などいないでしょう。はっきり言ってザルで水を汲む方が容易い代物ですよ」

 

 メサーユンデール侯のざっくばらんな言葉に、ヴァルンエスト侯が、うむ、と一言、同意した。


「それでもレオナール殿としては狼煙を上げれば援軍が馳せ参じる、と考えた、という所でしょうか」

 

 平坦な調子で言ったのは司法を司る、太理大務のセラフォリア公爵。彼は貴族然とした優美な仕草で、自らの肩に付いた埃をふわりと払った。


「愚かな事だ」

 重々しく、すっぱりと皇帝が一刀両断する。

「でも、やはり……」

 口を開きかけた途端に、場の視線がフェスタローゼに集中した。


 こんなに一斉に見られては出る物も出ない。

 フェスタローゼは言いかけの言葉を呑み込んで、顔を伏せた。

「いえ、あの……何でもありません」

 やっぱり大務達は何となく怖い。

 日頃、慣れ親しんでいるはずのヴァルンエスト侯やラハルトでさえも、今日のこの場においては纏っている雰囲気がいつもと違っていて、近寄り難い。


「陛下。ハイランジア家についてはいかがなさいますか」

 スルンダール上級伯の問いに、皇帝は「そうだな」と呟いて、腕を組んだ。

「大逆罪は一族殲滅が基本だ」

 

 父の口から出た不穏な言葉にどきりとして、思わず伏せていた顔をあげて父の横顔を盗み見する。

 そこにあるのは、いつもの見知った父の横顔だ。

 今は思案に暮れて険しい表情とはなっているが、家族に向ける眼差しはいつでも温かく、情愛に満ちている。

 そんな人となりを知っているだけに家族としての“父”が、即位と同時に大規模な粛清を断行した“皇帝”であるという事実が今でも結び付かない。

 

 “苛烈な戴冠”で知られる大粛清は、40数人はいた現皇帝の兄弟達のほとんどを一掃した。半数が処刑もしくは配流。残り半分は臣下への下賜や外国に嫁がされた。出家を強制された者もいる。

 

 レオナールの父・オルドスのように臣下に下り、家を興すことが許されたのはわずか4人。レオナールは、父の処遇に不満爆発だったがそれでもまだ好待遇ではあったのだ。粛清は先帝の正妃、夫人、果ては貴族にまで及び、最終的には帝国史上においても3本の指に入る大粛清となって、幕を閉じた。

 

 全てはフェスタローゼの生まれる前のこと。知ってはいるが、体感のないことだ。

 もちろんフェスタローゼとて、人間、特に大人には表と裏の使い分けがあること位分かっている。

 それにしてもやはり、父と“苛烈な戴冠”は中々イコールとはならない。

 イコールとはならない分だけ、今、傍らにいる父そのものが得体の知れない闇を抱えた不気味な存在に思えてくる。


「一族殲滅が基本とは言ってもなぁ」

 改めて口にして、皇帝は中空を睨んだ。

「オルドスの長年に渡る忠誠を無下にすることもできん。臣下に下ってからも、あれは実によく働いてくれている」

「惜しむらくは父の才覚や心根を息子が継がなかったことだな」

 ラハルトはそう言って、太く息を吐いた。

「そこはきっと……レオナール殿の付き合うお仲間もあったのではないでしょうか」

「確かに、皇太子殿下のおっしゃる通り、そういう一面はあるやもしれませんな」

 

 フェスタローゼはヴァルンエスト侯に向けて頷いた。老騎士はソファに腰掛けていても美しく背筋が伸びている。ヴァルンエスト侯の背後に直立不動で控えているアンリエットにも目を向けると、彼女は微笑んで優しく頷き返してきた。

 大丈夫ですよ、と励まされた気がして心の内がほろりと軽くなる。


「皮肉なもので、オルドス様の才覚でハイランジア家が発展していった故に、つまらぬ連中も寄って来た、ということでしょうな」

 メサーユンデール侯の言葉を継いで、セラフォリア公が静かに言い添えた。

「寄って来たつまらぬ連中に、本来ならば……と持ち上げられてすっかりその気になった、と」

「失礼ながら申し上げれば」

 

 アンリエットが挙手する。皇帝はチラと彼女を見て、わずかに首を縦に振った。

「もし仮にオルドス様に叛意があって、レオナール殿がその意を汲んで事を起こしたのならば、あの場で言わなかったはずがないと考えます。何しろレオナール殿は自分の行いの正当性を疑っていたとは思えないので。正当な行いと信じ込んでいたのは間違いないです」

「返す返すも愚かしい」

「全く以て」

 痛ましげに首を振るメサーユンデール侯にヴァルンエスト侯が同意した。

「陛下」

 凛とした響きが、しんみりしかけた空気にぴしりと鞭打つ。

 その場の視線が発言者のスルンダール上級伯へと吸い寄せられた。


「ハイランジア家の命運は彼等自身に決めさせれば良いかと」

「というと?」

「レオナール殿の量刑を実父であるオルドス様に決めていただきましょう」

 つまり、と前置きして皇帝は机の傍らに立つ寵臣を見上げた。

「死刑を求めるならばハイランジア家は無罪放免。刑を軽減して来るようならば一族殲滅で、ということか」

 皇帝の言葉にスルンダール上級伯は厳かに頷く。


「でも、そんな」

 反射的に声を上げたフェスタローゼにスルンダール上級伯が、さっと鋭い一瞥を飛ばして来た。

 有無を言わさぬ気迫に言葉が続かない。

 フェスタローゼはきゅっと唇を噛んで、黙り込んだ。


「それでいいのではないかね」

 咳払いしてラハルトが言った。

 皇帝は、ふぅむと唸ったきり考え込んでしまう。

 スルンダール上級伯に集まっていた視線がそのまま、考え込む皇帝へと注がれる。

 父は一体、どんな決断を下すのか。

 “苛烈な戴冠”のような身内の断罪がまた起きるのか。

 

 ひりひりと時が過ぎて行く。

 皇帝はたっぷりと考え込んでから、ふ、と肩の力を抜いた。

「分かった。一度はチャンスを与えよう。長年に渡るオルドスの忠誠と奉仕への私からの温情だ」

 スルンダール上級伯が右手を胸に添えて深く一礼する。

「皇帝陛下の温情に感謝申し上げます」

「オルドスへの書状は私が届けよう」

 名乗りを上げたラハルトに皇帝は頷いた。

「レオナールとその家人以外の叛徒共の裁判は太理師で良いな?」

 皇帝の念押しにセラフォリア公は、「御意」と短く答える。

「皆の者、今日はご苦労であった。以上だ」

「は」

 大務達が一斉に頭を深く垂れる。

 かくして、ハイランジア家の未来は彼等自身に託すことが決定された。


 散会後。

 三々五々に大務達が出て行く中、フェスタローゼは報告書を手でこねくり回しながら、悲壮な覚悟を持って父の脇に立った。

 怒られるだけなのは重々承知の上だ。

 でも、言わずにはおれない。

 娘の気配を察した父が目をあげる。

 フェスタローゼは早鐘のごとく鼓動を打つ胸を抑えながら、父に話しかけた。

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