第7話 高嶺に咲く(3)

 シャルロットの先導で玄関へと向かう間、彼女は軽妙に話を繰り出すユベールに、気さくに応じてくれた。

 控えめながらも良く笑い、適切に合いの手を返してくるシャルロットを見ていると、謀反人・レオナールの見る目のなさが否が応でも浮かび上がって来る。


 この姫ならば実に立派な公爵夫人になったであろうに、レオナールもつくづく馬鹿なことをしでかしたものである。


「本日はありがとうございました」

「こちらこそ。ご足労いただきましてありがとうございました」

 失礼致します、と言い置いてユベールが先に出て行く。

 ザインベルグもそれに続いて出て行こうとした時、シャルロットが「あの」と小さく声を上げた。


「何でしょうか」

 振り返った彼をシャルロットは不躾にじっと見つめて来る。育ちに合わない行動に戸惑って、ザインベルグはもう一度問い返した。


「どうかされましたか」

 彼女は、はっと目を見開いて恥ずかしそうに顔を伏せる。

「あの……変な事を言うと思われるかもしれませんが」

 シャルロットは言いにくそうに、しばらくもじもじとしていた。

 やがて決心がついたらしく、思い切った風に顔を上げる。


「以前にどこかでお会いしたような気がして」

「それは星見の宴以前に、という事ですか?」

「ええ」

 話の核心が分からず、思わず口をつぐんでしまう。

 だが彼を見上げるシャルロットの目つきは真剣そのもので、この質問が彼女にとっては大事なものである事を示していた。


「そのような事はないかと思いますが」

「そう……ですか」

 

 シャルロットは気持ち肩を落としたが、すぐに明るい笑顔になった。

「お引止めして申し訳ございません。本日はありがとうございました」

 

 遅れて馬車に乗り込むと、ユベールは人の悪い笑顔で迎えて来た。

「美男子は得だねぇ」

「馬鹿だな。そんなんじゃないさ」

「じゃあ何だったのさ」

「前にどこかで会わなかったか訊かれただけだよ」

「会った事あるのか? 星見の宴より前に?」

「まさか。世界が違い過ぎるよ」

 

 かたや帝国に名立たる名家の令嬢。対するこちらは領地すら持たぬ一介の官僚貴族だ。 同じ“貴族”で一括りにされても、その差は歴然としている。

 

 窓枠に頬杖をつく。

 ガクンと大きく揺れてから、馬車はそろそろと動き出した。

 警務師を出て来る時に、恨めしい気持ちで眺めた決済を待つ書類の束がふと頭をよぎる。

 帰る頃にはどのくらいに増殖しているか。

 それを考えると急に疲れが湧いて来て、ザインベルグは眉間を軽くつまんだ。


「それにしても」

「ん?」

 眉間から指を離してユベールを見る。

 彼もザインベルグと同じ事が浮かんでいるのか、眉間をつまんでいる。

「あのご令嬢も酷なものだな。かわいらしい方なのに」

「何が」

「いやぁ、1人目が死別で2人目がまさかの大逆人とは、さすがにねぇ」

「以前に婚約してみえたのか」

「それこそ、お家同士の決めた生まれた頃からの許嫁ってやつだよ。でも相手が病死されてなぁ。今回の婚約は方々を駆けずり回って、根回しして、やっと整ったものだったのにな」

「詳しいなお前」

 軽い驚きを交えて言うと、彼は肩をすくめた。

「デジレの受け売りさ」

「なるほど」

「あれだけの名家の娘でも、こうも立て続けに婚約者に不幸があっては3人目は難しいかもな」

「じゃあ、部屋住まいか教院に入るしかって事か?」

 “教院”という単語に法主の横顔が浮かんだ。


「それか令侍として皇宮に上がるって手もあるけど、アウルドゥルク家ではどうだろう。皇族周辺はスルンダール上級伯が固めているから」

「アウルドゥルク侯は先の東妃の従兄だろう?それでは、陛下がお許しにはならないだろうな」

「まぁな」とユベールは頷いて、こめかみをカリカリと掻いた。

 

 こめかみの辺りに一筋、白い物が混じっている。

 気をつけて見てみると、ユベールの髪のあちらこちらに白髪が混じって来ていた。

 

 出会った頃の意気揚々とした若者の心のままで共に過ごしてきたが、体は着実に年齢を刻んで来ている。

 “官制八師なんざ、ぶちかましてやるぜぇ!!”と酔って拳を突き上げていた男も今や、3人の娘に囲まれてまなじりを下げている良き父だ。時は過ぎゆくものだ。

 

 珍しく感傷的な気分に浸って窓の外を見ていると、爪先で脛を小突かれた。

「おい聞いてんのか、アルフレッド」

「ん? 何?」

「何だよ、聞いてなかったのか。だからさ、混濁帝の治世で官僚をやる羽目にならなくて良かったなって話だよ」

「そもそも遍登へんとも止まっていたからな」

 遍登とは3年に一度、平民に向けて行われるもので、合格した者には、官僚養成所の高門たかどへ入学する権利が与えられる。

 ユベールは平民出身のため、この試験を受けて登用されているのだ。


「そう、それな!」

 彼はぱんっと勢いよく手を打って、ザインベルグを指差した。

「俺みたいな平民はまずもってチャンスすらなかったって事だよ。その点お前はいいよな。元々貴族なんだから」

「名ばかりのね」

「名ばかりでもあるとないとじゃ、全然違うって!」

「そうかもしれん」

「かもじゃなくて、そう、だ!」

 

 しつこく念押しして、ユベールは馬車の座席にふんぞり返ったが、直に真面目な面持ちになって、腕を組んだ。


「今の陛下についてとやかく言う声があるけどな、俺は父君の混濁帝からしたら相当な出来物だと思うぞ。それに先の東妃に牛耳られて、どこを向いても敵だらけって中でよくぞ、皇太子の地位を守りきったと思う。そこは素直にすごいと感じている」

「払った代償も大きかったろ」

「あぁ……母君ね」

 彼は顔をしかめて、馬車の天井を仰いだ。

「あ、そういえば」 

 話がよく飛ぶ男だ。

「今度は何」

「シャルロット様が“悪質なの”に絡まれていたのって、1人でいたからか?それとも連れが“悪質”だったのか?」

「後者」

 簡潔に答えて、ちょいちょいとユベールを呼び寄せる。

 身を乗り出して来た彼に声を抑えて名を告げた。


「ファルスフィールド法主だよ」

「あー、はいはいはい」

 ユベールは細かく何度も頷きながら身を起こした。

「あら、悪質だわ」

「だろ?」

「つまりはそういう事か」

 ユベールは鋭くザインベルグを見やった。

「だと思うぞ」と頷き返す。

「何だよ、あの坊ちゃん。見かけ以上に陰湿だな。婚約者を差し出したか」

「法主に婚約者をあてがって、渡りをつけたんだろうな」

「とんだクソ野郎だな」

 吐き捨てた怒りの半分が、警務師としてではなく、娘を持つ父としての怒りなのは、問わずとも良く分かる。

「手勢は家人に集めさせたかって当たりをつけていたが、法主と渡りをつけてたとなると、あっちのルートか」

「ま、どうせ大元とはつながってはないだろ」

「狡猾そのものだからな。あれで聖職者のトップとは畏れ入る」

 はっきりと言ってから、ユベールはペロッとわざとらしく舌を出した。

「おや失言」

「全くだ」

 

 ユベールとザインベルグの視線が合う。

 2人は同時に吹き出した。

 気のおけない者同士の気楽な笑い声が気持ちよく馬車の中に広がった。

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