第6話 高嶺に咲く(2)

「まず、お名前とお年をお願い致します」

「はい」

 神妙に頷いて令嬢は、はっきりとした声で告げる。

「シャルロット=トソリアント=アウルドゥルク 20歳です」

「レオナール=ホトゥレリア=ハイランジアの婚約者、ということで宜しいですね?」

「ええ」

 答える令嬢の横では、アウルドゥルク侯が不愉快そうに眉をしかめている。


「今回の件で事前に察知していたことはありますか」

「いいえ、全く。まさかあんな恐ろしいことをなさるとは」

「婚約者と言ってもね、頻繁に行き来があったわけではない。手紙こそ寄越しはしたもののそれ以外は全くの放置だよ」

 口を挟んで来たアウルドゥルク侯にユベールは如才なく答えた。


「あぁ、まぁそういう御方だったんですね。では実際に会ったのは数える程といった感じですか?」

「はい。婚約前に立花の会でご一緒した時と、この間の星見の宴と。2回程お会いしただけで。どういう御方だったのかは、正直な所良く知りませんの」

「2回だけではほとんど分かりませんよね。手紙は保管しておられるでしょうか」

「そうおっしゃられるかと思いまして」

 

 シャルロットは膝に乗せた手の下に持っていた包みを開き、手紙の束をユベールに差し出した。


「いただいた手紙をまとめておきました」

「これはありがたいです。お預かりしても?」

「ええ。構いませんわ」

「返却は不要だよ」

「承知致しました」


 ユベールからザインベルグに渡された手紙の束を、シャルロットが心配そうに瞳を曇らして見送る。当然、父君が事前に目を通して問題ないと判断しているだろうが、それとは関係なく不安に思ってしまうのだろう。

 彼女の気持ちをユベールも敏感に察して、わざとらしいくらいに明るい調子で言い添えた。


「お立場上、こうして聴取におうかがいしておりますが、あくまで形式上のことなので」

 ユベールとしては、言外に“だから大丈夫だよ”と伝えたのだが、反応したのは令嬢ではなくその父の方だった。


「致し方あるまい。なにせ大逆罪だからな」

 最後の一言を憎々しげに吐き捨てて、アウルドゥルク侯は続けた。

「当家はハイランジア家と婚姻関係を結ぼうとはしていたが、此度の暴挙は我々の全く与り知らぬことだ。あんな愚かしい腹積もりがある御仁とは思いもしなかった。いい迷惑だよ」

「心中お察し致します」


 確かに侯爵にしてみれば、皇帝の実弟が当主を務める家と縁付けるまたとない機会がふいになった上に、大逆罪とあっては本当にたまったものではないだろう。恨み言の1つや2つ言いたくなるのも当然だ。


「後は……そうですね。星見の宴の際、レオナール殿が誰かと接触していたなど、お気づきになった点はございますか」

「ああ、あの……」

 シャルロットは困惑の体で口ごもった。

 レオナールと一緒ではなく、あんな目に遭っていたのだ。本人の口から言いにくいのは容易に想像がつく。


「私がお見かけした時、シャルロット様はレオナール殿とは一緒ではなかったよ。会場ですぐに別れたのですよね?」

「え、ええ」

 ザインベルグの出した助け舟に彼女は飛び乗って来た。

「エスコートして下さるのかと思いましたが、いつの間にやらどこかへ行ってしまわれて。ちょっと驚きましたわ」

「全く。何と言う振る舞いだ」

「随分と身勝手な方のようですね」

 同情するように眉を下げてから、ユベールはザインベルグの手元を覗きこんで来た。


「まぁ……お聞きするのはこんな所ですね」

「では、以上かね?」

「はい。後はこの内容で間違いないか目を通していただければ」

 聴取内容を記した紙を侯爵へ渡す。

 彼は懐から読書用眼鏡を取り出して内容を確認すると、満足げに頷いて傍らの娘へと渡した。


「大丈夫です。間違いありませんわ」

「それでは、下の方にサインをいただいても宜しいでしょうか」

「分かりました」

 シャルロットは流麗なサインをしたためて、用紙を返して来た。

「これで終わりでしょうか」

「はい、ありがとうございます。もうお気持ちを煩わすことはございません」

「安心しましたわ」

 心底ほっとした様子で口元を綻ばせる娘に、侯爵は優しく笑いかけた。厳しい目元がほどけて、父の眼差しとなっている。


「事件とは何の関係もないのだから、怖がる必要はないと言ったろ」

「でも緊張しますもの」

「聴取なんて言われると恐ろしかったでしょう?」

「それはもう!」

「怖がらせて大変申し訳ございませんでした」

 にこやかに言ったユベールに首を振って、シャルロットは黙々と片付けをしているザインベルグに笑顔を向けた。


「でも、ザインベルグ様に来ていただけたので、恐ろしいことばかりではありませんでしたわ。もう一度お会いできればと思っておりましたので」


「おや」

「ほぉ」

 

 ユベールとアウルドゥルク侯の声が重なる。

 侯爵に至っては組んでいた足をほどいて、身を乗り出して来た。

「え? いや、あの?」

 予想外の反応に、彼女はきょとんとして父を見た。

 いたずらっ子のようにきらきらする目とかち合って、意図を察した途端にシャルロットは大仰に手を振って否定し始めた。


「いえ、違いますの。決してそういう意味ではありませんのよ。改めてお礼を申し上げたかっただけですの!」

 白い肌が見る見る内に鮮やかな朱に染まっていく。

「ほれ、そのように否定してはザインベルグ殿の立場もなかろうに」

「お父様!」

「閣下。年頃のご令嬢をそのようにからかうものではありませんよ」

 静かに言って、ザインベルグは微笑んだ。


「ザインベルグ様のおっしゃる通りですわ。今日はもうお父様とは口をききませんことよ」

「嫌だなー。私は娘にそれ言われたら半日は引きずりますよ」

 アウルドゥルク侯は、頭を反らして、ははっと朗らかに笑った。

 そして優雅な動作で再び足を組むと、口の端に笑みを残したまま、どこか嬉しそうに言った。

「いや、しかし。今日は君達に会えて良かったよ。ケヴィンの秘蔵っ子が揃って来てくれるとはな」

 

“ケヴィン”とは、警務大務メサーユンデール侯のことである。ザインベルグはユベールと顔を見合わせた。


「私達、ですか?」

 ユベールが怪訝そうに訊くと、アウルドゥルク侯は愉快でたまらないといった風情で頷いた。


「よく自慢されるのでな。自分の配下には双璧を成す優秀な若手がいるとね」

「双璧……。それはまた御大層な物言いですね」

「余りに自慢して来るから、一度ご尊顔を拝してみたいと思っておった」

「私はともかく、こっちの方は見る甲斐があるでしょう」

 こっち、とユベールはザインベルグを指してくる。

「別に顔そのものの話ではないだろう」

 ザインベルグは同僚の手を押し返して、素っ気なく言い返した。


「ちょっと驚きはしたな。このように艶やかな外見をしているとは思わなかった」

 なぁ?と、侯爵は意地悪くシャルロットに問いかける。

 シャルロットは、「知りません」と、ぷいっと顔を背けたが、言葉の鋭さとは裏腹に未だ頬は赤く染まっている。


「ところで、君はいくつになるのかね」

「35歳です」

 ザインベルグが答えると、侯爵は軽く目を見張った。

「35歳で首席准参預か。それは大したもんだ」

「これもひとえにメサーユンデール侯のお引き立ての賜物です」

「奴とて才のない者を引き立てる趣味など持ってはおらん。それだけ貴殿が優秀という証だろう」

「ねぇ、お父様。准参預とはどんな役職ですの?」

 良く分からなくて、とシャルロットはザインベルグ達に向けて、申し訳なさそうに言った。機嫌は完全に直ったようで、顔色も元に戻っていた。


「そうだな。大務がトップ。少務は大務の補佐。参預が現場を取り仕切る。とはなっているが、各師の仕事は多岐に渡り、膨大な量だ。参預1人で取り仕切れるものではない。だから参預の下に准参預を置いて、それぞれの現場を管理させているんだ」

「つまり、実際の業務を取り仕切る役職ですのね?」

「そういう事だ」

「大変なお仕事をなさってますのね」

「いえ、いかに効率的に部下の尻をたたいて回るか、という仕事ですよ」

「おい、言い方」

 余りの軽口に思わずユベールをたしなめた。すると彼は肩をすくめて続ける。


「首席のついている分、彼はこうして様々な失態をフォローして回るのです」

「あら」

「中々にいいコンビだな、君達は」

「私もそう思いますわ」

 親子は頷き合って、和やかな笑みを浮かべた。


「ではそろそろお暇しようか」

 ユベールの言葉を合図に場に満ちていたさざめきが、すうっと引いていく。

 ユベールとザインベルグは立ち上がり、侯爵が来た時同様、丁寧に頭を下げた。


「閣下、シャルロット様。本日はご協力いただきまして誠にありがとうございました」

「いや。協力するのは当たり前のことだからね」

 ゆったりと答えて、侯爵はシャルロットの膝を軽くぽんぽんとたたく。

「玄関までお送りしなさい」

「いえ、こちらで結構です」

「そんな事おっしゃらずに。見送らせていただきますわ」

 シャルロットは笑って首を振りながら立ち上がった。


 戸口の所で、「失礼致します」と頭を下げる。

 アウルドゥルク侯は入って来た時よりは、やや砕けた様子で片手を上げた。

「ご苦労だった」 

 もう一度頭を下げて扉を閉める。

 大貴族当主にして、大物政治家の姿が扉の向こうに消える。

 最後の瞬間。

 彼の侯爵は顎鬚をしごきながら思案に暮れている様子であった。

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