第5話 高嶺に咲く(1)

「なぁ、どう思う?」

 眉をひそめて訊いてくる同僚の顔を、アルフレッド=マシェインタ=ザインベルグはちらりと横目で見た。

 

 場所は帝国でも屈指の名家の1つ、アウルドゥルク侯爵邸の応接間。

 侯爵家の応接間は名家の名にふさわしく時代を感じるものだ。

 

 一見して分かる贅沢な物は置かれていない。

 腰掛けているソファーも当代流行のものではなく、絹布を張り替えながら丁寧に使い込まれて来た逸品だ。

 毎日しっかりと手入れをされているため、肘掛けはしっとりと深くきらめき、手を置くと吸いつくような木の滑らかさが非常に心地良い。

 

 また細めに開いた窓から吹き込む風にそよぐレースのカーテンも無地のようでいて、光の加減によって繊細な模様が浮かび上がるようになっている。

 目を引く派手さはなくとも、作り込まれた重厚な贅沢さがある、実に素晴らしい応接間だ。


 侍従がささげ持って来た茶器を手に取り、芳醇な香りの茶を口に含む。

 ザインベルグは若干の居心地の悪さを拭えないままに、同僚の問いかけに頷いた。


「お前の考えている通りじゃないか」

「そうか、やっぱり」

 ユベールは腕を組んで、目を細めた。

「本物のトロンティアランプか、あれ」

 ユベールの視線を追って行く。

 彼は部屋の片隅にある瀟洒な飾りランプを一心不乱に見つめていた。


「デジレが前から欲しがっているんだよ。幾らくらいするのかな、あれ」

「何だ、そっちか」

 ザインベルグは溜息をついて答えた。

「俺とお前の年収合わせたくらい」

「は?!」


 ユベールはぎょっとして優美なスタイルのランプとザインベルグの顔を交互に見比べる。その様がおかしくてつい笑い出してしまう。


「卓上用のやつなら銀貨40枚くらいで買えるよ」

「でも銀貨40枚かぁ」

「せいぜい気張って働くことだ」

「十分、気張っているさ。これ以上気張ったら色んなものが溢れて来る」

 ざっくばらんに言って彼は、ドサリとソファーにもたれ込んだ。

 

 ユベールとは、官僚の養成所に当たる高門たかどで出会った。

 彼の方が年上だが、当時から何となくウマが合い、配属先も同じだった事から、かれこれ15年位の付き合いになる。ちなみにデジレとは彼の愛してやまぬ妻の名だ


「で? そっちか、のそっちはどっち?」

「分かり辛いなぁ」

 苦笑しながら、疲れの溜まった肩回りをぐるぐると慣らす。

「本来なら俺達の領分じゃないって話」

「あぁ、そっちね」


 ユベールはつまらなさそうに言って、うん、と背伸びする。

「うぁぁ、40超えると疲れが抜けねぇ」

 情けないことを言いつつも、たっぷりと気持ちよさそうに伸びをして彼はふんと息を吐いた。

「しょうがねぇよ、朱玉府あいつらは。俺達、官制八師よりも自分達が上だって信じ切っているんだから」

「まぁな。俺達と同じ一役所のはずなんだがな」


 ザインベルグと同僚ユベールの所属する警務師は、帝国内の犯罪を取り締まる警察機構だ。取り締まる対象は平民で、貴族は対象外となっている。

 貴族を取り締まるのは朱玉府しゅぎょくふという、また別の役所である。

 しかし、この朱玉府が厄介の種なのだ。

 貴族専門の役所といった存在意義を絶妙にはき違えている彼らは、何かと言うと雑務をこちらに押し付けて来る。

 

「今日のこの聴取だって筋で言えばあいつらの領分だよな」

「そうだよな。でもあれだろ? どう考えても事件とは無関係そうだから警務師こっちに投げて来たんだろうな」 

「でもご令嬢がお前と知り合いだったとはな」

 

 茶を飲みながらユベールが言った。

「別に知り合いではない。ただ、この間の星見の宴で悪質なのに絡まれていたのを助けただけだ」

 助けた時、ご令嬢が太ももを撫で回されていた事はさすがに伏せた。彼女自身の名誉に関わることだ。

「ふーん。ま、知り合いじゃないにしろ、顔見知りではあるから、大務はお前を連れて行けって言ったわけね」

「さぁ、そこら辺りはよく分からないが。俺じゃなくても准参預の中には、アウルドゥルク侯と親交のある者はいそうだけどな」

「あの腰掛け連中か」

 だめだめ、とユベールは手を振った。


「あいつら茶会だ、狩りだ、舟遊びだ、って忙しくやっているから捕まらないんだよ。捕まったとしても仕事のやり方忘れましたーって言いそうな奴らだしな」

「忘れたも何も。そもそも仕事したことがないだろ」

「言えてる」


 2人は声を合わせてくつくつと笑い合った。

 籍を置くだけで、一切仕事もしない有力貴族の子弟に対する憤りなんぞ、とうの昔に捨て去っている。人間の世界は公平でも公正でもない。それが現実だ。


「だいたいがさ、ご令嬢の聴取なんざ准参預が2人も雁首揃えてやるような事かね」

 口を尖らす同僚にザインベルグは薄く笑って同意した。

「でも仕方ないだろ。特別な配慮が必要ってやつだ」


 アウルドゥルク家は、貴族を出自ごとに分けた家門では上から4番目の王国位キンダムジアで、決して高いとは言えない。しかし代々の皇帝に一族の者を妃、夫君ふくんとして送り込むことで、宮廷内に確固たる地位を築いた家柄である。


「特別ね」

 はすっぱに言い捨てて、ユベールはふん、と鼻を鳴らした。

 コンコンとノックの音が高らかに響く。

「閣下のお出ましだ。いい子ちゃんになろうか」

 にやりと不敵に言い置いてユベールは立ち上がった。ザインベルグも立ち上がって、すっと背筋を伸ばす。

 

 侍従が開けた扉から、風を巻く勢いでアウルドゥルク侯爵が姿を現わす。実務家らしい、きびきびとした足取りで進む彼の後ろには、年若い可憐なご令嬢が付き従っている。


 彼女は滑らかに光を放つ頬を不安そうに強張らせていたが、直立するザインベルグに気付くと、小さく、まぁ、と声を洩らした。


「待たせてすまなかったね」

「こちらこそ貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」

 

 そう言って頭を下げたユベールにならい、恭しく頭を下げる。

「私は警務師偵羅局ていらきょく准参預のユベール=オルヴィンタ=セプティアと申します」

「私は警務師綱保局こうほきょく首席准参預のアルフレッド=マシェインタ=ザインベルグと申します」

 うむ、と鷹揚に頷いて侯爵は2人の胸に下がっている章を一瞥した。

 美しく緑のグラデーションを重ねる3色の紐と共に並ぶ純白の紐を確認して、彼は今一度頷いた。


「かけてくれたまえ」

「失礼致します」

「本来ならばこちらから出向くべき所を、来てもらってすまなかったね」

「いえ」とユベールが答える。


 聴取の本分は捜査部門のユベールにある。

 警備部門に所属するザインベルグの今日の役目は記録係だ。

 やり取りは同僚にまかせて書記に徹しようと、机の上の筆記道具を確認していると、アウルドゥルク侯から思いかけず言葉を掛けられた。


「君がザインベルグ殿か。話は聞いている。娘が世話になった」

「その節は本当にありがとうございました」

 令嬢は初々しく頭を下げてくれた。はにかんだ風に微笑む様子が可愛らしくて、好感が持てる。大切に手塩にかけて育てられた姫。そういう印象の人だ。


「職務ですので、お気になさらず」

「つまらない返しだなぁ、お前」

 

 すかさず突っ込んで来たユベールの言葉に、令嬢はほっそりとした指を口元に当てて、ふふ、と笑った。部屋に入って来た時の、不安そうな強張りが少し解けたように見える。


「では7日前に起きた管絃宮における、襲撃事件の聴取を開始しても宜しいでしょうか」

「ええ。よろしくお願い致します」

 

 令嬢は座り直して、丁寧に頭を下げた。

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