第3話 忘れじの花

 レオナールの暴挙から7日。

 皇帝の甥が起こした襲撃事件は世間の耳目をさらい、大いなる衝撃をもたらした。


 貴族達は寄ると触ると「何て恐ろしい」から始まって、あれやこれやと事件内容を語り合っては、最後に「一体どうなることやら」と、したり顔で頷き合って締めくくるという、半ばルーティンと化した会話をそこかしこで繰り広げている。


 咀嚼され過ぎて新鮮味のなくなった様々な情報の中でも、襲撃に際して負傷した賓客が皇庭で療養していること、その接待役に皇太子が選ばれたことは些末な顛末として誰からも捨て置かれていた。

 

◆◇◆


 寄せる風は甘く、さわやかだ。

 ふわりとなびく髪を片手で押え目を閉じると、瞼に柔らかく降り注ぐ陽光が非常に心地良い。

 

 フェスタローゼは豊かな吐息をついて目を開ける。眼前に広がるのは緑の深まった静かな庭園だ。遠くの空で、チチと小鳥が軽快にさえずった。


 今日の午前中は珍しく予定がない。

 ぽっかりと空いたこの貴重な時間を何に使おうか考えた結果、久し振りに庭へ出てみる事にした。


 心地よい解放感に浸りながら、ぐーっと両腕を上げて背筋を伸ばす。

 これで午後からも戦える。笑顔を被って、心をしまい、様々な人の言う様々な事柄に耳を傾けられる。

 

 フェスタローゼが歩いているこの庭は、兄・リスデシャイルのお気に入りであった。

 現皇帝たる父が皇太子だった頃は、計算し尽くされた配置の整然とした庭園だったらしい。しかし、兄は「古色が欲しい」と言って、わざと古びたガゼボを置き、石畳も伸びすぎた雑草を抜く以外は、草生すにまかせていた。


 兄が落石事故で亡くなりこの太暁宮を継いだ時、皇内大務のスルンダール上級伯には好きに改修していいと告げられた。歴代の皇太子には改修どころか、1から造成させた者も少なくない。

 

 しかしフェスタローゼは寝室の模様替えを行った以外は、そっくりそのまま受け継いだ。調度品に至るまで一切である。

 19年という短い時しか生きられなかった兄の物を処分するなど、とてもではないができなかったからだ。兄が生きた日々を、証を、一片たりとも失いたくなかった。

 

 おかげで、今歩いているこの石畳にも、目を向ける庭の隅々にも、太暁宮にある全ての物が色濃く兄をとどめている。

 心を擦り減らす日々に、兄の使っていた安楽椅子に身を預け、彼を思っているだけでどれだけ慰められるか。 

 

 兄・リスデシャイルは快活な人だった。

 いつも楽しそうにしていて、希望に満ち溢れていた。そして何よりもフェスタローゼを大事にしてくれた。

 

 フェスタローゼは足を止めて、茂みの向こうに目をやる。


「ほら、フェスタローゼ。綺麗だろう!」

 庭でのお茶会中に、中座した兄が持って来たのは両手いっぱいのガルベーラの花だった。


「まぁ!すごいわ!! どうなさったの?」

「昨日、ラプトー伯の所に行ったら庭一面に咲いていてな。余りに見事な咲きっぷりだったから貰い受けて来た。好きだったろう? この花」

「私に?」

「もちろん」

 

 兄の差し出すガルベーラの花を受け取り、うっとりと息をつく。

「しばらくは部屋中がガルベーラだな」

「ですから、多過ぎるとあれ程申し上げましたのに」と、スーシェが呆れ顔で言う。

「何だ。スーシェは吝嗇だな」

「そもそも他家の庭に生えていたものをいただいて来ているのですが?」

「では吝嗇は私の方か」

「ですわね」 

 

 くすくすと笑って、フェスタローゼはガルベーラの花を再び見降ろした。

「本当に綺麗。ありがとうございます」と言ってから、ふと付け加える。


「でも、切り花ってちょっと寂しいですわね」

「ん?」

「とっても華やかで美しいけれど、7日もしたら枯れてしまいますもの」

「ほぉ」

「由無い事なのですけど」

「まぁ、それもそうだな」

 

 脇に控えていたハルツグに花束を渡そうとする。すると兄はひょいと花束を取り上げてしまった。

「ちょっと待った。やっぱり気が変わった」

「あの」

「やってみたい事があるから、今日の所はお預けだ!」

 

 その一言を宣言みたいに言った切り、何回聞いても「秘密!」と笑う兄から、招集がかかったのは5日程経ってからだった。


「お兄様どこに行くの?」

 庭の一角からこっそりと太暁宮を抜け出して、道なき道をズンズンと進んでいく兄の背中が、ともすると茂みの向こうに消えてしまう。立ち塞がる低木の枝に四苦八苦していると、スーシェが枝を押えてくれた。


「足元お気をつけてくださいね」

「歩きにくいわ」

「後少しの辛抱なので、お兄様に付き合ってあげてください」

 

 もう!と、髪に絡まってくる細枝を払い、「あなたも大変ね」とスーシェに投げかける。

 すると彼は困ったように眉を下げて苦笑いを洩らした。

「中々に」なんて答えつつも、彼はどこか充足感のある様子だ。


 精力的な主に振り回される日々だが、それが楽しくてならない。そういう雰囲気がした。それにしても、今日のスーシェは心なしかいつもより顔色が悪いように見受けられる。


「あなた、顔色が悪いのじゃなくて?」と言いかけた所に、「おーい!!」と兄の声がかぶった。

「こっち、こっち」

 呼ぶ声に導かれて茂みから抜け出す。


「あら? ここは……神域?」 

 鏡面のごとく澄んだ水面に注ぐ滝の音が爽やかに響いている。

 神聖な静謐さに満ちたこの場所は、皇族専用の礼拝堂に付随している神域だ。


 時折、神々が姿を現すという言い伝えの残る池のほとりをぐるりと巡って、スーシェは滝の裏側に入って行く。

 滝の裏側には小さなトンネルがあった。

 スーシェに誘われるままについて行くと、うっそうとした暗がりから一転。陽光きらめく開けた場所へと出た。

 思わず「わぁ!!」と歓声を上げる。

 

 高く抜けた青空の下。

 見渡す限りに連なって行く屋並みが太陽の光を受けて黄金色にさざめいている。そして屋並みの果てには、ぐるりと玉都を取り囲む堅牢な城壁が頼もしくそびえ立っている。

 視線を近くに向けると、箱庭みたいに小さく見える道を人々や馬車がちょこまかと行き交っているのが見えた。

 

 まるで、人形の家を覗きこんでいるような心地になる眺めに言葉も失って見惚れていると兄は地面を指差した。

「残念だけどそっちじゃなくてこっち」

「こっち?」

 目線を落とした先には見覚えのあるガルベーラの花々が所狭しと咲き乱れていた。


「……これは?」

「頑張った!」

 

 驚いて訊くと兄は誇らしげに胸を張ってから「主にスーシェが」と白状して、ちろりと舌の先を出す。


「株分けしていただきましたの?」

「いーや。それじゃあ意味がないよ。そなたに渡そうとしたあの花だよ」

「でも……切り花でしたわよね? どうやって?」

「どうって……」と言いながら、兄はスーシェを横目で見る。ス―シェは苦り切った表情で答えた。


「私がガルベーラの花に白緑法をかけてから植えました」

「花に? 白緑法を?」

「スーシェはエフィオンでスルンダール家の人間だからな。癒しの力に長けた一族なら造作もないかと思って」

「ええ、ええ。簡単におっしゃって下さいましたね」

「ちゃんと力が出るように精道植物も配置してやったろう?」

「お陰様で倒れる寸前というか、一時意識を失いました」

「何か……ごめんなさい。苦労をかけたわね」

 申し訳ない気持ちになって謝ると、スーシェは「いえ」と首を振って、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている兄を睨みつけた。


「悪いのは殿下ではなく我が主なので」

「君を信頼しての事だよ。スーシェ」

「次はもう少し負担のかかりにくい事で信頼いただきたいものですね」

「善処しよう」

 

 あっけらかんと言い返す兄には反省の影など微塵もない。スーシェ自身もこういう事は日常茶飯事なのかそれ以上は何も言わない。しかし、きっちりとこれ見よがしに溜息をついてみせた。

 

 傍から見ると言いたい事を言い合って、時には、はらはらとする主従だが、お互いを理解し、信頼し合っているから成り立っている関係なのが良く分かる。


「スーシェ。お疲れ様でした。ありがとう」

 兄の分まで丁寧に頭を下げて、咲き誇るガルベーラの花に目をやる。

「切り花だったなんて信じられないわ」

 手を伸ばし、そっと花びらに触れてみた。

「これで多少は寂しくないだろう?」

「え?」

「切り花は寂しいと言ったろう?これなら1ヶ月は軽くもつらしいぞ」

 兄は、そっとフェスタローゼの頭を撫でて優しく微笑みかけてきた。

「そなたが寂しそうに呟いていたからな。ちょっと考えてみた」

「お兄様」

「喜んでくれたなら何より」と、言うと兄はぐーっと背伸びをして、気持ちよさそうに息をついた。

 

 吹き寄せるそよ風が彼の前髪を払い、意志の強そうなくっきりとした横顔を露わにする。

 活力のみなぎった明るい双眸で、兄は玉都の果てを見つめていた。その瞳に何を映して、どんな事を思っていたのか。今となっては分からない。

 彼は力と希望とに満ちていて、そしていつでも優しかった。些細な気持ちを細やかに拾い上げてくれる人だった。

 誰もがそんな兄に帝国の明るい未来を見ていた。

 なのに。


 力なく落とした視線の先で、今年も美しくガルベーラが咲いている。渡る風は穏やかで心地よく、さわやかに体の両脇を流れていく。


 高く晴れあがった空も。きらめく屋並みも。優しく揺らめくガルベーラの花も。全てがあの時と変わらないのに、取り巻く状況も人々も随分と変わってしまった。


 途方に暮れた心を抱えて神域を後にする。

 太暁宮をこっそり抜け出たのを他の者に知られてはまずい。

 足早に道を行くフェスタローゼに「殿下」と唐突に声がかかった。


 ぎくりとして振り返る。フェスタローゼは眉をしかめた。


「サティナ、あなた何でこんな所に」


 苛立たし気に呟いた彼女にサティナが一礼した。


「殿下のお耳に入れておきたいことがあります」

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