第2話 過去からの咆哮(2)
フェスタローゼの惨めな気持ちを余所にレオナールの現状への不満は止まらない。
彼は拳を振り回しながら、自らの考えの正しさを一方的にぶちまける。
大袈裟な身振り、手振りが如実に彼がこの状況に酔いしれいていることを物語っていた。
「そもそも先帝の頃より低迷を続けている帝国経済は一向に回復の兆しが見えない。帝国金貨の信用は地に堕ちたままだ! 玉都の門を見よ!」
前のめりに1歩踏み出して、レオナールは門の方向を指し示す。
「食うに困って各領地から逃げ出した棄民は増え続けている。治安も悪化する一方だ! 手をこまねいている猶予はない。我ら帝国臣民にできる事は唯1つ。無能な皇帝には退位していただく。これしかあるまい! 本日この場を以て、退位するのか否かっ! 決断せよ、皇帝リスディファマス!!」
未だ口を閉ざしたままの皇帝に注目が集まる。
事の起こりから沈黙したまま甥の言い分を聞いていた皇帝は、鋭く彼を見据えた。
眼差しに籠った威厳にレオナールが硬直する。そんな彼に投げつけられた皇帝の言葉は拍子抜けする程に短かった。
「己の短慮を恥じよ」
すらりとイデルが抜刀した。
勝敗は始まる前から決まっていた。
イデルを始めとしたエフィオンを含む近衛騎士に、ほぼ烏合の衆のレオナール側が到底かなうはずもない。開始前の意気揚揚とした口上が彼等のピークであった。
ものの数分でレオナール側はあっけなく瓦解し、そのほとんどが埃と汚辱に塗れて地面に転がされる羽目になった。
暴徒のうめき声が方々から聞こえて来る。
フェスタローゼは強く握りしめていた両手をようやく解いて、肩の力を抜いた。
恐々と見渡す周囲には、制圧されて取り押さえられた暴徒達の姿が点々とある。中には倒れ伏したまま、ぴくりとも動かない者もいる。
沈痛な面持ちでそれらの者を眺めつつ、それでもゆるゆると広がって来た安堵の気持ちに思わずそっと溜息をついた瞬間。
「こんのぉぉっ!!」
「姫様!」
ラムダの声が走った。
短刀を構えた給仕姿の男が最後のやぶれかぶれで突進して来る。少し離れた場所にいるラムダとアンリエットとが男を追う。
「危ない!」
目の前に和佐が立ちはだかった。
翻る浅黄の袂から、ぱっと鮮血が宙を舞う。一拍置いて、ざしゅと重い音が上がり、突進して来た男はばたりとその場に倒れた。
「和佐殿下?!」
腕を押えて膝を着いた和佐の傍らに慌ててしゃがみ込む。和佐の負った傷は中々の深手だった。押えた指の間から見る見る内に血が溢れて来る。
「止血を……!」
「私にお任せ下さいませ」
フェスタローゼをそっと押しとどめて、ハルツグが和佐の傷口を改める。
彼女の左手中指に嵌められている指輪がじわりと光り、白緑法の精道陣が浮かび上がった。
後ろに身を引いて和佐の治療を見守る。
その視界の片隅に皇帝の前に据えられたレオナールの姿が入った。先程の演説振りから一転、惨めな虜囚となった従兄に胸の内が疼く。
「ハルツグ、和佐様をお願いね」
「殿下、なりません」
衝動に突き上げられたフェスタローゼは、制止に入ったアンリエットを躱して皇帝の元へと駆け寄った。
駆け寄って来た娘に皇帝は、ふと口元を緩ませて穏やかに首を振って見せる。
公人としての厳しさが緩み、父親の顔が垣間見えたのもほんの束の間。皇帝はすぐに険しい表情になって眼前に据えられたレオナールを見つめた。
「ハルシード」
「はい、陛下」
「委細任せる」
皇内大務スルンダール上級伯に短く言い置いた皇帝が寄り添う皇后を促す。彼女はそっとフェスタローゼの頬を優しく撫でると皇帝に付き従った。
皇后と共に行きかけた皇帝だが、その歩みが数歩で止まる。
「……フェストーナは、おらぬか」
「いや、全く! フェストーナ殿下は難を逃れたようで。良かったですな!」
庭園を一瞥した皇帝の呟きに軍務大務のウォレンダーク伯が明るく答える。しかし皇帝はちらとも笑わぬままに「そうだな」と平坦に返し、去って行った。
「いやはや、露骨だねぇ」とラムダの声が背後でする。
「何が?」
「ラムダ殿。憶測で物を言うもんじゃない」
問い掛けたスーシェに割って入るように、ぴしりとアンリエットがラムダをたしなめた。
そんな彼らの声を背景に、フェスタローゼはレオナールの前に進み出た。
レオナールは首も折れんばかりにうなだれて座っている。
乗り込んで来た時は彼の心情そのままに光り輝いていた新品の鎧が今や、血煙に薄汚く曇っているのが殊更に侘しく見える。
みじめにうつむく従兄の後頭部をしばらく見つめてから、フェスタローゼは静かに口を開いた。
「レオナール殿。あなた覚えていらっしゃる? 私達良く一緒に夏を過ごしたわね」
レオナールは何も言わない。
「8歳の夏だったかしら。森の中で罠にかかった小鳥を見つけた事があったでしょう」
このくらいの小さな綺麗な鳥よ。
フェスタローゼは“このくらい”と両手を合わせて、目を細める。
「見つけたのはいいものの、罠が外せなくて困っていたら、あなたが助けてくれたのよ。怪我をしているからって屋敷に連れ帰って、世話までしてくれて」
「皇太子殿下、お下がりくださいませ」
「ごめんなさい」
スルンダール上級伯に素直に詫びて、フェスタローゼはぽつりと言い足した。
「私、あの時とても嬉しかったのよ」
とてもね。
言い添えた言葉が宙に浮く。ややあってレオナールの口元が醜く歪んだ。
「……そんな事、私は覚えていない」
「レオナール殿」
レオナールが勢いよく顔を上げる。その両目に籠もる嫌悪の念に、フェスタローゼは2、3歩後ずさった。
「お前がまともな人間だったら、まだ良かったのに」
明確な悪意が真っ正面からフェスタローゼを切り裂く。自分でも分かるくらいに血の気が引いていくのをはっきりと感じる。
幼い頃より抱いていた親愛の情はいつの間にか一方的なものに成り果てていた。今、目の前にいる従兄にとってもフェスタローゼは役立たずの「欠陥品」でしかなかったのだ。
「おら、立つんだ」
呻き声すら出せずに黙り込んだ彼女の前で、
両脇から乱暴に引き上げられたレオナールが引きずられるようにして連行されて行く。
遠ざかって行くその背中を、フェスタローゼは立ち尽くしたまましばらく見送っていた。
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