第3話 東都の王子

 馬車が皇太子の館である太暁宮たいぎょうきゅうの車寄せに入って来ると、見慣れた影が玄関前でぴょんぴょんと跳ねていた。


「お姉様!」

 

 跳ね回る影は馬車から降りて来たフェスタローゼに駆け寄って来ると、勢いよく飛びついて来た。

 首に回された手は筋肉質ではあるが、青年のそれ程には発達しきっていない。背丈も丁度、フェスタローゼの肩口辺りだ。それでも最後にあった半年前よりは確実に背が伸びている。


「到着していたのね、エシュルバルド」

「矢も楯もたまらず来てしまいました」

 王子エシュルバルドは恐ろしく魅力的な笑みでフェスタローゼを見上げた。毬よりも弾んだ声は少年特有の澄んだ高音だ。

 まだ声変わりさえしていない、あどけなさが強く残る従弟をフェスタローゼは愛情を込めて抱き返した。

 

 御年14歳となる彼は、父・イリアスが東都代宰を務めているために東都で生まれ育った王子だ。来年成人を迎えるに当たって、玉都で勉学を積むために皇宮へとやって来た。

 

 皇宮に住まう皇族は現在5名とかなり少ない。そこに新たに加わる年若く、快活な王子はきらきらとした明るい瞳でフェスタローゼの後ろに控える面々を見渡した。

 その中でも見知ったラムダに目を留めた彼は、持ち前の愛嬌を発揮して気安く片手を上げる。


「やぁ、ラムダ! 久しいな」

「王子様も相変わらずで。……レト、お前もな」

 エシュルバルドの背後に音もなく現れた近衛騎士とラムダが、がっちりと固く握手を交わす。

 エシュルバルド付き近衛騎士のレトは、騎士とは思えないゆったりとした優雅な笑みを浮かべた。

「何の因果か、またお前と顔を突き合わす羽目になるとはな」

「そんなのお互い様だろ」

 気心の知れた掛け合いに、エシュルバルドがうふふと口を押えて可愛らしい笑い声を洩らす。


「あんなこと言ってますが、レトだって内心は嬉しくてしょうがないのですよ」

「殿下ぁ。そういうことは口にしないのが皇宮流ってもんですよ。これからは東都のように明け透けに振る舞ってはいけないのですよ」

「僕だってちゃんと心得ているよ、ねぇお姉様?」

「ええ、そうね」


 淡く緑がかった頭を振って同意を求める彼に、フェスタローゼは優しく同意してみせる。エシュルバルドは満足そうにふふん、と胸を張った。


「イリアス殿下は息災かしら? 他の方々も」

「ええ。お陰様で皆、至極元気です」

「それはよかったわ」

「お初に御目に掛かります。エシュルバルド殿下」


 和やかな場に硬質な声が割り込んで来る。

 突如、前に出て来たサティナにエシュルバルドは一瞬、言葉を詰まらせたもののすぐに愛想よく、「あなたは?」と訊き返した。


「サティナ殿。わきまえられよ」

 

 抑えにかかったスーシェの手を振り払って、サティナは更にずいっと前に出て来るとわざとらしいくらいに畏まった素振りで膝をついた。


「私は、サティナ=サイジアンティス=ゴバトルリアンと申します」

「ゴバトルリアン……もしや」

「ええ」

 表面上は穏やかに返してはいるが、底光りする棘までは隠しきれていない。

 サティナは挑戦的にエシュルバルドを睨み上げた。


「私の父、ナインは殿下のお父上、イリアス殿下と同じく皇帝陛下の弟に当たります」

「そうですか。ナイン様の御息女ですか」

「はい。ですので私も皇太子殿下ご同様、エシュルバルド殿下の従姉となりますわね」

「サティナ殿」

 威厳の籠った声が一筋。その場に凛と響く。


「控えなさい、サティナ殿」

 声の主は少参丈しょうさんじょうのハルツグだった。少参丈とは令侍達のリーダーに当たる役職である。

 毅然とした足取りでやって来た彼女はサティナの敵意の籠った眼差しを物ともせずに跳ね返した。

「御自分の立場をわきまえなさい。皇太子殿下と自らを同等とするとは流石に看過できませんよ」


 静かではあるが、反論できない強さを持った声音にサティナがうつむいて悔しそうに唇を噛み締める。


「さぁ、あなたはもうお行きなさいな。やるべき仕事を他の方に押し付けるのは感心できませんわね」

「……失礼致します」

 低い声で一言。無愛想に言い置いてサティナは立ち去って行った。

 すれ違いざまにエシュルバルドに暗い一瞥を向けて行った姿に、彼女の抱え持つ闇を感じて思わず首筋がぞわりとする。


「お姉様。何故、あの方をお側に?」

 あんな、と言い掛けてエシュルバルドは言葉を飲み込んだ。外戚の従姉である事実が胸に去来したのであろう。

「……色々とあって」

 

 言いたい思いは沢山ある。

 はっきり言ってサティナには令侍としての資質は全くない。本来ならば逆さまになったって令侍になれる人ではない。

 それでも彼女が令侍になってしまった背景には、フェスタローゼの乳母で中参丈のニーザの不在がある。


「実は2月に入ってからニーザが休養に入ってしまって。そこからひと月程後だったかしらね?」

「ええ。その頃ですわ」

 フェスタローゼの言葉を継いでハルツグが頼もしく頷いた。

「サティナ殿を令侍にと打診を受けましたの。でもあの通りの御方でしょう? 一旦はお断りしたのですが」

「ニーザの夫君の大参丈が一存でサティナを受け入れてしまったのよ 何がしかの……働きかけがあったのでしょうね」

「ニーザ殿はそんなに思わしくないのですか?」

 憂慮を浮かべたエシュルバルドに慌てて手を振る。


「そこは大丈夫なのよ。あの、ぎっくり腰なの。今までの無理が祟ったのかしらね。だから湯治に行ってしっかり治してって私から提案したのよ」

「あぁ、あれは癖になりますからねぇ。お若いエシュルバルド殿下にはピンと来ないでしょうが」

「最後は余分だよ、レト」

 軽く睨んだ主にレトはふふっと楽しそうに微笑んだ。

「不快な思いをさせてごめんなさいね、エシュルバルド」

「いえ! 僕は気にしてません。ただ」


 エシュルバルドは聡明な眉をふと潜めて、サティナの去って行った方向を見やった。

「少し……心配ではありますね。お姉様の側に積極的にいて欲しいと思える方とは」

「まあねぇ」とラムダが相槌を打つ。

 相当に気楽な言い方に、隣に立つスーシェが反射的に「おい」と諌めた。


「もう少し言い方があるだろ。殿下は友人ではないのだから」

「えぇ、だってさぁ」

「ラムダはいいのよ、そのままで。ねぇ?」

「そうやって皇太子殿下が何でも許すから他に示しがつかないのですよ」

「ここは今ではフェスタローゼ様の太暁宮ですからね。スーシェ殿」

 鋭さを増したスーシェの物言いにハルツグの穏やかな声音がきっぱりと反論する。

 彼女はあくまで、にこやかな笑顔のまま優し気に小首を傾げた。

「そこの所をよろしくお願い致しますわ」

「……心得ております」

「ならば結構ですわ」


 さぁさぁ、とハルツグは両手を広げて一同を促した。

「積もるお話もおありでしょう? 中にお入りになってくださいな」

「そうね。いつまでも玄関前でたむろしてるものではないわね。参りましょう」

「ええ」


 エシュルバルドに微笑みかけて、一歩踏み出す。

 その腕をつと彼が引っ張った。勢い、エシュルバルドの方に身を寄せたフェスタローゼの耳元で彼が素早く囁く。


「これからは僕がいますからね。御安心なさってください」


 エシュルバルドを見る。

 3歳年下の従弟はとびっきりの笑顔を返して来た。

 妹フェストーナのような、底意のある笑顔ではない。心からの好意に溢れた笑みに触れて、自然と表情が綻ぶ。


「そうね、頼りにしてるわ」


 従姉弟同士の2人はまるで本物の姉弟のような親密さで仲良く頷き合った。

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