第2話 異国の王子
翌日。皇太子フェスタローゼの姿は皇帝の館である
「陛下から仰せつかった通りに、
皇太子の報告を聞きながら皇帝リスディファマスは、手元の資料をめくる。
頬杖をついたまま上目遣いに見るフェスタローゼは神経質に資料の隅をしきりにさすっていた。
「よくできているではないか」
父の一言に、資料をさする手が止まる。
不安に陰っていた表情が見る見るうちに明るくなっていく。しかしまだ報告中と、強いてしかめ面に戻るのがまた面白い。
ころころと変わる娘の面相を楽しみつつ、皇帝は頬杖を解いて資料を机に置いた。
「いいだろう。このまま続けて行ってくれ」
「はい、父上!」
勢い良く言ってしまってから、あ、と可愛らしく口を押えて「承知致しました、陛下」と言い直す娘の様子に、さしもの皇帝の頬も緩んでしまう。
「よい、ここは飛輪宮。私的な空間であって公務の場ではない。少し肩の力を抜くがいい」
「……申し訳ありません」
まだ硬いなぁ、と気安く肩を竦めて笑う。眼尻に細かい笑い皺が寄り、意外に青年然としたあどけなさになる。
「呼びつけて済まなかったな、そなたも多忙であろう?」
「今日は然程に。あ、でもこの後、エシュルバルドの出迎えがありますの」
「おぉ、そうか。到着は本日であったな。あれはそなたに良く懐いておる。色々と便宜を図ってやるがよい」
微笑んで頷いた娘に笑顔はそのままに、つと声を一段潜める。
「ところでフェスタローゼ」
「何でしょうか?」
「余り焦り過ぎないように」
優しく娘の名を呼ぶ皇帝の眼差しは、いつも通りに柔らかい。だが昨日の事に触れられたフェスタローゼはパッと目を伏せ、気不味そうに胸飾りに指を添えた。
「特に昨日のような振る舞いはそなた自身の為にもならない。それは分かっていよう」
「……はい」
「リスデシャイルが亡くなって2年か。兄の跡を継いで常に立派な皇太子であろうとするのであれば、つまらぬ意地で全てを台無しにするな」
「……重々承知しております」
「ならば、よい」
恥じらう蕾のごとき可憐な笑顔はもうない。
皇帝リスディファマスは俯く娘にそれ以上は何も言わず、会見を打ち切った。
贅を尽くした飛輪宮の扉が開き、フェスタローゼが出て来る。
その打ち萎れた有様に、近衛騎士のラムダとスーシェは素早く視線を交わし合った。
「姫様! お疲れさまでしたぁ」
待機していた馬車の脇からラムダが手を振る。近衛騎士にあるまじき気安さだ。しかしこれも毎度のことと、警備中の近衛兵達は正面を見据えたままちらとも動揺しない。
「ラムダ、ただいま」
「お帰り、姫様」
「お帰りなさいませ」
するりと入り込んだ声がある。
馬車の影からさり気なく出て来たのは、皇族に仕える侍従である
いつもの取り澄ました顔で近衛騎士2人の横に並んだ彼女に、フェスタローゼの眉がきりりと吊り上がる。
「あなた……馬車の中で待機するように言ったのに。どうして外にみえるのかしら」
「いい天気だったものでつい」
「ここがどこだか分かっていれば、つい、で出歩くなんてできないと思うのだけど」
「大変申し訳ございません。次からは気を付けますわ」
尖った声に戻る言葉はこれでもかというくらいに木で鼻を括った返しだ。誰が聞いてもこの令侍が主人に対して恭順の念など持ち合わせていないとすぐ分かる。
「あのさぁ」
ラムダが頭をガリガリと掻く。
そんな彼をサティナが不快感露わに睨み付けた時、車寄せの端の方で車輪の空回りする激しい音が上がった。
反射的に音のした方を一斉に見る。そこには斜めに止まった儀装馬車とその傍らで尻もちをついている少年の姿があった。
「ぶつかったか?」
「いや、大丈夫だろ」
ラムダとスーシェが素早く囁き合う。その脇から唐突にフェスタローゼが裳裾をからげて飛び出した。
「ちょっと、姫様!!」
驚く声を振り切って儀装馬車へと駆け寄る。
「どうしたの?」
「いや、こいつが急に脇から飛び出して来まして」
問い掛けたフェスタローゼに御者は尻もちをついたままの少年を厳しく指差す。
皇宮の下働きである
「あなた、大丈夫?」
「殿下!」
儀装馬車の後ろに乗っていた近衛騎士のイデルが止めるより早く、さっと地面に膝をついて少年を覗き込む。
「大丈夫? 立てるかしら?」
「あ……え……はい!」
少年は慌てて立ち上がると、その場に這いつくばった。
「申し訳ございませんっ!!」
「全くだ! 雑仕風情がぼうっとしやがって!!」
「殿下の前だぞ。少しは慎め」
皇帝付き近衛騎士イデルの短い叱責に御者もぐっと続きを飲み込んだ。
イデルは次いで地面に這いつくばったままの雑仕の背中をちょんとつついて、「お前も気をつけろ。車寄せ付近は特にな」
「申し訳ございません……」
「いいから、早く枝を片づけろ。馬車の妨げになる」
「承知いたしました」
少年はうなだれて小枝を拾い始める。
御者はまだ何か言いたげに仁王立ちして見下ろしていたが、ドスドスと足音高く御者台に戻って行った。
「殿下」
差しのべられたイデルの手に掴まって立ち上がると、彼はフェスタローゼの膝の汚れを丁寧に払ってくれた。
「ありがとう。イデル殿」
立ち上がった彼に一礼する。イデルは慇懃に頭を垂れてから、儀装馬車へと戻り声をかけた。
「大変失礼致しました。殿下。お怪我はございませんでしょうか」
「あ、いえ。私達は大丈夫です」
馬車の中から聞こえた声は男性のものだった。流暢な帝国語ではあるが、隠しきれない外国人特有の訛りが見受けられる。
儀装馬車に乗っているのはどうやら外国からの賓客のようだ。フェスタローゼは威儀を正し、イデルの傍らへと並ぶ。
「お見苦しい所をお見せ致しました。どうか平にご容赦を」
「あの。こちらの方は」
馬車に収まっていたのは金色がかった美しい栗色の髪が目を引く青年だった。
年の頃は20歳前後だろう。彼の向かいでは、白金髪を耳の下で切り揃えた武官と思しき女性が物問いた気にこちらを見つめている。
「こちらは皇太子フェスタローゼ殿下でございます」
イデルの言葉に相手の男性は目に見えて動揺した。
彼はさっと馬車から飛び降りると、儀礼通りの立礼をする。続いて降りて来た女性も地面に膝をついて頭を垂れる。
「皇太子殿下とは知らず、大変な無礼を。私は紫翠国第3王子、
「和佐殿下は技術交流を主目的とした使節団の団長を務めておみえなのです」
「うかがっておりますわ。実りある交流となることを私も切に願っております」
「勿体ないお言葉でございます」
すっと差し出したフェスタローゼの左手を和佐が優雅に受ける。その瞬間、言い知れぬ悪寒がフェスタローゼの背筋を駆け抜けた。反射的に手を引込めようとするも、思った以上に和佐の力が強い。彼は鳶色の瞳を細めてフェスタローゼを見上げた。
「何と美しい御方でしょう。実に素晴らしいお顔立ちだ」
更にぐぐっと手を引き寄せられる。
「あの」と戸惑うフェスタローゼの左手にそっと自らの額を寄せると、和佐は颯爽と立ち上がった。そして今までのやり取りなどなかったかのような様子でイデルに話しかける。
「参りましょうか、イデル殿。大丈夫です、この位なら歩きますので」
嫌味のない、さらりとした言い方は直前の事さえなければ好感すら覚える。
「失礼致します」
頭をさげた和佐に目礼をして一行を見送る。わずかにおののく左手をそっと右手で包み込んだ時、スーシェの苦り切った口調が背後で上がった。
「全く、殿下。あなたという方は」
振り向くと案の定、不機嫌をまとった彼が腕を組んで立っている。
「皇太子ともあろう御方があんな風に飛び出して行くなんて。こういうことはまず私達に任せてください」
「本当ですわ。しかも雑仕風情にあんな風に膝をつくなんて……。やはり生まれつきの皇太子でない方は咄嗟の動きに品格が出ますわね。そうではなくて、スルンダール殿?」
サティナの挑発にスーシェは乗らない。それでもフェスタローゼを見据える彼の眼差しにはサティナの言い分に同意する揺らぎが見て取れた。
「そらさぁ、リスデシャイル様にお仕えしてたスーシェからしたら信じられないだろうけどさ。この姫様の持ち味ってのもあるんだから、そこは認めないとね。後、サティナ殿は調子に乗らない。君、一体誰の令侍よ?」
「……この主にふさわしい口の訊き様ですこと」
ラムダを憎々しげに睨み付けてサティナはそっぽを向いた。
「やめて、サティナ。あなたは口が過ぎるわ」
「それは大変失礼致しました。以後気をつけます」
わずかばかりの謝意すらないただ刺々しいだけの言葉が虚ろに響く。ちらりと見たサティナの口元は憎々し気に歪んでいた。
「……参りましょう。エシュルバルドが来るわ」
吐息と共に吐き出した諦めの気持ちと共に、フェスタローゼは3人の側近を促した。
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